古来より全国で活躍し、陰で歴史を動かして来たと言っても過言ではない「忍者」。
日本のシンボルとして今でも絶大な人気を誇り、海外では「NINJYA SCHOOL」で忍術を学ぶのも人気です。
さて忍者とはどのような人物だったのでしょうか。
1.忍者の歴史
忍者や忍術のルーツは古代中国とも言われており、兵法家の孫武の書に間諜(スパイ)に関する解説があります。
「日本書紀」には敵国新羅から間諜が潜入した旨が記されており、聖徳太子も「志能便(しのび)」と呼ぶ役割の者に政敵の内情を探らせていたと言われています。
このことから、日本で忍者の祖先が暗躍し始めたのは6世紀頃からのようです。
その後忍者は山岳修行や修験道を介して地方の権力者と結びつき、多くの技を磨きながら情報ネットワークを形成していきました。
ただし「忍者」という言葉が定着したのは昭和時代以降で、しのび、軒猿、水破(すっぱ)、突破、草、隠密、お庭番、甲賀者、伊賀者など各地で多様に呼ばれていました。
2.忍者の暮らし
忍者というと顔も隠れる黒頭巾姿で手裏剣を投げているイメージですが、普段からそのようなスタイルではすぐに忍者とばれてしまいますよね。
そのため色々な変装をし、日常生活を送りながら人にまぎれて諜報活動を行っていました。
忍者の変装には次のようなものがあります。
- 能楽師
- 曲芸師
- 商人
- 出家僧
- 山伏
- 農民や町人などの一般人
このように、全国各地を行脚しても怪しまれない人物に変装し、密かに情報を集めていたのです。
とはいえ任務には数年以上を要することがほとんどで、正体を見破られないように方言を習得し、能楽や曲芸をプロとしてこなし、僧のように読経を覚えねばならず、就寝時も武器を抱えたまま寝るなど片時も休まることのない暮らしだったと推測されます。
3.武闘から科学まで操る忍術
忍者の任務には暗殺や破壊活動も含まれる危険な仕事。
日々様々な技を鍛錬していました。
主な技としては「隠れる」「水を渡る」「登る・飛ぶ」「歩く・走る」「伝える」などの行動を磨いたものや、「侵入」「盗聴」など敵地に乗り込む際に必要な能力、「矢止め」「針術・火術・手裏剣」など敵との闘いに欠かせない技術が挙げられます。
さらには人を惑わす「幻術」「人心掌握術」「占術」、「消臭」や「秘毒・秘薬」作りまで、信じられないほど多岐にわたる技を身に着け、どれほどの訓練が必要なのかと驚くばかりです。
術者が何人にも増えて見える有名な「分身の術」も、忍者が催眠術や秘薬を用いて相手を惑わせていたのだとしたら、あながちフィクションではないのかも知れませんね。
4.各地に残る忍者の里
【三重・伊賀流忍者博物館】忍者屋敷は一見普通の茅葺き農家だが、内部はどんでん返しや仕掛け戸、もの隠しなど防犯のための仕掛けがほどこされている。体験館では手裏剣打ちやどんでん返しを体験でき、伝承館には本物の忍具が展示されている。 pic.twitter.com/nDnJFs5YkL
— B面 (B級スポット・珍スポットガイド) (@bii_men) August 7, 2016
全国各地で忍者は活躍していましたが、有名なのは三重の伊賀者、滋賀の甲賀者ではないでしょうか。
特に忍者といえば真っ先に名の上がる伊賀者ですが、元々は地侍の総称で四方を山に囲まれた地で勢力が分立し、室町時代まではそれぞれに傭兵として時の権力者たちに用いられていました。
伊賀者が結束し名を馳せたのは攻め入った織田信長を一度撃退したことと徳川家康の伊賀越えを警固した功績が大きく、特に服部半蔵は家康に重用された忍者として有名です。
こうした忍者の里では現代も観光の目玉として資料館や忍者屋敷、忍者村などがあり、様々なイベントを楽しむことができます。
全国の忍者関連の資料やイベントはこちらを参考にしてみてください。
さて、現代にもまだ忍者は存在しているのでしょうか?
いたとしても簡単には見つからないのが忍者ですよね。
密かに現代でも技術を駆使して暗躍しているとしたら…と想像すると歴史のロマンを感じます。
実はあなたの知り合いにも忍者がいるかも知れませんよ。
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