西本 有(にしもと たもつ)
竹の籠編み、basket designer。
有製咲処(タモツセイサクショ)主宰。
主に竹を素材として、革持ち手の竹かごバッグ『bamluxe』をはじめ、実用かご等の商品の他、企業・店舗向けの特注品、オブジェなどの製作も手がける。
各地の百貨店(伊勢丹新宿本店、岩田屋本店、トキハ本店 等)、ショップ、ギャラリーで販売。
1969 千葉県市原市生まれ
1992 千葉大学文学部行動科学科 卒業
1992-2007 電機メーカー(日本アビオニクス)にて赤外線サーモグラフィーの販売に従事
2009 大分県竹工芸訓練・支援センター 中堅技術者養成指導 修了
2010 福岡市に直営ショップ「かご屋」開店
2012,2014,2015 「クラフトフェアまつもと」出展
2013 JR九州クルーズトレイン「ななつ星in九州」客室内備品製作
経済産業大臣指定の伝統的工芸品である「別府竹細工」は、日本有数の温泉地である土地ならではの土産品・実用品としての需要もあり、古くから作られています。
マダケを主材料とし、花器や日用品のかご、バッグ、照明等のほか、繊細な技巧を盛り込んだ美術品としても評価されるなど幅広い側面を持っています。
特徴としては堅牢なつくりと美しい編み模様が挙げられます。
大学を卒業し、本社が東京の電機メーカーに就職、三年目に福岡へ転勤になりました。
九州へ渡ったのはそれが初めてでしたが、自然、食べもの、人情、などに触れ、いつか自分で暮らす場所を決めるのであれば九州だなとぼんやり思うようになりました。
そんな中、書店で日本各地の伝統工芸職人を紹介する本に出会います。
そこには単なる仕事の内容だけではなく、どうやって職人になるかということについて、学校だとか修行などのことについても詳しく書かれていました。
具体的に道筋をイメージすることが出来たのです。
陶磁器、漆器、和紙、染織など色々ある中で竹細工に特に惹かれたのは、大分に県立の職業訓練校がある、他の工芸と比較すると生産に特別な設備が必要ない、ということの他に、竹は日本全国に豊富に生えているのに職業として「竹細工で食っている」という人が知り合いにもいないし、想像出来ないという部分でした。
職業として暮らしている人が少ないのなら、自分のようなずぶの素人であっても、とりあえず訓練校に入ってしまえば何とでもなるのではないか……というとても軽い気持ちでした。
つまり、そもそも「小さな頃からつくるのが好き(得意)だった」とか「ある作品(職人の生き様)に強烈に惹かれた」とかいったような動機は私にはあまりなく、「九州で暮らしたい」という思いがまずありきで、会社員ではない職業は何があるだろうか、そこからの選択肢として竹に関する生業に焦点を当てたというわけです。
会社員の仕事には不満があまりなかったこともあり、すぐ転身には至りませんでしたが、再び転勤で東京へ戻るも、九州への思いが絶ち難くなる瞬間がしばしばありました。
そして、結局その本との出会いから十年以上は経ったでしょうか。
2007年に退職、大分県竹工芸訓練・支援センター(現 大分県竹工芸訓練センター)に入所し、二年間学んだ後、約八年、現在は大分県別府市の自宅で製作しつつ、六年前に福岡で開いた「かご屋」をはじめとして各地の百貨店やショップにて販売もこなしています。
「最初はとにかくがむしゃらにやれ」
訓練校二年目のときに先生に言われました。
何ら具体的ではない一言ですが、今でも折に触れて思い出します。
我々の世界では、たとえば「同じ竹かごを百個つくれ」だとか、また一般的には「ある技術の熟達には一万時間必要」などとも言われます。
やはり手仕事のプロとしてのクオリティに到達するにはそれなりの反復作業がいるということでしょう。
また、そういった純粋な技術の習得とは別に、特に個人として独立してやっていくためには、厳然たる現実として商品・作品を売っていく必要があります。
諦めずに継続していくことでそういったことに繋がる機会も増えてくることと思います。
「職人として一人前」というのは自分で判断するのは難しいことかもしれませんが、とにかく「継続こそ力なり」ということでしょうか。
一年のうち、主に春から秋にかけては月に一回程度(一週間ほど)、東京を中心とした日本各地の百貨店やショップの販売等に出かけます。
それ以外は、基本朝から気力の続く限り、竹を割ることから始まる材料づくり(ひご取り)や”編み”などの作業をする時間が大半を占めます。
その他には材料の仕入れや打ち合わせ、PCでのメールや事務作業などがあります。
同じ作業を延々と続けなければならないのは、肉体的、精神的につらい部分はあります。
また「職人」というよりは「自営業」という側面では、会社員の仕事と比較すると、当たり前ですが「手を動かさないと収入がない」ということが厳しい点でしょうか。
一方、自分のペースで仕事ができる、そしてこれも会社員との比較ですが、していることすべてがリセットされずに良い意味で自分のキャリアとして「積み重なっていく」こと、これらが良かったと思える点です。
インターネット、特にSNSでの発信は、ここ五年ほどでだいぶ充実してきたし、発信側としてやりやすくなってきているのを実感します。
私はブログの他に、Facebook(個人ページとFacebookページ)、Instagram、Twitter、Pinterestなどしていますが、全く同じ情報(文言)を投稿しても、それに比例して受け取る側の関心がより大きくなることはほとんどないように感じます。
それぞれの特徴を認識しながら、内容を適宜変えていく必要があるでしょう。
また、同じ業界の人だけにわかる専門用語ではなく、誰にでもわかるような説明を心がけています。
こうした情報発信をするメリットとしては、お客さまが新たに増えること、仕事上有用な情報が得られることなどでしょうか。
職人、あるいは作家はもしかすると立派な職業として認知されているかもしれませんが、いずれにしても「個人」ですから、倒れてしまえばそこで終わりという不安定さは付きまといます。
なので、私としては複数の人間が共同して仕事をすることで各々が生活していける形態(つまり企業ということになるのでしょうか)を確立したいと思っています。
「伝統工芸品を残さなければいけない」という気負いは、仕事をする上で第一義にはありません。
何が求められているのかを常にリサーチしながら動いていけば、結果として自然に続いていくものなのかなと。
なんらかの工芸品、もしくはつくる人の技を見て、職人を目指す人が多いかと思うのですが「つくる人」になることに固執するのではなく、その心惹かれたものに関わる仕事をしようと視野を広げた方が良いかもしれません。
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