そう結び付くようになったのは昭和の父親世代が働き盛りの頃といわれています。
湯豆腐を肴に晩酌するお父さんの姿。
今では見られなくなりましたが、傍で割烹着を着たお母さんが時々お酌をしていそうな風景が目に浮かびます。
寄せ鍋やすき焼き、おでんなども具だくさんで美味しいのですが、シンプルで飽きがこない湯豆腐は、ガッツリ食べたい訳ではない時にピッタリ。
よっぽど高級な豆腐を使わない限り、とてもリーズナブルなメニューといえるでしょう。
1.豆腐の歴史
そんな庶民派の湯豆腐ですが、そのルーツを辿ると実は高級食材だったことが分かるのです。
豆腐は奈良時代の頃に大陸から伝わってきた食べ物。
それだけに当時は貴族や僧侶など、一部の上流階級の人達しか口に出来ない物でした。
古くからあるお寺の記録の中には、室町時代にかけて「唐符」(豆腐)に関係した記述も見られるそうです。
それらのことからも分かるように仏教とは深い関係にあったようで、現在に至るまで精進料理の食材としても用いられてきました。
また肉を食さない頃の人々にとっては、豆腐は貴重なタンパク源だったと思われます。
室町時代以降には精進料理が幅広く浸透し、庶民にも手が届く食材になりました。
2.冬の定番、湯豆腐
湯豆腐は京都・南禅寺の精進料理がその起源だといわれています。
当時は焼き豆腐を煮た物で、湯豆腐というよりはおでんに近い料理だったそうです。
現在の湯豆腐は昆布を敷いた鍋の中に水と豆腐を入れて温め、つけ醤油やポン酢にねぎや柚子、もみじおろし、かつお節などお好みの薬味と頂くものが一般的となっています。
湯豆腐はやはり寒い季節の食べ物の定番であることから、冬の季語にもなっています。
3.湯豆腐は癒し系?
冬の季語として使われる湯豆腐ですが、池波正太郎の「殺しの掟」という小説の中では「梅雨の湯豆腐」という短編で登場します。
「梅雨の湯豆腐?」と首を傾げる人も多いと思いますが、現代と違って昔の梅雨は肌寒さを感じることも多かったようです。
この小説の中では、1人の殺し屋が油揚げを入れた湯豆腐を食べるシーンが出てきます。
殺し屋という面を持つ一方で、質素ではあるけれど温かな湯豆腐を食べることを楽しみにしている男の孤独な生活が描かれています。
殺し屋だって湯豆腐には癒されちゃうのかも知れませんね。
4.太宰は大の湯豆腐好き
文学と湯豆腐の関係でいえば、あの太宰治は大の湯豆腐好き。
酒の肴として好み、「豆腐は酒の毒を消す 味噌汁はタバコの毒を消す」と良く言っていたそうです。
そんな太宰の小説「人間失格」に「湯豆腐で軽くお酒を飲むのが安いわりにぜいたくな気分になれるもの」という一文があります。湯豆腐好きの太宰本人が一番そう感じていたのかも知れませんね。
5.金網細工を知っていますか?
そんな湯豆腐に欠かせないアイテム。
いろいろありますが鍋から豆腐を取り出す時、お箸だと崩れるし…、でもお玉を使うとだしも一緒に入ってしまいます。
そんな時に活躍してくれるのが豆腐掬い。
湯豆腐杓子ともいうそうですが、鍋の季節には出番が多くなりますよね。
そんな鍋料理の必須アイテムである豆腐掬いを始め、茶こしや焼き網といった金網細工といわれる物を、ひとつひとつ手作りしているお店が京都にあるのです。
6.愛され続ける目立たない品格
金網で出来た豆腐掬いや茶こし、焼き網といった金網細工。
これらは「京金網」と呼ばれ、なんと平安時代から受け継がれている京都の伝統工芸品。
有名なのは「金網つじ」という京都・東山の高台寺近くにあるお店。
手編み・網の加工・曲げ、そして見た目の美しさへのこだわりを大切にしていて、豆腐掬いの小さい網の中央には「菊出し」といわれる菊の文様が入っているのです。
「金網つじ」では豆腐掬い茶こし、焼き網だけでなく、茶托、ぎんなんいり、天ぷらなどの盛り付けに使う盛り網、ワイヤーバスケットなどの商品も扱っています。
決してメインではなく裏方・脇役といったアイテムですが、その「目立たない品格」が長く愛される理由なのでしょう。
身体の芯から冷え切ってしまうような寒い1日を過ごした夜に恋しくなる湯豆腐。
土鍋の蓋を開けると立ち上る白い湯気。
その下から現れるのは、鍋の中でゆらゆら揺れてつややかな輝きを放つ豆腐達。
つけ醤油やポン酢に絡ませ口に入れた瞬間、「これぞ冬の醍醐味!辛い寒さもこの味の引き立て役」と思えるぐらいの喜びに包まれます。
さてさて、今夜は湯豆腐で一杯やりましょうか?