今回は、井原西鶴と大阪堺刃物についてご紹介します。
大阪は、江戸時代から天下の台所と呼ばれ、商人たちの知恵と活気に満ちた町でした。
その大阪で、言葉で時代を切り取った作家・井原西鶴と、実用品でありながら美を極めた大阪堺刃物は、同じ空気を吸い、同じ町人文化の中で育まれていきます。
一見すると交わらないように思える文学と刃物。
しかし、その根底には共通する美意識と価値観がありました。
井原西鶴とはどんな人だったのか
井原西鶴(いはら さいかく)は、
1642年、摂津国(現在の大阪市)に生まれました。
本名は平山藤五(ひらやま とうご)。
裕福な町人の家に生まれ幼い頃から商人の世界、つまり【お金・取引・人の欲と知恵】が身近にある環境で育ちました。
俳諧師から浮世草子作家へ
若い頃の西鶴は、松尾芭蕉と同時代の俳諧師として活躍します。
特に矢数俳諧と呼ばれる大量の句を詠む技で名を馳せました。
しかし40代に入る頃西鶴は俳諧から一歩離れ、町人の生活や欲望を描く浮世草子という新しい文学へ進みます。
代表作には、
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『好色一代男』
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『日本永代蔵』
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『世間胸算用』
などがあり、どれも商人・職人・遊女・庶民といった、当時の生きた人間を描いた作品です。
大阪堺刃物とは何か

大阪府堺市で作られる刃物、大阪堺刃物(堺打刃物)の歴史は、室町時代にまでさかのぼります。
当初は、鉄砲の伝来(1543年)によって鉄加工技術が発達し、その技術が包丁や刀剣へと応用されていきました。
江戸時代に入ると、堺の刃物は切れ味の良さで全国に知られるようになります。
代表的な堺刃物
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出刃包丁
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柳刃包丁
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薄刃包丁
特に料理人の世界では包丁といえば堺と言われるほど、高い信頼を集めていました。
職人文化としての堺刃物
堺刃物の特徴は、分業制による高度な職人技です。
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鍛冶職人
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研ぎ師
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柄付け職人
それぞれが役割を極め、一本の刃を完成させる。
この姿勢は【無駄を削ぎ落とし、本質を残す】日本的な美意識そのものでもあります。
井原西鶴と大阪堺刃物の関り
井原西鶴が生きた大阪・堺は、商人と職人が共存する町でした。
西鶴の作品には、道具・商売・職人の技がごく自然に描かれています。
堺刃物もまた、高級品ではなく、日常の中で使われる一級品として登場します。
それは、町人文化を描く西鶴にとって、欠かせない存在だったからです。
なぜ井原西鶴は大阪堺刃物に興味を持ったのか

西鶴が注目したのは、実用性の中にある価値でした。
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見た目の派手さではなく
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実際に使われ、役に立ち
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商いの中で評価されるもの
堺刃物は、まさにその象徴です。
「よく切れる」
「長く使える」
「無駄がない」
これらは、西鶴が描いた理想の町人像とも重なります。
井原西鶴の作品における大阪堺刃物の演出
西鶴の作品では、刃物そのものが主役になることは多くありません。
しかし、承認の道具や職人の腕前の象徴、生活の質を示す背景として自然に、当たり前の物として描かれます。
それこそが、堺刃物が特別ではなく信頼された日用品だった証なのです。
井原西鶴は大阪堺刃物を愛していたのか?
直接「愛していた」と書き残しているわけではありませんが、無駄を嫌い、実用を尊び本質を見抜く西鶴の価値観を考えると、堺刃物はまさに理想の工芸品だったと言えるでしょう。
言葉で人の世を切り取り、刃で素材を切り分ける。
井原西鶴と大阪堺刃物は、同じ精神から生まれた存在だったのかもしれません。
まとめ
華やかな武家文化とは異なり町人文化は、日常の中に美を見出す文化でした。
井原西鶴の文章と、大阪堺刃物の刃。
どちらも、使われてこそ価値があるという思想を今に伝えているのではないでしょうか。
