藍色、紺色、浅葱色…藍四十八色という言葉があり、明治時代に日本を訪れた外国人からジャパンブルーとも呼ばれたほど、私たちにとって特別な色、藍。
決して声高に主張するわけではないのに、生活のどのシーンにもすっとなじみ、
なんだかとっても存在感がある。なぜこんなにも魅力的なのでしょう?
藍と藍染めの魅力の理由をひも解いてみましょう。
1.藍染めの歴史
藍は人類最古の染料とも言われ、世界各地で使われていました。
日本にはおよそ1500年前に中国から朝鮮を経由して伝えられました。
平安時代までは主に宮廷や上流貴族が身に着ける高貴な色とされ、法隆寺や正倉院にも布類が多数保管されています。
鎌倉時代には武士が鎧の下に藍の一種「かちいろ」を身に着ける習慣が定着しました。
藍には消炎や解毒、止血の作用があることと、「かち」が「勝ち」と結びつき、縁起がよいとされたのです。
藍が庶民の間で花開いたのは江戸時代。
着物に作業着、のれんにのぼり、はては寝具まで。
江戸の町は藍色の町でした。
庶民の布地として主流となった木綿を最もよく染めたのが藍。
「染家」は藍染めを主とし、「紺屋」とも呼ばれていました。
2.藍の原料と染料になるまで
藍染めの原料はアイと名のつくさまざまな植物で、日本ではタデ科の一年草タデ藍が代表的。
日本では徳島県が藍の一大産地です。
昔、秋に毎年台風で氾濫を起こしていた吉野川は、洪水によって肥沃な土壌を生み出しました。
春に種をまき、夏に刈り取れる藍は被害を受けることなくその恩恵にあずかれたのです。
さて、藍はどのように染料になるのでしょう?
刈り取った葉を1cmほどに刻み、茎と葉に分けます。
葉をほうきで幾度もひっくり返しながら天日干しで乾燥させ、大きなむしろに詰めて土間のある建物で保管します。
その後水を打ち、攪拌すると葉の微生物が自然に発酵を始め、湯気が上がるほどになります。
藍師と呼ばれる職人が、数日ごとに水をやり、混ぜ返し、寒ければむしろをかけ、およそ100日後、ていねいに休みなく世話をして、ようやく師走の時期に染料液(すくも)が完成します。
染色家に送られると、すくもは発酵の栄養となるフスマや、灰汁、酒などともに甕に入れられます。
こうして1週間ほど発酵させ、この液のなかで布を染めては調整し、数日かけて染め上げます。
これが江戸時代から続く日本独自の藍染めの技法です。
3.藍の魅力とは?
藍の魅力を一言でいうと、「生きている」という言葉で言い表されます。
染めてからの数年は赤味を帯び、落ち着くまで5年ほどかかります。
10年後には繊維の奥に入り込んで深みのある色が定着し、20年後にはいっそう冴えて鮮やかに美しくなります。
また、木綿、麻、絹どんな生地にもよく染まり、布の耐久性を増します。
微妙な色の濃淡で剛健にも上品にも表情を変えるのも魅力。
実用面でも虫や蛇を寄せつけないことから山や畑作業にも重宝されます。
保温性にすぐれ、肌荒れも起こしにくいため、赤ちゃんの衣服にも最適です。
4.インディゴとはどう違うの?
ジーンズの色としておなじみのインディゴ。
藍とはどのように違うのでしょうか?
西洋で用いられていた青藍の染料は主にインドから輸入されるインディゴでした。
インディゴは水に溶けないため、16世紀のヨーロッパの染物屋は苦労したようです。
19世紀にドイツでインディゴの化学合成に成功すると、やがて工業生産されるように。
天然よりも合成品のほうが、不純物がないため鮮やかに染まります。
ジーンズが開発されるとアメリカにもわたり、大量生産されるようになりました。
藍染めとは異なり、着古したり、洗濯するたびに色褪せる欠点は、若者にはかえって魅力でした。
これにより天然インディゴはほぼ壊滅。
ヨーロッパの伝統的な藍染め技法も今では見ることができません。
5.藍染めをもっと身近に
日本でも明治時代にはインディゴの輸入が増え、天然の藍が途絶えそうになったことがありました。
しかし、藍師が戦時中も種も守り、藍作りを続けてくれたおかげで、現代の私たちまで伝統が受け継がれているのです。
現在いくつかの県では藍染めを無形指定文化財として保護しています。
伝統的な藍染めを体験できる工房も少なくありません。
そうした地道な努力が実り、近年日本だけではなく海外でも注目され、シャツやストール、デニムなどがファッショナブルに取り入れられています。
生きた染料藍の魅力をあなたも実感してみてください。
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