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論語とは?孔子の思想を伝える中国古典|儒教についてと内容解説|原文と現代語訳|中学・高校教科書古典

中国
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中国の思想家・孔子の教えを弟子たちがまとめたものが『論語』です。
『論語』といえば、日本の道徳思想の源流ともいえる考え方の1つ。
中学や高校の教科書にも掲載される、漢文のなかでも有名な作品です。

そこで今回の記事では、『論語』についてわかりやすく簡単に解説していきます。
中国古典を知るうえで重要な思想や、孔子の人生、有名な一節についても解説するので、『論語』を学びたい方はぜひチェックしてみてください。

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孔子とは

中国
孔子とは、中国・春秋時代の思想家です。
『論語』は孔子の思想を最もよく表していると言われる書物。
『論語』について確認する前に、まずは孔子について学んでおきましょう。

孔子の生涯

孔子は魯の国に生まれ、早くに父を亡くして母子家庭で育ちました。
生活苦を乗り越え、倉庫や牧場を管理する役人になると、そこから少しずつ出世して政界へ入ります。

カリスマ性と高い知性を発揮し、孔子のもとには多くの弟子が集まりました。
しかし、権力者と衝突して失脚。
その後は弟子の育成に注力しつつ、諸国を放浪して思想を遊説して歩きます。
祖国に帰ってからも政界には戻らず、私塾で弟子を教え育てました。

孔子の思想

中国で戦乱が広がるなか、孔子は周王朝への復古を主張しました。
身分制度の回復・仁道政治を掲げ、武力による統治を批判したのです。

孔子が主張した家族的な秩序や規範を重んじた倫理・道徳に基づく思想は、諸国から尊重はされたものの、受け入れられることはありませんでした。
孔子のこうした思想は「儒教」として世界に大きな影響を与えています。
中国でも19世紀まで国学として尊重され、立身出世には必要不可欠な学問として扱われました。

儒教の教えの中心「仁」

儒教の基本的な思想に「五常の徳」というものがあります。
「五常の徳」とは「仁・義・礼・智・信」のこと。
その中でも「仁」は徳の基本とされます。

「仁」は、人同士がお互いを思いやり、親しい関係であることをあらわす言葉です。
仁とは「人を愛すること」、仁から「孝」(親への愛)や「悌」(年長者・兄への愛)が生まれると説きました。

儒学では、家族の間で育まれる愛を重要視しています。
家族のあいだでの思いやりの心は、地域や国、世界でも大事なものであると孔子は主張したのです。

■「仁」について説かれている例①

【漢文(白文)】
人而不仁、如礼何、人而不仁、如楽何

[書き下し文]
人にして仁あらずんば、礼をいかにせん。人にして仁あらずんば、楽(がく)をいかにせん。

[現代語訳]
人を思いやる気持ちがなければ、礼が何になるだろう。人を思うまごころがなければ、楽の音も心には響かない。

■「仁」について説かれている例②

【漢文(白文)】
君子去仁、悪乎成名。
君子無終食之間違仁、造次必於是、顚沛必是。

[書き下し文]
君子仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。
君子は終食の間も仁に違ふこと無く、造次にも必ず是(ここ)に於いてし、顚沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす。

[現代語訳]
君子が(自分の身から)仁を遠ざけなければ、どこに名を残すことができようか、いや残すことはできない。
君子は食事を終えるまでの間(それほど短い間)であっても仁の道に違うことはなく、とっさの時であっても必ず仁に基づいて行動をし、つまずき倒れるような場合でも、仁をもって行動をするのである。

「仁」を構成する「恕」「忠」

「恕」とは、思いやり、仁愛の気持ちのこと。
『論語』のなかでは「恕」は以下のように使われています。自分がしてほしくないことは、人にしない。それが思いやりの心(恕)です。

【漢文(白文)】
子貢問曰、「有一言而可以終身行之者乎。」子曰、「其恕乎。己所不欲、勿施於人。」

[書き下し文]
子貢問ひて曰はく、「一言にして以つて終身之を行ふべき者有りや。」と。子曰はく、「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ。」と。

[現代語訳]
子貢が質問して言うことには、「一言、生涯貫き通すべき言葉はありますか。」と。孔子先生がおっしゃることには、「それは恕(思いやりの心)であろうか。自分がしてほしくないことは、他人にもしてはならない。」と。

「忠」とは、真心のことです。
孔子が説く「忠」は一般に友人関係に用いられ、人に対する「誠意や真心をこめた行為」を指しています。

孔子は、「忠」だけでは独りよがりな行為になる可能性があると言います。
「忠」と「恕」が一体となって初めて「仁」になるのです。
以下に「忠恕」について述べられている『論語』の一節を引用します。

【漢文(白文)】
「吾道一以貫之。」曾子曰、「唯。」子出。門人問曰「何謂也。」曾子曰、「夫子之道。忠恕而已矣。」

[書き下し文]
「吾が道一以て之を貫く。」曽子日く、「唯」と。子出づ。門人問ひて日く、「何の謂ぞや」。曾子日く、「夫子の道ば忠恕のみ。」

[現代語訳]
わが道は、一つのもので貫かれている。曽子曰く、「はい」」と。孔子が出て行くと、門人たちが曽子にたずねた。どういう意味ですか、と。曽子曰く「先生が説く道は、忠恕のみだ」。

孔子の弟子たち

孔子の弟子は約3000人にも及び、そのうち特に優秀な弟子のことを「孔門十哲」と呼びます。
徳行・言語・政事・文学という4つの科目に分け、それぞれの分野で特に秀でた人をあげているのです。
弟子たちの名前は『論語』のなかにも登場しています。

【漢文(白文)】
子曰、從我於陳・蔡者、皆不及門也。徳行、顔淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏。(『論語』先進篇)

■徳行
顔淵(がんえん)(顔回(がんかい))
閔子騫(びんしけん)
冉伯牛(ぜんはくぎゅう)
仲弓(ちゅうきゅう)

■言語(弁舌の才)
宰我(さいが)
子貢(しこう)

■政事
冉有(ぜんゆう)
季路(きろ)(子路(しろ))

■文学(学問の才)
子游(しゆう)
子夏(しか)

孔子自身は73歳でこの世を去りますが、孔子の思想は後世に弟子たちによってまとめられていきます。
こうして、孔子の死後約400年かけて作られたのが『論語』です。

『論語』とは

書道用具
『論語』とは、孔子による儒教の経典のことです。
10巻20篇から成り、孔子の教えを伝える最も確実な文献とされます。
『大学』、『中庸』、『孟子』と合わせて儒学の基本となる古代中国の大古典「四書」と称されます。

孔子の死後に、弟子たちが書き留めていた孔子の言葉をまとめて作ったものというのが通説です。
『論語』の前半・後半で文体がやや違うこと、後半ではストーリーのある小説的記述があることから、後半は弟子の弟子が書いているのではないかと推測されています。

社会的人間としての個人のあり方、国家の政治にかかわる道徳的思想が中心です。
「忠」「恕」に基づく人間愛としての「仁」……親への孝行、年長者への悌順などが説かれています。
弟子への愛情が伝わる言葉や、孤高の独白のようなものも見られます。

日本には応神天皇の時代(5世紀頃とされるが不詳)に百済の王仁(わに)によりもたらされたとされています。
以後江戸末期に至るまで多くの注釈書が出され、多くの人に読み継がれてきました。

『論語』の有名な一節と現代語訳

では実際に、『論語』に収録されている一節を読んでみましょう。
中学校・高校の教科書に載っているような有名なもの、四字熟語の由来になったものを中心にまとめているので、原文と合わせて確認してみてください。

學而時習之

【漢文(白文)】
子曰、學而時習之。不亦説乎、有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。

[書き下し文]
子曰く、学びて時に之を習う。亦説ばしからずや。朋有り、遠方より来る。亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。

[現代語訳]
孔子は言いました。「習ったことを、機会があるごとに復習し身につけていくことは、なんと喜ばしいことだろうか。友人が遠方からわざわざ私のために訪ねてきてくれることは、なんと嬉しいことだろうか。人が私を認めてくれないからといって不平不満を言うことはない。これを君子と言うのではないだろうか。」と。

吾十有五而志乎学

【漢文(白文)】
子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。

[書き下し文]
子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず 。

[現代語訳]
孔子は言いました。「私は15歳のときに学問を志し始めた。30歳になったときに独り立ちをした。40歳になったときには惑わされることがなくなった。50歳のときに自分の天命を理解した。60歳のときにようやく人の意見に素直に耳を傾けられるようになった。70歳になって、自分の思うように行動をしても人の道をはずすことはなくなった。」と。

温故知新

【漢文(白文)】
子曰、温故而知新、可以為師矣。

[書き下し文]
子曰く、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る、以って師と為るべし。

[現代語訳]
孔子は言いました。「古くからの伝えを大切にして、新しい知識を得て行くことができれば、人に教える師となることができるだろう。」と。

学而不思則罔

【漢文(原文)】
子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。

[書き下し文]
子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。

[現代語訳]
孔子は言いました。「学んで、その学びを自分の考えに落とさなければ、身につくことはない。また、自分で考えるだけで人から学ぼうとしなければ、考えが凝り固まってしまい危険だ。」と。

見義不爲無勇也

【漢文(原文)】
子曰、非其鬼而祭之諂也。見義不爲無勇也。

[書き下し文]
子曰く、其の鬼に非あらずして之を祭るは、諂うなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。

[現代語訳]
孔子は言いました。「自分の祭るべき霊でもないものを祭るのは、へつらいだ。行うべき正義を眼前にしながら、それを行わないのは勇気がないのだ。」と。

巧言令色

【漢文(白文)】
子曰、巧言令色、鮮矣仁。

[書き下し文]
子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。

[現代語訳]
孔子は言いました。「人に気に入られるように、口先でうまいことだけ言って中身が伴わない人間には、思いやりの心がないものだ。」と。

聞一以知十

【漢文(白文)】
子謂子貢曰、女與回也孰愈、對曰、賜也何敢望回、回也聞一以知十、賜也聞一以知二、子曰、弗如也、吾與女弗如也。

[書き下し文]
子、子貢に謂いて曰わく、女(なんじ)と回(かい)と孰(いず)れか愈(まさ)れる。対(こた)えて曰わく、賜や、何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて十を知る。賜や一を聞きて以って二を知る。子の曰わく、如かざるなり。吾れと女と如かざるなり。

[現代語訳]
孔子が子貢におっしゃることに、「お前と顔回と、どちらが勝っているか。」答えて子貢が言うことに「賜は、どうして顔回のようになれることを望むでしょうか。顔回ときたら一を聞いて十を知ります。賜などは一を聞いて二を知るにすぎません。」先生がおっしゃった。「そう。お前は顔回に及ばない。そして私も及ばないのだ。」と。

過而不改、是謂過矣

【漢文(白文)】
子曰、「過而不改、是謂過矣。」

[書き下し文]
子曰はく、「過ちて改めざる、是(これ)を過ちと謂(い)う。」

[現代語訳]
孔子がおっしゃった。「過ちを犯して改めない、これを過ちというのだ。」と。

過猶不及

【漢文(白文)】
子貢問、「師與商也敦賢」。
子曰、「師也過。商也不及」。
曰、「然則師愈與」。
子曰、「過猶不及」。

[書き下し文]
子貢問ふ、「師(し)と商(しょう)と敦(いづ)れか賢(まさ)れる」と。
子曰く、「師や過ぎたり。商や及ばず」と。
曰く、「然(しか)らば則(すなは)ち師(し)愈(まさ)れるか」と。
子曰く、「過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし」と。

[現代語訳]
子貢がたずねた。「師(子張)と商(子夏)とでは、どちらがすぐれているでしょうか。」と。
孔子がおっしゃった。「師は(才気にまかせて)ゆき過ぎるところがあり、商は(控えめすぎて)足りないところがある。」と。
子貢が重ねてたずねた。「それでは師のほうがまさっているのですか。」と。
孔子がおっしゃった。「ゆき過ぎるのは、足りないのと同じようなものだ。」と。

徳不孤、必有鄰

【漢文(白文)】
徳不孤。必有鄰。

[書き下し文]
徳は孤ならず、必ず隣あり

[現代語訳]
徳のある人はけっして孤立しない。必ず理解し協力する人が出てくるものである。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は中学校や高校の教科書にも載っているくらい有名な、中国古典である孔子の「論語」についてわかりやすく簡単に解説しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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