いまはあまり見かけなくなりましたが、かつてそろばんは会社や学校に欠かせない道具でした。
そろばんは細い棒に通した珠(たま)を移動させることで数を表し、計算をします。
世界各地にそろばんのような計算道具はありますが、日本を含む東アジアでは独自に発達をしました。
そろばんは英語で「Japanese abacus」または、そのまま「soroban」です。
日本にそろばんがどのように伝わり、広まっていったかを紹介します。
1.そろばんの歴史
アステカ、アラブ、バビロニア、中国など世界各地に起源説が
世界のどこで、いつそろばんが発明されたかはハッキリしていません。
ただ、紀元前からそろばんに似た計算道具や方式が使われていたことは解っています。
メソポタミアでは砂地に石を置いて数を表す「砂そろばん」を計算に使用。
ギリシャではテーブルの上に石を置いて計算し、これを持ち運べるようにした「abacus」を発明しました。
これが現在のそろばんの原型ではないかといわれています。
ギリシャのサラミス島で発見された紀元前300年ごろのabacusは「サラミスのそろばん」といわれ、現存する世界最古のそろばんです。
日本へは室町時代に伝来
中国では2世紀ごろに珠を使ったそろばんが作られ、14~16世紀ごろ広く普及しました。
このそろばんが室町時代に日本へ伝来。
1570年代に編纂された『日本風土記』には、そろばんが「そおはん」の名で登場します。
「そろばん」の名は、「算盤」の中国語読み「すわんぱん」が変化したものという説が有力です。
戦国武将の前田利家は「そろばんが得意な武将」といわれ、前田利家が使ったとされるそろばんが「現存する日本最古のそろばん」として残っています。
江戸時代の寺子屋、そして電卓やコンピューターの時代へ
江戸時代になると商業が栄え、そろばんは商人に必須の技術になります。
また江戸時代には「寺子屋」ができ、武家の子どもだけでなく庶民の子どもも学問に励みました。
寺子屋では「読み 書き そろばん」が教えられたそうです。
その後も商業の場を中心に、そろばんはなくてはならない道具として普及していきます。
昭和の半ばまでは銀行や経理などの求人で「そろばんができるか否か」が問われ、街には「珠算教室」が多くありました。
現在は電卓とコンピューターの登場により、そろばんは使われなくなっていきました。
2.日本のそろばん2大産地
そろばんは「珠(たま)」、「枠」、「芯(しん)」からなります。丈夫で長期使用に耐え、珠の滑りがよいものが望まれます。かつては日本各地にそろばんの産地がありましたが、現在では主に2つの産地で作られています。
- 兵庫県「播州そろばん」
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そろばん生産のシェア70%を占め、日本一の生産規模を誇るのが、兵庫県小野市の「播州そろばん」です。
播州そろばんの歴史は戦国時代、播磨国美嚢郡の住民たちが豊臣秀吉の三木城から逃れたことからはじまります。住民たちが逃げたのは「大津そろばん」が作られていた近江(滋賀県)。
ここで住民たちは大津そろばんの技術を習得し、故郷に戻ってからも生産を続けました。
播州そろばんには樺、柘、黒檀が使われています。産地情報
名称 播州算盤工芸品協同組合 住所 〒675-1372
兵庫県小野市本町600 - 島根県「雲州そろばん」
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島根県奥出雲町で生産しているそろばんです。
1832年に大工が芸州(広島)のそろばんを参考に作りはじめたといわれ、樫、梅、煤竹を素材にしています。
もともと出雲地方では良質の刃物が生産され、その刃物が珠を削るために使われました。
珠の量産が可能な手回しロクロが発明されたことも、「雲州そろばん」が全国区になった一因です。現在ではタイを初め、海外でも普及活動を行っています。
産地情報
名称 雲州算盤協同組合 住所 〒699-1832
島根県仁多郡奥出雲町横田992-2
雲州そろばん伝統産業会館 内
3.まとめ
雲州そろばんと播州そろばんは国から伝統工芸品の指定を受け、工芸品としても高く評価されています。
そろばんを使った学習は「脳トレや暗算の訓練によい」と、新たな注目も。
マスターすれば意外と便利なそろばん、ちょっと手に取ってみませんか。
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