毎月抄(まいげつしょう)は鎌倉時代に藤原定家が書いた歌論書です。
歌人である定家が和歌の添削を請われ、それに答えていきながら作法を説いていくという内容になっています。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる毎月抄の中から「心と詞(こころとことば)」について詳しく解説していきます。
毎月抄「心と詞」の解説
毎月抄でも有名な、「心と詞」について解説していきます。
毎月抄「心と詞」の原文
ある人、花実のことを歌に立て申して侍るにとりて、
「古の歌はみな、実を存して花を忘れ、近代の歌は花をのみ心にかけて実には目もかけぬから。」
と申しためり。
もつとも、さとおぼえ侍る上、古今序にもその意侍るやらむ。
さるにつきて、なほこの下の了見、愚推をわづかにめぐらしみ侍れば、心得べきこと侍るにや。
いはゆる実と申すは心、花と申すは詞なり。
必ず(*)古の詞強く聞こゆるを実と申すとは定めがたかるべし。
古人の詠作にも、心なからむ歌をば実なき歌とぞ申すべき。
今の人の詠めらむにも、うるはしく正しからむをば実ある歌とぞ申し侍るべく候ふ。
さて、「心を先にせよ。」と教ふれば、「詞を次にせよ。」と申すに似たり。
「詞をこそ詮とすべけれ。」と言はば、また「心はなくとも。」と言ふにて侍り。
所詮心と詞とを兼ねたらむをよき歌と申すべし。
心・詞の二つは鳥の左右の翼のごとくなるべきにこそとぞ思う給へ侍りける。
ただし、心・詞の二つをともに兼ねたらむは言ふに及ばず、心の欠けたらむよりは詞のつたなきにこそ侍らめ。
毎月抄「心と詞」の現代語訳
ある人が、花と実のことを歌にあてはめました時に、
「昔の歌はみな、実を持って花を忘れ、近代の歌は花ばかりを気にして実には注意もしないので。」
と申したようだ。
なるほど、そのように思われます上に、『古今和歌集』の真名序にもそのような意味のことが(書かれて)あるということです。
そのことについて、さらに以下の考え、私の考えをほんの少しめぐらせてみますと、理解しておくべきことがあるようです。
いわゆる実と申すのは心、花と申すのは詞です。
必ず(和歌の)昔の詞が強く聞こえるのを実(がある歌)とは決めにくいでしょう。
昔の人の和歌でも、心のないような歌は実のない歌と申すべきです。
今の人が詠んだ歌でも、見事で整っているようなのを実のある歌と申すべきでございます。
ところで、「心を優先しなさい。」と教えると、「詞を次にしなさい。」と申すのに似ている。
「詞こそ大事にするべきだ。」と言えば、やはり「心はなくても(よい)。」と言っているのでございます。
結局心と詞を兼ね備えたような歌を優れた歌と申すのがよい。
心・詞の二つは鳥の左右の翼のようであるべきであると思うのでございますよ。
しかし、心・詞の二つをともに兼ね備えているならば言うまでもなく、心が欠けているよりは詞が未熟であるほうがよいでしょう。
毎月抄「心と詞」の単語・語句解説
実を持って。
[申しためり]
申したようだ。
[もつとも]
ここでは”いかにも”や”なるほど”という意味。
[侍るやらむ]
あるということです。
[なほこの下の了見]
さらに以下の考え。
[定めがたかるべし]
決めにくいでしょう。
[うるはしく正しからむ]
見事で整っているような。
[先にせよ]
優先しなさい。
[詮とすべけれ]
大事にするべきだ。
[所詮]
ここでは”結局”や”要するに”という意味。
[詞のつたなきにこそ]
詞が未熟であるほうが。
*毎月抄「心と詞」でテストによく出る問題
○問題:「必ず(*)」はどこに係るか。
答え:(実と)申す。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は毎月抄でも有名な、「心と詞」についてご紹介しました。
(読み方は”こころとことば”)
その他については下記の関連記事をご覧下さい。
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