「水の東西」は山崎正和さんによる評論文です。
高校現代文の教科書にも掲載される作品なので、テスト勉強で学習したという方も多いのではないでしょうか。
今回はそんな山崎正和さんの評論文「水の東西」の内容解説と、テスト予想問題・対策などを紹介していきたいと思います。
水の東西とは
「水の東西」は1977年に刊行された「混沌からの表現」という文化・文明批評集に収録されている評論文です。
作者の山崎正和さんは昭和後期〜平成時代に活躍した劇作家・評論家で、「劇的なる精神」「鴎外 闘う家長」などの作品も有名です。
中でもこの「水の東西」は評論教材の定番的存在になっており、現在でも多くの国語・現代文教科書に採用されています。
水の東西の内容
「水の東西」は東洋と西洋の水に対する考え方を比較しながら、それぞれの性質や感性・文化の違いなどを論評する作品です。
それではまず本文を段落ごとに整理していきましょう。
水の東西の大意(本文要約)
一方の西洋では、芸術としての噴水の方が人々の気持ちをくつろがせている。
鹿おどしの流れる水は”時間的な水”で噴水の水は”空間的な水”である。
日本人にとっては造形的な噴水よりも自然に流れる水の方が美しい。
形のないものを恐れない日本人は、目に見えない水を感じ取る。
流れを感じる事だけが大切だとしたら、ただ断続する音の響きを聞いて心で水を味わう鹿おどしは、日本人が水を観賞する行為の極致を表す仕掛けだといえるかもしれない。
水の東西の段落分け要約
【一段落目】
初め〜「流れる水と、噴き上げる水。」まで
鹿おどしは流れるものをせき止め、刻む事によってかえって流れてやまない水の存在を感じさせる。
ニューヨークの人々は鹿おどしの単調なリズムを聴くゆとりがなく、芸術としての噴水の方が人々をくつろがせいた。
【二段落目】
「そういえばヨーロッパでも…」〜「時間的な水と、空間的な水。」まで
欧米の町の広場にはいたるところに噴水があった。
名のある庭園では噴水に趣向を凝らして風景の中心になっていた。
エステ家の別荘の壮大な水の造形は、音をたてて空間に静止しているように見えた。
【三段落目】
「そういうことをふと…」〜「見えない水と、目に見える水。」まで
日本の伝統の中に噴水は少ない。
それは日本人にとって水は自然に流れる姿が美しいのであり、造形する対象ではなかったからだろう。
「行雲流水(こううんりゅうすい)」という言葉があるが、その思想は水のように形なきものを恐れない日本人の心の現れではなかっただろうか。
【四段落目】
「もし流れを感じる…」〜終わりまで
流れを感じることが大切なのだとしたら、水を見ずに流れを感じる鹿おどしは、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだといえるかもしれない。
水の東西で抑えておきたいポイント
水の東西で抑えておきたいポイントは、以下の通りです。
筆者は「鹿おどし」と「噴水」をどのように捉えているか?
この「水の東西」の本文中には、「鹿おどし」と「噴水」を対句的表現が三つ出てきます。
それぞれがどちらを指しているのかをしっかりと整理しておきましょう。
1.「流れる水と、噴き上げる水。」
流れる水が鹿おどしで、噴き上げる水が噴水です。
2.「時間的な水と、空間的な水。」
時間的な水が鹿おどしで、空間的な水が噴水です。
3.「見えない水と、目に見える水。」
見えない水が鹿おどしで、目に見える水が噴水です。
逆説的表現
「水の東西」では、水を流し続けるのではなく、むしろ流れを止めているはずの鹿おどしが”流れてやまない物の存在を強調している”と書かれています。
これが逆説的表現で、一見矛盾しているように見えて、実際には真理をついている様子を表す表現方法です。
ただ水が流れ続けているだけでは自然に紛れてしまいますが、あえて流れを止め、断続的に音で響かせる事で流れてやまない水の存在がより強調されているのです。
日本と西洋の、外面的な事情
第三段落では「外面的な事情」という言葉が出てきます。
日本と西洋を比較し、それぞれの外面的な事情を整理しておきましょう。
[日本]
湿度が高く、人々が噴き上げる噴水を求めなかった。
まだ水道の技術がなかった。
[西洋]
空気が乾いていたので人々は噴水を求めた。
噴水を作ることが出来る水道技術が発達していた。
「水の東西」で覚えておきたい単語
好ましさや可愛らしさなどを人に感じさせること。
[けだるさ]
なんとなくだるいこと。
[壮大(そうだい)]
規模が大きくて立派な様子。
[造形(ぞうけい)]
空間に形あるものを作り上げること。
[息をのんだ]
驚いて息をとめた。
[行雲流水(こううんりゅうすい)]
空を行く雲や川を流れる水のように、一切を自然に任せること。
[さながら]
そっくりそのまま。
[林立(りんりつ)]
林の木のように多くの物が並び立つこと。
[ほとばしる]
勢いよく飛び散る。
[極致(きょくち)]
これ以上はないという、最上の到達点。
「水の東西」でよく出るテスト予想問題
山崎正和の「水の東西」は高校現代文の教科書にも掲載されているので、下記の様なテスト問題が出題されます。
○問題:ニューヨークでは鹿おどしが似合わないのは何故か。
答え:ニューヨークの人々は忙しすぎて、音と音の間を待つゆとりがないから。
○問題:鹿おどしが水を鑑賞する行為の極致なのは何故か。
答え:実際に目に見えなくても、断続する音を聞く事で心で流れる水と時間を感じる事が出来る。それが形なきものを恐れない日本人にぴったり合った仕掛けであるといえるから。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は山崎正和が書いた評論文である「水の東西」の内容解説・予想テスト問題対策についてご紹介しました。
高校現代文の教科書にも掲載されるほど、日本を代表する名文の一つとされていますので、是非深く理解して作品を楽しんで下さいね。
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