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「城の崎にて」の内容解説|志賀直哉の短編小説・全文・テスト問題|高校現代文

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城の崎にて(きのさきにて)は志賀直哉による短編小説です。
高校現代文の教科書にも掲載されるくらい、有名な作品となっています。

今回はそんな志賀直哉の「城の崎にて」の簡単な内容解説と、テスト問題・対策についてご紹介したいと思います。

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「城の崎にて」とは?

「城の崎にて」は、1917年5月に発表された短編小説です。
電車事故で重傷を負った作者は、兵庫県の城崎温泉へ療養にいきます。
そこで出会った小動物の死から、自分自身の生と死について考えた心境小説です。

かの文豪・谷崎潤一郎も「近代の名文」として絶賛した作品となっています。

志賀直哉について

「城の崎にて」の作者である志賀直哉は、1883年(明治16年)に現在の宮城県石巻市に生まれました。

その後学習院中等科へ進んだ志賀は、キリスト教伝道者・評論家の内村鑑三と出会い、以後7年間師事します。
キリスト教の空気の中で「正しきものを憧れ、不正虚偽を憎む気持ち」が芽生え、以降の潔癖主義が形成されていきました。

高等科へ進み、東大英文学科に入学する頃には作家を志しており、仲間と雑誌「白樺」を創刊します。

人間の個性を尊重しつつ、理想主義的・人道主義的な立場を取った「白樺派」を代表する作家となった志賀直哉は、”小説の神様”と呼ばれるほど、大正・昭和時代を通して数多くの文学者の指標となりました。

「城の崎にて」の他にも、「或る朝」「網走まで」「大津順吉」「清兵衛と瓢箪」「暗夜行路」「和解」などの代表作があります。

「城の崎にて」の原文

志賀直哉の「城の崎にて」の著作権は、従来であれば2022年に著作権が切れて青空文庫等でも全文が読めるはずでしたが、TPPの著作権保護期間20年延長により、まだ読む事は出来ません。

なのでこの記事では、引用の範囲内でご紹介したいと思います。
全文を読みたい方は、下記の書籍で読む事が出来ます。

まずは「城の崎にて」の主題を整理した上で、原文を読んでいきましょう。

【「城の崎にて」の主題】
事故によるケガの療養の為、城崎温泉に行った作者。
自分も一つ間違えば死んでいたかもしれないと思うと寂しいが、恐怖ではなかった。
死んだ蜂には、その静けさに親しみを感じた。
死の運命から逃げようとしているネズミには、死に到達するまでの動騒の恐ろしさを感じた。
自分が偶然殺してしまったイモリには、生き物の寂しさを感じた。
これら小動物の死から、”生と死が両極にあるものではない”と悟った。

療養中の生活

山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした作者。
一人で城崎温泉へ、療養へ行きます。
3週間〜5週間くらいは滞在したいと思いつつ、下記のような暮らしをしていました。

一人きりで誰も話し相手はない。
読むか書くか、ぼんやりと部屋の前の椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮していた。

死への考え

一つ間違えば死んでいたかもしれない。
そして墓の中に入り、祖父や母の屍骸が傍にあるーーそんな事を思っていた作者でしたが、恐怖心は抱いていませんでした。

いつかはそうなる。それがいつか?ーー今まではそんなことを思って、その「いつか」を知らず知らず遠い先のことにしていた。
しかし今は、それが本当にいつか知れないような気がして来た。
自分は死ぬはずだったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、ーー中学で習ったロード・クライヴという本に、クライブがそう思うことによって激励されることが書いてあった。
実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。
しかし妙に自分の心は静まってしまった。
自分の心には、何かしら死に対する親が起っていた。

蜂の死骸

療養している建物の玄関に、蜂の巣がありました。
そんな蜂の巣で忙しく働く蜂たちを、作者は退屈な時に眺めていました。
ある朝、玄関の屋根で1匹の蜂が死んでいるのを見つけます。
しかし他の鉢たちは相変わらず忙しく働いています。

他の蜂は一向に冷淡だった。
巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。
忙しく立ち働いている蜂はいかにも生きている物という感じを与えた。

死んだ蜂は見る度に全く動かずにそこに転がっており、「それがまたいかにも死んだものという感じ」を与えました。

それは三日ほどそのままになっていた。
それは見ていて、いかにも静かな感じを与えた。
淋しかった。
他の蜂が皆巣へ入ってしまった日暮れ、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見ることは淋しかった。
しかし、それはいかにも静かだった。

雨が降った翌日、蜂の死骸はありませんでした。
きっと雨で地面へ流されたのだろう。そして、蟻に運ばれていくなどするまでは、きっとまたそこに動かずにいるのだろう。そして作者は思います。

それにしろ、それはいかにも静かであった。
忙しく忙しく働いてばかりいた蜂が全く動くことがなくなったのだから静かである。
自分はその静かさに親しみを感じた。

ネズミの最期

次に作者は、川沿いを散歩している時にある光景を目撃します。
それは「子供が二、三人」と「四十くらいの車夫」が川の中にネズミを落とし、必死に登ろうとするネズミに更に石を投げて笑っているというものでした。
しかもそのネズミには串が刺さっており、生き残るのは絶望的にみえました。

自分は鼠の最期を見る気がしなかった。
鼠が殺されまいと、死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽して逃げ回っている様子が妙に頭についた。
自分は淋しい嫌な気持になった。
あれが本当なのだ(*1)と思った。
自分が希(ねが)っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐ろしいことだ。
死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。

イモリの死

それからしばらく経った夕方、散歩中に川の石の上にイモリを見つけました。
作者は、イモリを驚かして水の中に入れよう、と考えました。
そして小石を近くに投げようとしますが、狙いが外れてイモリに直接当たってしまいます。

蠑螈は死んでしまった。
自分は飛んだことをしたと思った。
虫を殺すことをよくする自分であるが、その気が全くないのに殺してしまったのは自分に妙な嫌な気をさした。
素より自分の仕たことではあったがいかにも偶然だった。
蠑螈にとっては全く不意な死であった。
自分は暫くそこに跼んでいた。
蠑螈と自分だけになったような心持がして蠑螈の身に自分がなってその心持を感じた。
可哀想に想うと同時に、生き物の淋しさ(*2)を一緒に感じた。
自分は偶然に死ななかった。
蠑螈は偶然に死んだ。
自分は淋しい気持になって、ようやく足元の見える路を温泉宿の方へ帰って来た。

小動物たちの死と、生きている自分

イモリを死なせてしまった帰り道、死んでいた蜂や殺されそうになっていたネズミのことを思いながら、作者は考えます。

死ななかった自分は今こうして歩いている。
そう思った。
自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。
しかし実際喜びの感じは湧き上がっては来なかった。
生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。
それほどに差はないような気がした。

「城の崎にて」でよく出るテスト問題

志賀直哉の「城の崎にて」は高校現代文の教科書にも掲載されているので、下記の様なテスト問題が出題されます。

○問題:「あれが本当なのだ(*1)」とは何を指しているか。
答え:自分は蜂の死について「静かだ」と思っていたが、本当は死の直前には生きようとする動騒があること。

○問題:「生き物の淋しさ(*2)」とはどういうものか。
答え:すべての生き物は偶然に左右されてしまうという寂しさ。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は志賀直哉が書いた短編小説である「城の崎にて(きのさきにて)」の原文と解説・テスト対策についてご紹介しました。
高校現代文の教科書にも掲載されるほど、日本を代表する名文の一つとされていますので、是非深く理解して作品を楽しんで下さいね。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

参考/おすすめ書籍


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