秋の長雨、しとしと降り続く毎日になんとなく気分が塞ぐなら、傘を変えてみてはいかがでしょうか。
粋な蛇の目で出かければ雨の音も耳に心地よく響き、心が軽やかになるかも知れません。
和傘の歴史
傘は雨具であった笠に長柄をつけたのが始まりと言われています。
古くは布を張ったものだったので「キヌガサ」と呼ばれましたが、使うことができるのは貴族など特別な身分の人に限られました。
平安時代には紙張りの傘も存在しましたが、雨具というよりは日除けの役割の方が大きかったようです。
鎌倉時代になると朱色の紙張りの傘が出て、武士や僧侶は日除けにも雨除けにも使用しました。
閉じられる傘の登場は安土桃山時代に入ってからですが、広く庶民に広まったのは江戸時代以降です。
元禄年間には蛇の目傘が登場し、関西から江戸、全国に伝わったのち武士の内職としても製造されていました。
しかし明治以降洋傘の台頭に押され、残念なことに今では目にする機会が少なくなってしまいました。
和傘の種類
江戸時代には庶民も使っていた和傘ですが細かい分類がありました。
- 爪折傘(つまおれがさ)
- 蛇の目傘
- 大黒屋傘(番傘)
- 紅葉傘
骨の先端が内側に曲がっている構造の傘。貴族は朱色、武士は白色と決まっていた。
17世紀末から作られ、歌舞伎の小道具として使われたことで流行した。地の色とは異なる色で輪が描かれているのが特徴で、魔除けの力がある蛇の目に似ているとして名付けられた。
一家の主人が使う渋蛇の目、家紋を描き女性も使った黒蛇の目などがある。
太い竹製の骨組みに厚い紙を貼り、蛇の目よりも質素で頑丈な傘。番号が書かれており、商店がお客に貸し出すことで店の宣伝効果もあった。
中央を青土佐紙、その周囲を白い紙で張った江戸で流行した傘。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
雨に濡れると重くなり、日常的なお手入れも必要ですが元々は実用品である和傘。
最盛期には1500万本を誇った岐阜和傘も現在は年間数万本にまで減ってしまいました。
伝統を受け継ぐには職人の育成だけでなく使い手も必要です。
特別な機会だけではなく、ぜひ身近なアイテムとしてお持ちいただきたい逸品です。