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西陣織の歴史と発展 | 京都府の伝統工芸品西陣織について知ろう

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京都といえば和のイメージ。
随所にお寺や寺院があって、街並みも美しい和風を基調にしていて訪れた人を和ませてくれる地域でもあります。
海外からの旅行客も多く、日本のみならず多くの人々で賑わいます。

そんな京都の伝統工芸品、西陣織のことを知っていますか?
今回は西陣織の歴史と発展についてご紹介します。

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西陣織の歴史

京都の街並みを洋装で散策するのも良いですが、やはり和装で散策するのも醍醐味です。
海外の人はもちろん、日本の観光客も普段は中々着る機会のない着物を着て散策するのが主流になりつつあります。

そんな着物ですが、京都の伝統工芸品である西陣織は京都府京都市街の北西部で作られている絹織物で絹糸を使っているだけあって大変高級な着物です。
【西陣】とは、京都の北西部にあたる地域の名称で、西陣の織屋が製造する織物のことを西陣織と言います。

西陣織の始まり

西陣織の始まりは、古墳時代まで遡ります。
大陸から渡来人の秦氏の一族が山城の国(京都)に住み着いて養蚕と絹織物の技術を伝えました。

飛鳥・奈良時代を経て平安京へ遷都が行われると朝廷では絹織物を受け継ぐ職人を織部司(おりべのつかさ)という役職のもとに組織し、綾・錦などの高級織物を生産させました。
後に織物職人たちは現在の京都府上京区長者町あたりに集まって綾部町という町を形作ったといわれています。

鎌倉時代になると「大舎人の綾」「大宮の絹」と呼ばれ珍重された織物を生産していました。
大陸からも新しい技術が伝えられ、常に優れた織物づくりに取り組み、室町時代には大舎人座という同業組合のようなものを組織し、朝廷内の注文にもこたえながら一般の武家や公家の注文にも応じていました。

西陣織という名称

西陣という名称は応仁の乱の西軍の本陣跡、西軍本陣が名前の由来だといわれています。
室町時代中期、京都を舞台に東軍と西軍が争う応仁の乱が始まります。

この乱は11年も続いた合戦で、学校の歴史の教科書にも載る大変有名な合戦です。
京都で織物を営んでいた職人たちはこの合戦により戦火を逃れざる負えなくなり、和泉の堺に移り住み、大舎人町の織物業は壊滅的な被害を受けました。

しかし、戦乱が治まると再び職人たちが集まり元の場所にほど近い白雲村や、戦乱時に西軍の本拠地であった大宮今川付近で織物業を再開しました。

西陣織の発展

大陸から次に伝えられてきたのは機織り機と機織りの技術です。
この機織りの技術が発展したことにより、色や柄、模様を織り出す紋織りが可能になりました。

こうして、紋織による高級織物・西陣織の基礎が築かれ、その産地として西陣が確立したのです。
そして、朝廷からも認められ豊臣秀吉からの保護を受けながら、中国・明の技術を取り入れるなど、様々な優れた織物が誕生し発展していきました。

江戸時代に入り、世の中が安定して町人文化が発展してくると高級織物の産地である西陣はさらに発展。
大きな糸問屋や織屋が立ち並ぶ織屋街が形成され、高級織物はもとよりちりめんや縞に至るまで織り出し、その勢いはほかを圧倒するほど成長しました。

苦境を乗り越えた西陣織

そんなすさまじい発展を遂げた西陣にも苦境が訪れます。
度重なる飢餓で世の中が不安定になったのです。

さらに追い打ちをかけるように奢侈禁止令(しゃしきんしれい)という贅沢な生活や浪費を制限することを目的に出されました。
一見厳しい令に感じますが、社会の秩序を保ち経済的な安定を図るために導入されたもので、これにより貧富の差が広がりすぎないようにし社会的な安定を保とうとしたのです。

この奢侈禁止令は西陣織にも大きく影響がありました。
着物に施される豪華な刺繍や装飾が奢侈禁止令にあたるため、需要が激減したのです。

また、2度の大火に見舞われ、桐生や丹後などの新しい織物産地が生まれたことも痛手になりました。
しかし、昔から海外の先進技術を取り入れるのに積極的だった西陣は文明開化のチャンスを逃さず、ジャガード織物などの技術を取り入れ、近代化に成功しました。

西陣織の現在の姿

昔から海外の影響を受けながら独自の発展を続けてきた西陣織。
現在では着物のみならずネクタイやショール、和装小物など材料用としても格調高い優れた製品を生産しています。

現在では織屋によって異なりますが12種類の品種が西陣織に指定されています。

西陣織12種類の品種について

1.綴(つづれ)

手作業で糸を織り込んでいく「絵緯(えぬき)」の技法を使った織物で、立体的で厚みのある模様が特徴です。
非常に緻密な技法が求められるため、特に高級な帯や装飾品に用いられます。

2.経錦(たてにしき)

縦糸に模様を織り込む技法で、横糸と縦糸の交差によって模様を作ります。
縦糸が多く使われるため、模様が浮き上がって見えることが特徴です。

3.緯錦(ぬきにしき)

錦とは種々の彩糸を駆使して紋様を織り出した織物の総称であり、織物の中では最も華麗なものの代名詞的につかわれています。

4.緞子(どんす)

先染めの緞子は金襴などと共にほぼ鎌倉時代に中国から舶載され、以後南北朝、室町時代を通じて盛んに輸入されました。
緻密で滑らかな表面が特徴で、緯糸の浮き織りを活用して模様を表現する技法。
光沢があり、シルクの光沢を活かした豪華な柄が生まれます。

5.朱珍(しゅちん)

中国からの舶来の織物にならってようやく室町時代に入ってから始められたと考えられています。
繻子は通常5枚または8枚繻子組織のものが多いのですが、昔の書物によると繻子は八糸緞、朱珍には七糸緞あるいは七彩という字を当てています。

6.紹巴(しょうは)

名物裂金襴のなかにみられる紹巴裂については、千利休の弟子であった連歌師、里村紹巴(1524~1602)の愛玩したもので西陣で製織されたとされていますが、残念ながら紹巴についてはその歴史について明確な史料がありません。

7.風通(ふうつう)

表と裏に異なる模様が現れる織り方で、風通しが良いという意味から名付けられています。
表裏で異なる配色やデザインを楽しめる点が特徴です。

8.綟り織(もじりおり)

隣り合う経糸がからみ合ってまるで編物のような特色をしめす綟り織で、その最も複雑な様相をあらわすのが「羅」であり、そしてそれは綟り織の中でも最も古いものと考えられています。
織物の経糸は互いに平行し、緯糸はこれと直角に交差して布を形成するのが普通ですが、綟り織物は綟り経糸が緯糸1本または数本ごとに地経糸の左右にその位置を変えて組織し、緯糸と緯糸との間に隙間を作ります。

9.本しぼおり

友禅染を始めとする後染めの生地にはなくてはならないものの一つです。
経緯ともに練染した絹糸を用い、経糸は甘撚り緯糸は御召緯といって練糸を適当な太さに引揃え、下撚りをかけ糊を施し、これがまだ乾かないうちに強撚りをかけたもの。
右撚り・左撚りを二越ずつ交互に織り込み、製織後、ぬるま湯に浸して強くもみ、布面にしぼを出します。

10.ビロード

なめらかな手ざわりと、柔らかな光沢が魅力的なビロードは16世紀に入ってから南蛮貿易で日本に渡来しました。
西陣のビロードは特有の羽毛や輪奈をつくるため横に針金を織り込み、後で針金の通った部分の経糸を切って起毛したり、引き抜いて輪奈を作るもので、有線ビロードに類します。

11.絣織(かすりおり)

素朴な織物の代表である絣は、インドに発生し、タイ、ビルマ、ジャワ、スマトラなど東南アジアから沖縄に達し、やがて日本に渡来したとされています。
たて糸とよこ糸を部分的に防染して平組織に織り上げて何らかの紋様をあらわしたものを絣といいます。朱子組織のものもあります。

12.紬

紬は、絹織物の一種として古くから発達しました。
糸を製する方法から簡単でかつ丈夫な糸が得られ、養蚕地帯では自家用織物として盛んに制作されました。
真綿を手ツムギした糸をたて糸、よこ糸に使用し、手機で絣、縞、白などに織り上げたもので、先練、先染めの平織りのものです。

まとめ

西陣織の始まりが古墳時代だとは知らなかった、という方も多いのではないでしょうか。

海外の影響も受けて、様々な刺激を受けて発展していった西陣織は現在でも高級感あふれる艶やかなものがたくさんあります。
京都に行った際もし西陣織に触れる機会があったら是非その高級感を体験してみてくださいね。

文化着物
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