銭湯へ行こう!お風呂大好きな日本人と銭湯の関係、歴史を紹介します

銭湯
数は減っているものの、まだまだ通っている人やファンが多い銭湯。
外国にも水着で入るサウナや温泉はありますが、裸になってだれでも入れる銭湯はとてもめずらしいそう。

銭湯は単なる「風呂」ではなく、「社交場」の役割も果たしてきました。
今回は日本人の大好きな銭湯について紹介します。

【目次】
1.銭湯の歴史
2.社交場としての銭湯
3.伝統ある銭湯へ行ってみよう!

1.銭湯の歴史

「風呂屋」や「湯屋(ゆや)」とも呼ばれる銭湯は、公衆浴場の1種です。
銭湯の起源は、仏教と深いかかわりがあります。

6世紀に仏教が伝来すると各地に寺院が建ち、僧侶が身を清めるための「浴堂」も造られました。
仏教では「沐浴」の功徳が説かれ、身の汚れを落とすことが重要視されます。
やがて病人や貧しい人に浴堂を開放する「施浴」が盛んにおこなわれました。
奈良の東大寺や法華寺の浴室(からふろ)が有名です。
平安時代末には京都に「湯屋」が登場したとも伝わっています。


「法華寺の浴室」出展:奈良新聞WEB

鎌倉時代には施浴がさらに広まり、恵まれない人だけでなく一般庶民にも無料で浴堂が開放されました。
やがて入浴料を徴収するようになり、これが現在の「銭湯」になったといわれます。
室町時代には京都の街中にも銭湯が登場。
当時の銭湯は湯船ではなく蒸し風呂だったそうです。

庶民にとって銭湯が近い存在になったのは、江戸時代から。
江戸時代初期にはまだ蒸し風呂が主流でしたが、慶長年間の終わりごろ(1615年ごろ)から、現在のような湯船へと変わり始めます。
明治になると「改良風呂」と呼ばれる、ほぼ現在の銭湯に近い造りになります。

より広く、清潔に。
現在ではサウナやジャグジーなども備えた「スーパー銭湯」も現れ、まるでアミューズメント施設のような充実ぶりです。

2.社交場としての銭湯

酒器
銭湯には単に「風呂」ではなく、「社交場」としての側面もあります。
これも、日本ならではの銭湯文化といえるでしょう。
古くは鎌倉時代、将軍足利義政夫人の日野富子が年末に縁者を招いて風呂と酒宴、茶の湯でもてなしたという記録があります。
庶民の間でも薬師堂や観音堂で風呂をふるまってもらったあと、持ち寄った酒食で宴会をする「風呂講」がおこなわれました。

江戸時代には1階が浴場、2階が広間という銭湯が作られます。
2階の広間は開放され、庶民がお茶や菓子を食べ、囲碁や将棋に興じました。
ときには落語の寄席が設けられることも。
営業時間は朝8時から夜8時ごろまでだったそうで、江戸の人たちの風呂好きがしのばれますね。

3.伝統ある銭湯へ行ってみよう!

銭湯の歴史を学んだら、銭湯へ行きたくなりませんか?
ここでは長く愛され続けている都内の銭湯を3つ挙げます。

江戸川区「あけぼの湯」

出典:湯らり江戸川
1773年、江戸時代から240年続く銭湯が「あけぼの湯」です。
都内の銭湯にはめずらしい、天然温泉を使用しているのが魅力。
ジェットバス、寝湯、電気風呂、露天風呂、岩盤泉、牛乳風酵素風呂など多種多様な風呂がそろっています。

【

住所】東京都江戸川区船堀3-12-11
【電話番号】03-3680-5611

台東区「蛇骨湯(じゃこつゆ)」
「蛇骨湯(じゃこつゆ)」は、地下100メートルからくみ上げた黒色の温泉が特徴的。
浴室の壁に描かれた富士山、露天風呂がある空間には鯉が泳ぐ池など、ちょっとレトロで日本的な銭湯です。
外国人にもよく訪れるそう。
創業年は不明ですが、江戸時代から銭湯を営んでいます。

【住所】東京都台東区浅草1丁目11-11

【電話番号】03-3841-8645

【公式サイト】http://www.jakotsuyu.co.jp/

中央区「金春湯(こんぱるゆ)」

出典:銀座金春通り
江戸末期の1863年、「金春湯(こんぱるゆ)」は銀座に開業しました。
浴場に描かれた見事な富士山は、日本に2人しかいないペンキ絵師・中島盛夫氏の手によるもの。
銀ブラのあとに銭湯でひと休みしましょう。

【住所】東京都中央区銀座8-7-5金春ビル
【電話番号】03-3571-5469
【公式サイト】http://www002.upp.so-net.ne.jp/konparu/

気軽に立ち寄ってリフレッシュできるのが、銭湯のいいところ。
ぜひ近くの銭湯に足を運んでくださいね。



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