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日本の自然布を楽しむ。三大古代織の芭蕉布、葛布、しな布の魅力

古代織の機
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羽越しな布の帯

古来から日本各地で様々な織物が作られてきました。

撚りが強い糸で織った布を雪で晒すことによって独特の触感を生み出した小千谷縮、括りという技法によって様々な柄を作ることができる久留米絣など、それぞれ地域独自の技法が凝らされています。

見るだけでも楽しい織物ですが、織り方の違いだけではなく、素材の違い・自然布の魅力も知ると、より楽しみが広がっていきます。

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1.綿織物の普及はわりと最近の出来事


人は衣服を身に着けることによって寒い冬を乗り越えられるようになりました。
衣服の材料となる織物の存在は、文明の発展を語る上でも切っても離せないものと言えます。

自然素材の織物というと綿織物を思い浮かべる方が多いと思いますが、実は日本の歴史の中で綿織物が普及したのはわりと最近の出来事だということをご存じでしょうか。

綿花の原産地は熱帯から亜熱帯の地域と言われており、これらの地域と比べて気候が冷涼な日本では栽培が行われていませんでした。
今でこそ庶民が気軽に買うことができる綿織物ですが、15世紀頃までは大陸からの輸入でしか手に入れることができない高級品という扱いだったのです。

国内で綿花の本格栽培に成功したのは16世紀前半頃で、三河地方で始まったと伝えられています。
現在も三河地方で作られた綿織物は、三河木綿として高いブランド力を誇っています。
ここから、日本各地で綿花の栽培が行われるようになり、徐々に庶民の手にも綿織物がわたるようになっていったのです。

2.綿織物が普及するまでは庶民をなにを着ていた?

Eiji Hozonoさん(@ehozono)が投稿した写真


綿織物が普及するまでは、大麻・カラムシを原料にした麻織物から衣服を作ることが多かったようです。
特に大麻やカラムシは山野に自生するほど生殖力が強い植物ですので、庶民の衣服の原料にぴったりだったのでしょう。
日本書記にも持統天皇がカラムシの栽培を奨励した記録が残っており、古くから親しまれていたことが分かります。

木綿伝来以降も、気候面から綿花の栽培が難しかった東北地方では、江戸時代以降もカラムシの栽培、麻織物の製造が盛んに行われました。
福島県昭和村では、今もカラムシの栽培から織物への一貫生産が行われており、ここで作られた麻織物は会津からむし織と呼ばれています。

このほかにも、楮から作られた太布、葛布、しな布、芭蕉布など、その土地々々で植物由来の織物が作られていました。
このように土地に自生していた植物から作った織物は古代布とも呼ばれています。

3.古代布を楽しもう

古代織の機
木綿の伝来とともに古代布の作り手は急速に減少していきましたが、今なお根強い人気に支えられて製造を続けている産地もあります。
その中でも、日本三大古代織と呼ばれる三品目をご紹介します。

羽越しな布

経済産業大臣から伝統的工芸品の指定も受けている羽越しな布。
羽越しな布は丈夫で水に強い特性を持ち、農家の野良着に使われてきました。
最近では、その丈夫さと独特の風合いから鞄素材としても好まれています。
葛布(くずふ)
葛布
江戸時代初期から特産品として名高い遠州葛布も独特の魅力があります。
静岡県西部の遠州地方では葛布の生産が盛んで、江戸時代の百科事典である和漢三才図会にも「葛布は遠州懸川より出ず」と書かれているほどです。
軽くて丈夫で光沢が美しいことが特徴的で貴族にも愛されていました。
今も静岡県西部には数軒の工房が残っており、日傘、帽子といったファッション小物の素材にもなっています。
芭蕉布(ばしょうふ)

沖縄県では芭蕉を原料にした芭蕉布が作られています。
大宜味村のものは喜如嘉の芭蕉布として経済産業大臣から伝統的工芸品の指定も受けています。
軽くてさらりとした肌触りが特徴的で夏用の着物地として使うことが多いです。
民芸運動の創始者である柳宗悦も著書の中で絶賛するなど、通人から愛されてきました。

このほかにも、日本各地で様々な自然布が作られています。
全国の自然布産地の組合、古代織産地連絡会では様々なイベントや情報発信を行っていますので、自然布ファンは要チェックです。

生産量の関係から、なかなか目に触れる機会も少ないですが、店頭あるいは旅先で自然布を見つけた際は、ぜひ手にとってみてくださいね。



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