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青森のお祭り・踊りを知ろう!日本各地の伝統的なお祭り・踊り

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おいしいりんごが有名な青森県。
りんごが取れる季節じゃなくても青森に行けば倉庫で貯蔵してあるりんごが食べられるんです。
そんな青森県のお祭りといえばねぶた祭ですよね。
そのねぶた祭りの由来や起源についてどのくらい知っていますか?
今回は青森県のお祭りと踊りについてご紹介します。

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青森に伝わる伝統的なお祭り

青森のお祭りといえば、ねぶた祭が1番有名でテレビなどでも放送されるとても大きなお祭りですよね。
それでは、ねぶたの起源や由来、ねぶた祭外の青森県のお祭りとはいったいどんなものがあるのでしょうか。

青森ねぶた祭

ねぶた祭りの起源は諸説あり、定かになっていません。
7月7日の七夕の夜に、川や海に穢れを流す禊の行事として灯篭を流し無病息災を願っていたとされ、これを「ねぶた流し」と呼んでいます。

また、平安時代の初期に干ばつが続き嗜眠性脳炎(しみんせいのうえん)という病気がはやり、この病を払い流すため

ねぶたコ 流れろ (ねぶた病は遠くへ流れていってしまえ)
まめの脈コ 止まれ (まじめななかまはこの村に止まってほしい)

と歌いながらねぶた流しをしたのが起源ともいわれています。
ほかにも、忙しい農業の妨げになる眠気やなまけ心を流す、農民行事から生まれたのではないかといわれています。

1980年1月には重要無形民俗文化財に指定され、その豪華絢爛なお祭りを1度は見てみたいと県外からも大勢の人々が見に来る大変大きなお祭りです。

五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)

中国から伝わった【中元】という行事が起源といわれており、400年もの間津軽地方で受け継がれてきた火祭りです。

大正時代に入り電機が普及し始めると大きいねぷたはだんだんと小型化していく中、追い打ちをかけるように、第二次世界大戦終戦前後に起きた2度の火事により、立佞武多の設計図が焼失したことから1度はなくなってしまったお祭りです。
1990年代に、市民の有志で立佞武多が復元され、現在でも続く青森ねぶた祭と同じくらい豪華絢爛で見ごたえがあります。

八戸三社大祭

国指定重要無形文化財に指定されているお祭りです。
1720年八戸は凶作に悩んでいました。
凶作の元凶となっている天候と、豊作を法霊大明神(ほうりょうだいみょうじん)に祈願したところ無事に秋の収穫を迎えることができ、その御礼として武士や町人から寄進を募って神輿をつくり、長者山三社堂に渡御したことが八戸三社大祭の起源とされています。

色鮮やかな豪華な山車は人形が動いたり、スモークがたかれたり、見ている人々を楽しませてくれる仕掛けがたくさんあります。

青森に伝わる伝統的な踊り

それでは、青森の伝統的な踊りとはどんなものなのでしょうか?
どうしても青森県といえばねぶた祭りのイメージですが、実は伝統的な踊りがあるんです。

黒石よされ

「日本三大流し踊り」の1つとされているのが黒石よされ。
黒石よされの起源は約500年~600年まで遡るといわれており、元々は盆踊りの時の男女の恋の掛け合い歌で、【廻り踊り】【組踊り】【流し踊り】の3つの踊りで構成されています。
メインは【流し踊り】で連日2000人もの踊り子が市内を踊り歩き、時折観客を巻き込んで乱舞となることもあります。
【組踊り】では近隣から集まってくる踊り組が三味線、太鼓、唄をつかって賑やかに津軽民謡手踊りを披露します。

ちなみに【よされ】という言葉の語源は、諸説ありますが有力だとされる語源がこちらです。

・豊作で楽しいときには「仕事をよして楽しく踊りなされ」
豊作の場合は「よして」と「なされ」を短く言って「よされ」

・凶作で苦しいときには「このような世の中は早く去れ」
凶作の場合は「世」と「去れ」を短く言って「よされ」

南部駒踊り

秋に若者たちが野馬捕りをする様子を芸能化したもので江戸時代から伝わる踊りの1つです。
踊り手は花笠をかぶり陣羽織を着て駒の形の木枠を腰に着けた騎乗の姿で踊ります。
この南部駒踊りも県無形民俗文化財に指定されている踊りです。

まとめ

青森県に伝わるお祭りは国や県が指定する重要無形文化財になっているものが多く、山車も大きく、色とりどりで圧倒されます。
テレビや情報雑誌にもよく掲載されるくらい非常に大きなお祭りなので、お祭りを楽しむのはもちろん、その祭りのストーリーを予備知識として知っておくと、お祭りや踊りの楽しみ方が変わるかもしれませんね。

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