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文豪のラブレター|感動する作家の恋文一覧

原稿用紙の画像|四季の美
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原稿用紙の画像|四季の美

ラブレター、日本の言葉でいう恋文(こいぶみ)は、手紙の中でも最も書き手の想いが込められたものといえます。
SNSの時代になり、好きな人への告白もLINEで行うという人も増えていますが、手段は変わっても想いを伝える言葉には昔も今も変わりはありません。

そこで今回は、言葉を扱うプロである文豪・作家5人の心に響くラブレターをご紹介したいと思います。

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芥川龍之介のラブレター

芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)が恋文を送ったのは、8歳年下の塚本文(つかもとふみ)。
ふみは芥川の親友の姪で、最初に出会った時はまだ8歳の少女でした。
その後成長したふみと再会し、恋心を抱いた芥川が送った手紙です。

[大正5年8月25日の手紙]

文ちゃん。
僕はまだこの海岸で、本をよんだり原稿を書いたりして暮らしています。
何時(いつ)頃うちへかえるか、それはまだはっきりわかりません。
が、うちへ帰ってからは、文ちゃんにこう云う手紙を書く機会がなくなると思いますから、奮発して一つ長いのを書きます。
ひるまは仕事をしたり泳いだりしているので、忘れていますが夕方や夜は東京がこいしくなります。
そうして、早く又、あのあかりの多いにぎやかな通りを歩きたいと思います。
しかし、東京がこいしくなると云うのは、東京の町がこいしくなるばかりではありません。
東京にいる人もこいしくなるのです。
そう云う時に、僕は時々文ちゃんの事を思い出します。
文ちゃんを貰いたいと云う事を、僕が兄さんに話してから、何年になるでしょう。(こんな事を文ちゃんにあげる手紙に書いていいものかどうか知りません。)
貰いたい理由は、たった一つあるきりです。
そうしてその理由は、僕は文ちゃんが好きだと云う事です。勿論昔から好きでした。
今でも好きです。
その外(ほか)に何も理由はありません。
僕は世間の人のように、結婚と云う事といろいろな生活上の便宜という事とを一つにして考えるこ事の出来ない人間です。
ですから、これだけでの理由で、兄さんに文ちゃんを頂けるなら頂きたいと云いました。
そうしてそれは、頂くとも頂かないとも、文ちゃんの考え一つできまらなければならないと云いました。
僕は今でも兄さんに話した時の通りな心もちでいます。
世間では僕の方を何と笑ってもかまいません。
世間の人間はいい加減な見合いと、いい加減な身元しらべとで造作なく結婚しています。
僕にはそれが出来ません。
その出来ない点で、世間より僕の方が余程高等だとうぬぼれています。
兎に角僕が文ちゃんを貰うか貰わないかと云う事は全く文ちゃん次第できまる事なのです。
(略)
僕には文ちゃん自身の口からかざり気のない返事を聞きたいと思っています。
繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。
それでよければ来て下さい。
この手紙は人に見せても見せなくても、文ちゃんの自由です。
(略)
僕がここにいる間に、書く暇と書く気があったら、もう一度手紙を書いて下さい。
「暇と気があったら」です。
書かなくってもかまいません。が、書いて頂ければ尚うれしいだろうと思います。
これでやめます。皆さまによろしく。

[大正6年4月16日の手紙]

こないだは、よく来てくれましたね。
人が来たり何かして、していられなかつたのが、残念です。
二人だけで、何時までも話したい気がしますが、そうも行きません。
(略)
来年の今頃にはもう、うちが持てるでしょう。
尤も月給が六十円しかないんだから、ずいぶん貧乏ですよ。それでやって行くのは苦しいが、がまんして下さい。
苦しい時は二人で一しょに苦しみましょう。その代り楽しい時は二人で一しょに楽しみましょう。
そうすれば又、どうにかなる時が来ます。
下等な成金になるより上等な貧乏人になった方がいいでしょう。そう思っていて下さい。
僕には僕の仕事があります。それも楽な仕事ではありません。
その仕事の為にはずいぶんつらい目や苦しい目にあう事だろうと思っています。
しかしどんな目にあっても、文ちゃんさえ僕と一しょにいてくれれば僕は決して負けないと思っています。
これは大げさに云っているのでも何でもありません。ほんとうにそう思っているのです。
前からもそう思っていました。
文ちゃんの外に僕の一しょにいたいと思う人はありません。文ちゃんさえ、今のままでいてくれれば。
今のように自然で、正直でいてくれれば、そうして僕を愛してさえいてくれれば。
何だか気になるからききます。
ほんとうに僕を愛してくれますか。
この手紙は文ちゃん一人だけで見て下さい。
人に見られると気まりが悪いから。

[大正6年9月5日の手紙]

手紙が行きちがいになりました。
今文ちゃんの手紙を見ましたから、又之を書きます。
(略)
文ちゃん以外の人と幸福に暮す事が出来ようなぞとは、元より夢にも思ってはいません。
僕に力を与え、僕の生活を愉快にする人があるとすれば、それは唯文ちゃんだけです。
だから僕には文ちゃんが大事です。
昔の妻争いのように、文ちゃんを得る為に戦わなければならないとしたら、僕は誰とでも戦うでしょう。
そうして勝つまでやめないでしょう。
それ程に僕は文ちゃんを思っています。
僕はこの事だけなら神様の前へ出ても恥しくはありません。
僕は文ちゃんを愛しています。文ちゃんも僕を愛して下さい。
愛するものは何事をも征服します。
死さえも愛の前にはかないません。
僕が文ちゃんを何よりも愛していると云う事を忘れないで下さい。
そうして時々は僕の事を思い出して下さい。
僕は今みじめな下宿生活をしています。
しかし文ちゃんと一しょになれたら、僕は僕に新しい力の生まれる事を信じています。
そうすれば僕は何も怖いものがありません。
(略)
又長くなったから、これでやめます。
ひまがあったら手紙を書いて下さい。

[大正6年11月17日の手紙]

拝啓
旅行中度々手紙を有難う。
十日の朝は五時や五時半ではまだ寝むくって、大船を通ったのも知らずに寝ていはしませんでしたか。
(略)
こんどお母さんがお出での時、ぜひ一緒にいらっしゃい。その時ゆっくり話しましょう。
二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします。
そうしてkissしてもいいでしょう。いやならばよします。
この頃ボクは文ちゃんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします。
嘘じゃありません。
文ちゃんがボクを愛してくれるよりか二倍も三倍もボクの方が愛しているような気がします。
何よりも早く一しょになって仲よく暮しましょう。
そうしてそれを楽しみに力強く生きましょう。
これでやめます。

佐藤春夫のラブレター

佐藤春夫(さとうはるお)が恋文を送った相手は、谷崎千代(たのざきちよ)。
なんと友人である谷崎潤一郎の妻でした。
後に”細君譲渡事件”によって千代は谷崎潤一郎と離婚、佐藤春夫と再婚しています。

[大正10年1月28日の手紙]

いろいろの感情が心へ一ぱいこみ上げて来るので、思う事の十分の一も書けるかどうかわからない。
けれどもあんまりさびしいので、そうしてまた逢える日まで我慢が出来ないので手紙を書く。
(略)
あなたは私がどんなにあなたにこがれて居るかを察してくれないと見えますね。
私の今生きているのぞみは、あなたを一目見ることです、あしたは来てくれるか、その次の日にも来てくれるかとそればかり考えて、外の事はちっとも手につかないのです。
私は五分間とあなたのことを忘れたことはないのですよ。
私は一そう忘れてしまいたい。
胸がいっぱいで鉛か何かでも飲んだように重くるしくて、こんな日が半年もつづけば自然と死んでしまいそうに思える。
死ぬなら死んだ方がいい。
(略)
ああ、私も妻がほしい、子供もほしい。人間なみの幸福をうけたい。
私はしたい方だいがしたいのではない。ただ人間なみのことがしたいのだ。
私はどんな不幸な人間で、それだけのことも出来ないのだろうか。
さびしい。
あなたは今ごろ谷崎とたのしそうに何か話していることだろう。
私はあなたと夫婦になって、あなたに僕の子を生んでもらって、静かに平和に一生をおくりたい。
それより外には何の希望もない。
あなたは僕を恋しいと言ってくれるくせに、何一つ僕のために犠牲を払ってくれようとはしない。
ほんとうの恋というものはそんなものじゃないと思う。
僕はあなたのためになら命の外なら何でもすてる。
若しかすると命でもすてたい。
(略)
お千代さんの効能はエライもので、今朝来てくれたので、今日は原稿を六枚も書いた。
お千代さんお千代さん。
今晩はほんとうに甘く切なく恋しい。
いつものようにいらいらして恋しいのではない。
この前の晩に来てくれた時もそうであったが。でも、また二、三日も逢えないと思うと今から悲しい。
ーーそうそう。
今朝がた夢であなたと夫婦になった、面白いたのしい夢を見たっけが話すのを忘れていた。
あなたもこの間何か夢を見たそうだがそれも聞こうと思って忘れていた。
こん度来たら聞こう。
(略)

谷崎潤一郎のラブレター

前項で紹介した谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)が千代の後に結婚したのが、古川丁未子(ふるかわとみこ)でした。
しかし丁未子とは結局2年で離婚し、その後根津松子(ねづまつこ)と結婚することになります。
その2人へのラブレターです。

[昭和6年1月20日の手紙] 古川丁未子宛

(略)
私は過去に於いて恋愛の経験が二、三度ありますが、ほんとうに全部的に精神的にも肉体的にもすべてを捧げて愛するに足る女性に会ったことはなかった。
それが私の唯一の不満であった。もっと突込んで言うならば、私の芸術の世界における美の理想と一致するような女性、ーーもしそう云う人が得られたら、私の実生活と芸術生活とは全く一つのものになる。
私の芸術は実はあなたの芸術であり、私の書くものはあなたの生命から流れ出たもので、私は単なる書記生に過ぎない。
私はあなたとそう云う結婚生活を営みたいのです。
あなたの支配の下に立ちたいのです。
そして今一度、私に青春の活力と情熱を燃え上らして貰いたいのです。
(略)

[昭和7年9月2日の手紙] 根津松子宛

昨日は森田様より御ていねいな下され物を頂き恐入りました。
(略)
まだこんな事にならぬうちは御顔さえ拝めれば、そして時々何かの御用さえ勤められればそれが身にあまる幸福と思っていましたのに此頃はほんとうに勿体ないことだと存て居ります。
以前の事を考えましたらもう此れだけでも根津様の御好意を感謝するのが当り前、何のかのと勝手がましいことは申せた義理ではございません。
自分を主人の娘と思えとの御言葉でございましたがその仰せがなくとも、とくより私はそう思って居りました。
一生あなた様に御仕へ申すことが出来ましたら、たといそのために身を亡ぼしてもそれが私には無上の幸福でございます。
はじめて御目にかかりました日からぼんやりそう感じておりましたが、殊に此の四、五年来はあなた様の御蔭にて自分の芸術の行きつまりが開けてきたように思います。
私には崇拝する高貴の女性がなければ思うように創作が出来ないのでございますが、それがようよう今日になって始めてそう云う御方様にめぐり合うことが出来たのでございます。
実は去年の『盲目物語』なども始終あなた様の事を念頭に置き、自分は盲目の按摩のつもりで書きました。
今後あなた様のお陰にて私の芸術の境地はきっと豊富になることと存じます。
たとい離れておりましても、あなた様のことさえおもっておりましたら、それで私には無限の創作力が湧いて参ります。
しかし誤解を遊ばしては困ります。
私に取りましては芸術のためのあなた様ではなく、あなた様のための芸術でございます。
もし幸いに私の芸術が後世まで残るものならばそれはあなた様というものを伝えるためと思召して下さいまし。
勿論そんな事を今直ぐ世間に悟られては困りますが、いつかはそれも分る時機が来るとおもいます。
さればあなた様なしには私の今後の芸術は成り立ちませぬ。
もしあなた様と芸術とが両立しなくなれば私は喜んで芸術の方を捨ててしまいます。
何の用事もございませぬが、四、五日御目にかかれませぬので、此の手紙を認めました。
多分五日か六日の午後に御うかがいいたします。
今日から御主人様と呼ばして頂きます。

若山牧水のラブレター

歌人、若山牧水(わかやまぼくすい)が恋文を送った相手は、太田喜志子(おおたきしこ)。
後に喜志子は実家の親兄弟に黙って牧水の元へいくことになります。

[明治15年4月13日の手紙]

十一日お出しになった手紙、只今到着、これとても早い方ではないのに、六日に出したのが、九日に届くに至っては言語道断といわねばなりませぬ。
(略)
あなたも無く、私もないという気持になりたいではありませんか、また私はいまその気持になっています。
充分あなたに甘えたい、自分の心の、生命の痛みつめるまであなたに甘えたい。
甘えさして下さい。
(略)
あなたも睡る気持。私も睡る気持ち。
一切を超越して、添寝の日を続けましょう。
ね、そうしましょう。
嗚呼、あなたが恋しい!
あなたの胸のあたりを鋭い刃物で、さし貫き度い気がしてなりません。
(略)
すぐ結婚(ということを)するのは見合わせましょう。
人目を忍び合う心持をも味いましょうよ。ね、その日のキスをも尽しましょう。
でも、私はどうでもいい、どうぞ、御随意に!
月々三円くらいはどうにでもします。
屹度私がどうにかします。それは御心配なく。
海にも是非行きましょうね、初夏の海は、とりわけても青いから!明るいから!
飛び込もうなんて言いっこなしですよ、まだ殺し度くない、死に度くない。
もう暗くて、字が見えません。
石川啄木君が今朝の九時半に死にました。
私は独りその臨終の枕もとに坐っていたのです。
くわしいことが云いたいが、いま手紙にかくのはいやです。
逢ってにしましょう。ただ黙っておきます。
今夜もこれから行って通夜です。
原稿用紙も明日あたり買っておくります。

島村抱月のラブレター

評論家、劇作家の島村抱月(しまむらほうげつ)が恋文を送った相手は、女優の松井須磨子(まついすまこ)。
抱月が演出した「人形の家」で須磨子が主演と務めた事がきっかけで、徐々に師弟関係から恋愛関係へ発展していきます。
抱月には妻がいた為、恩師の坪内逍遥は2人の不倫関係をやめさせようとしますが、抱月は従いません。
そして抱月がスペイン風邪によって急逝すると、その2ヶ月後に須磨子も自殺をしてしまいます。
遺書には抱月の墓に埋葬して欲しいと書かれていましたが、その願いが叶えられる事はありませんでした。

[大正元年8月の手紙]

今日あれから半日、向うにいて、あの手紙をよみ返しては、抱きしめたり接吻したりして、ボンヤリ考えこみ考えこみしていました。
全くうれしい手紙、なつかしい手紙、それから悲しい手紙、出来るならいつまでもいつまでも肌につけてはなさないでいたいと思った。
(略)
命と思う恋は神聖だもの、一そ世間へ知れるなら知れてみよという気になります。
いつまでも、こんな思いをしていては、ぼくはからだがつづかなかろうと思う。どうしたらいいかしら。
どうしてぼくはこう深く思いこんでしまったのだろう。
今なんかもぼくの頭は、あなたの外なんにもなくなっています。
あなたのことを思えば、ただうれしい。
世間も外聞もありはしない。
すぐにも駆け出して抱いて来ようかと思うほどです。
あなたはかわいい人、うれしい人、恋しい人、そして悪人、ぼくをこんなに迷わせて、此上はただもうどうかして実際の妻になってもらう外、ぼくの心の安まる道はありません。
ぼくはどうかして時機を作るから、それまで必ず待っていてちょうだい。
今日の手紙にあったように、そんな望はないなんていいっこなし。
つまになってやるといってちょうだい。
場合によってはぼくの体と心だけ一しょになれば、名前なんかどうだっていいでしょう。
そしてどこの世界の果へ行ってすんでもいいと思ってくれなくて?
(略)
ただあなたがかわいい、忘られない。恋しい恋しい。こうして書いているあいだでも筆をやめては抱きあって、キッスしている気持になる。
ぼくも六月十二日の名古屋のあの晩をハッキリおぼえています。
それから七月二十五日の晩も大事な大事な日、又名古屋の僕のざしきでの泊、大阪ではあなたの敷ねしてくれた袴をはく時のうれしさ。
それから名古屋で三幕(目)で休んでいる時、じっと椅子のかたわらで抱きしめてる間のムネの動悸、ああどうしてこれらの記憶が忘られよう。
かわいい、かわいい、永久にぼくのものね、いいかえ。
(略)
全くふしぎな恋だとぼくは思う。
少なくともぼくにとっては、生れてはじめてこんなに深く深く胸の底から物を思うようになりました。
この恋をとり去ったら、ぼくの命はなくなってしまいましょう。
ぼくもこの恋をはじめてから人前をつくろう工風もいろいろするようになった。
恋はいろんなことを教えるものね。
けれども二人の仲だけは必ず必ず打ち明けっこよ、死のうと生きようと必ず相談することね。
本当本当の夫婦よ、心も体も一となることね。
(略)
これから手紙はいつでも一番しまいの所を字の上でも何でもかまわないから、べったりぬれるほどキッスして送りっこね。
そうすると、受けとったほうでもそこをキッスすることね。
毎日十二時の思い、今でもつづけて下さい。
(略)
今夜は一時近くまでかかって、この手紙を書いて、これからねて、あなたの夢でもみたい。
土曜の晩のようなのでなく、うれしいうれしい夢を。
そして抱きしめて抱きしめて、セップンしてセップンして。
死ぬまで接吻してる気持になりたい。
まアちゃんへ、キッス、キッス。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は文豪・作家が書いた情熱的なラブレターをご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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