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お伽草子とは|現代語訳内容と有名作のあらすじ|日本の物語集

ダイモンジソウ
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短編の絵入り物語である、お伽草子。
有名な一寸法師や浦島太郎なども、お伽草子の一種です。

今回はお伽草子についてご紹介します。

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お伽草子とは

お伽草子とは一般的に、14世紀から17世紀のあいだに誕生した400種類程の物語群を指します。
生まれた時代から、室町物語や中世小説と呼ばれる事もあります。

ちなみにお伽草子と呼び始めたのは江戸時代で、当時の人々は「物語」や「絵草紙」などと呼んでいました。

お伽草子の特徴は、短編であることと絵入り物語であることです。
形態としては主に絵巻と冊子本に分かれます。

また、400種類のうちのほとんどの作品について、作者はわかっていません。

渋川清右衛門

江戸時代の前期、400種類もある物語の中から23種類選び出し「御伽文庫」として出版したのが、渋川清右衛門です。
版を重ねていくうち「御伽草子」とも名付けて出版しました。

これが、お伽草子の言葉の起源です。

最初はこの23種類だけを御伽草子と呼んでいましたが、やがて同時代の同じ系統の物語全体をお伽草子と言うようになっていきます。
現在では混乱を避ける為、「御伽文庫本」や「渋川版」と呼んでいます。

【渋川版の23種類】
文正草子
鉢かづき
小町草子
御曹司島わたり
唐糸草子
木幡(こはた)狐
七草草子
猿源氏草子
物ぐさ太郎
さざれ石
蛤の草子
小敦盛
二十四孝
梵天国(ぼんてんこく)
のせ猿草子
猫の草子
浜出(はまいで)草子
和泉式部
一寸法師
さいき
浦島太郎
酒顛童子
横笛草子

おとぎとは

御伽(おとぎ)とは鎌倉時代からある言葉で、簡単にいうと「人々が徒然の時に語り合うことや、同じ目的で寄り集まること」を指しています。
また、古くからの故事などを話す役割の人を御伽衆(おとぎしゅう)と呼んでいたことにも由来しています。

有名作の内容

それではここで、お伽草子の中から特に有名な7作品をピックアップしてあらすじを現代語訳ご紹介したいと思います。

一寸法師

摂津の国、難波の里に四十の歳になっても子どもに恵まれない夫婦が住んでいました。
そんな境遇を悲しみ、住吉大明神に詣でて「なにとぞ子どもをお授け下さい」とお願いしました。
お願いのかいもあってか、翌年に妻は念願の子どもを身籠ります。
大喜びの夫婦でしたが、生まれてきた子どもを見てみると身長はわずか一寸(約三センチ)しかありませんでした。

最初は一寸法師と名付けて可愛がった夫婦でしたが、十二歳になっても身長は伸びなかった為に「この子は化け物かもしれない。こんな子を授かるなんて、情けない。どこかへ出ていってくれたらなぁ。」と嘆きます。

こんな両親の様子を見た一寸法師は「親にまで嫌われるなんて…もうこの家を出ていこう」と決意して、母親に針を一本もらって刀とし、麦わらで柄(つか)と鞘(さや)をこしらえ、お椀の船と箸の櫂で旅に出ました。

一寸法師はこんな歌を詠みます。

[住みなれし難波の浦を立ち出でて 都へ急ぐわが心かな]

鳥羽の港に着いた一寸法師は、都に入りました。
初めて見る都に驚きながらも、良さそうなお屋敷でお願いし、なんとか召し抱えて貰う事に成功します。

月日が過ぎて十六歳になった一寸法師は、お屋敷の姫君に恋をしました。
どうしても姫を妻にしたいと、自分で寝ている姫の口元に米粒をつけて「姫が私のお米を食べてしまいました。」と殿に言いつけます。
殿は姫を屋敷から追い出し、一寸法師に「こんな女は好き勝手にしてくれて良い」と言ってしまいました。

一寸法師は姫を連れ出し、故郷へ向かいます。
ですが激しい風によって、奇妙な島に流れついてしまいました。
すると二匹の鬼が現れ、「このチビを食べて姫を奪ってしまおう」と一寸法師を飲み込んでしまいます。

しかし一寸法師は鬼の目から飛び出して、鬼は驚き悲鳴をあげました。
何度かこれを繰り返し、鬼はとうとう逃げ出します。
鬼が放りだした打ち出の小づちを拾い上げ「背丈よ、大きくなぁれ」と言うと、一寸法師の背丈が伸びてりりしい青年となりました。

驚く姫に「お腹がすいたでしょう。もうひもじい思いはさせません」とまた打ち出の小づちを一振りするとご馳走が現れました。
他に金銀財宝も出して都に戻った二人は、豪遊します。

この噂を聞いた天皇が一寸法師を呼び出して、一体何者なのか聞くと、実は両親は由緒ある家柄だったという事が判明します。

天皇は一寸法師を堀河の少将の位に任命し、両親も呼び寄せて大切にもてなしました。
両親も喜び、姫と一寸法師も仲良く暮らして子どもも授かります。
このおめでたい話も、住吉大明神のご加護のたまものといえるでしょう。

浦島太郎

むかし、丹後の国に浦島という一家が住んでいました。
そこには太郎という二十五歳程の息子がいて、漁をして両親を養っていました。

ある日浦島太郎が船で漁をしていると、亀を一匹釣り上げました。
太郎は「鶴は千年、亀は万年という。そんなお前を殺す事は出来ないから、助けてあげるよ。この恩を忘れずにいつも思い出して覚えておいで」と、亀を逃します。

すると次の日、漁に出ようとすると美女が一人船に乗ってやってきました。
事情を聞くと「ある所に行こうとしたら嵐に襲われ、他に乗っていた人は海に放り出されてしまいました。こうしてお会い出来たのも何かの縁。どうか故郷へ送り届けてくれませんか」とお願いされます。

太郎は女の船で沖に漕ぎ出し、女の言う通りの方向へ十日ほど進んで、ようやく到着しました。
そこは塀が銀、屋根や門は黄金で出来ているというとても豪華な建物でした。

そこで美女は「ここは竜宮城と申す所でございます。こうなったのも前世からの縁ですから、夫婦になってここで暮らしませんか」と提案します。
太郎も「私も同じ気持ちです。喜んで夫婦になりましょう」と夫婦になりました。

太郎は贅沢三昧な暮らしを送り、三年の月日が過ぎた頃、姫に「三十日の暇をくれませんか。故郷の父母の無事を確かめてきます。」と言いますが、姫は寂しいからと渋ります。
すると姫は「実はわたしは竜宮城の亀でございます。貴方に助けられた恩に報いようと、夫婦としてお仕えしたのです。お別れの形見としてこの箱をお持ち下さい。決して箱は開けてはいけません。」と伝え、歌を一首詠みました。

[日数へてかさねし夜半の旅衣 たち別れつついつかきて見ん]
(長い年月、互いに一枚また一枚と重ね合い共に夜を過ごしたこの旅衣。今、別の衣を着て別れていく悲しさ。いつまた同じ旅衣を着る日が来るのでございましょう。)

太郎も

[別れ行くうはの空なるから衣ちぎり深くは又もきて見ん]
(別れてゆく今、私は上の空で唐衣を着つつゆく。こんなに契りは深いのだから、またやって来て唐衣を着て会いましょう)

と歌を詠みます。

名残を惜しみつつも、太郎は故郷に帰ります。

[かりそめに契りし人のおもかげを 忘れもやらぬ身をいかがせん]
(かりそめに夫婦の契りを結んだ人のおもかげが忘れられない。どうしたら良いのだろう、思い乱れるこの身を)

故郷に到着しましたが、そこは荒れ果てていました。
近くにいた人に聞いてみると「浦島という人なら七百年も昔にここに生きていたと聞いております」と不思議な事を言います。
しかし浦島家の墓だという所に案内された太郎は、泣き崩れて歌を詠みます。

[たらちねにあわんと思いきてみれば 苔むすつかと成りにけるかな]
(たらちねの母者に逢おうと来てみると 苔むす塚に成り果ててしまっていた)
[かりそめに出でにし跡を来て見れば 虎ふる野辺となるぞ悲しき]
(ほんの数日の旅と思って出かけたが、帰ってみると虎の横たわる荒れ果てた野に変わりはてていたとは)

悲しみにくれる太郎。
もうどうなろうと構うものかと、箱を開けてしまいます。
すると紫の雲が三本立ち上り、太郎は一瞬にしておじいさんになってしまいました。
その後鶴になり変わり、天高く飛び上がります。
これはあの亀が竜宮で過ごした年月を箱の中に畳み込んでいてくれたのです。
だから太郎は七百年の齢を保ちえたのでした。

[君にあふ夜は浦島が玉手箱あけてくやしきわが涙かな]
(貴方に逢う夜は浦島の玉手箱も同然です。夜はあけてしまい、私は悔し涙にくれるのです)

太郎は鶴に変わり、神仙の住む蓬莱山に舞う身となります。
その後丹後の国に浦島の明神となってあらわれ、衆生を救いました。
亀も同じところにあらわれ、夫婦の明神となったのは、誠におめでたい話です。

鉢かづき

むかし、河内の国の交野のあたりに備中守さねたかという人がいました。
財産に恵まれ、趣味も豊かで古今和歌集なども愛読していました。

夫婦仲も良かったものの、中々子どもが授かりません。
毎日祈っていたところ、ようやく姫君を授かります。

夫婦はとても喜び、長谷の観音に参って姫の行く末の幸せをお祈りしました。
姫が十三歳になったころ、母が病に伏せてしまいます。
先が短いと思った母は姫を呼び、大きな鉢をかぶせました。

[さしも草深くぞ頼む観世音 誓ひのままにいただかせぬる]
(深く頼みと致します観世菩薩さま。お誓いした通り頭に鉢を頂かせました)

その後母は亡くなり、父は鉢を外そうとしますが外れません。
落ち込んだ父に親戚が結婚を勧め、姫には継母が出来ました。

継母はその姿を恐れ、鉢かづきをいじめます。
夫婦には子どもも生まれ、実の父まで鉢かづきに辛く当たるようになりました。

自分には生きている価値が無いと鉢かづきは家を出る心を決めます。

[野の末の道ふみ分けていづくとも さして行きなん身とは思はず]
(野の奥の道をふみ分けて行こうとも、目当ての場所などあるはずもない。どこまで行けるのかも、全くわかりません)

川にたどり着いた鉢かづきは、いっそ川に身を投げようと決意します。

[河岸の柳の糸の一筋に 思ひきる身を神も助けよ]
(川岸の柳の糸が一筋に垂れている。私も一筋に思いつめて糸が切れるように死んでゆきます。神様、力を貸して安らかに死なせて下さい)

川に身を投げたものの、鉢のおかげで沈まずに顔が出た状態で流れます。
漁師が拾い上げ、その姿に驚いて逃げ出します。

気がついた鉢かづきは

[河波の底にこの身のとまれかし などふたたびは浮き上がりけん]
(川波の底にこの身はとどまってくれれば良いのに。どうして再び浮き上がってきてしまったのでしょう)

と歌を詠みます。

再び歩き出した鉢かづきは、人里にたどり着きます。
人々はその姿に「化け物だ」とからかいますが、ある中将が面白がって湯殿に雇ってくれました。

毎日火炊きをして働く鉢かづき。
ここでも辛い目にあいますが、中将の四番目の末息子は鉢かづきの美しい手に惹かれ、どんどん鉢かづきに夢中になっていきました。

最初はつれなく対応する鉢かづきでしたが、御曹司の深い想いにうたれて深い契りを結びます。
二人の関係が周囲に気づかれると、どうにかして別れさせようと息子たちの嫁を一同に集めて恥をかかせようと企みます。

鉢かづきは御曹司に恥をかかせられないと自ら身を引こうとしますが、御曹司が止めます。

[君思ふ心のうちはわきかえる 岩間の水にたぐえてもみよ]
(貴方を思う私の心のうちは、湧き返っています。山の岩間の水が激しく湧き返るように。)

鉢かづきも

[わが思ふ心のうちもわきかえる 岩間の水を見るにつけても]
(湧き返る岩間の水を見るにつけても、私が貴方を思う心も湧き返ります。貴方におとらず)

と返します。

二人が覚悟を決めたその時、鉢かづきの鉢が外れ、美しい姫君が現れました。
「やはり私の思っていた通りだった」と喜ぶ御曹司。
更に鉢は割れ、中からは金塊、金の杯、銀の銚子、砂金で作られた橘の木、銀製のけんぽの梨、色あざやかな十二単の小袖や袴など、様々なお宝が出てきたのです。

そのお陰で嫁が集まった席でも恥をかかずにすみ、更に幼い時に身につけた琴や和歌の腕前によって中将は御曹司の所領のほとんどを与えました。

二人の間には子どもも生まれ幸せに暮らしますが、鉢かづきの生い立ちは話せずにいました。

父は継母のふるまいによって故郷での信望も失い、仏道修行の旅に出ます。
鉢かづきに辛く当たった事も後悔して、長谷観音に「あの子が生きているのなら、今一度会わせてください」とお祈りします。

ある時、御曹司が長谷観音に参詣すると、年寄りの修行者を見とがめます。
ちらっと見えた姫の姿に「娘に似ている」と泣き出す修行者。
その騒ぎに姫が出てみると、なんと実の父でした。
再開を喜ぶ二人。

事情を知った御曹司も、鉢かづきの父を河内の国の長官にしてあげました。
昔から観音にはご利益があると言います。
この物語を聞いた人は観音の御名を1日10回唱えることです。

唐糸そうし

寿永二年(1183年)の秋、源頼朝は武士を呼び集めて「近ごろ木曽の左馬頭義仲らのおごり高ぶったふるまいは目に余る。十月頃に義仲を退治する」と宣言します。

頼朝の館に仕えていた唐糸の前と呼ばれる女房は義仲の家臣の娘だったので、義仲退治の噂を聞いてこっそり密告の手紙を故郷に送りました。

義仲は手紙に感謝し、返事に添えて伝家の宝刀”ちやくい”を唐糸へ届けます。
隙あらばこの刀で頼朝を討とうとする唐糸でしたが、ある時この刀と手紙が見つかってしまい、屋敷の裏の石牢に閉じ込められてしまいました。

この事を聞いた故郷に居る唐糸の十二歳程の娘万寿は事実を確かめたいと、鎌倉へ行く事を決意します。
鎌倉のお屋敷で奉公していれば、母に関する噂も聞く事が出来るだろうという万寿に、乳母の更科も心を打たれて一緒に鎌倉に行くことにしました。

いくつもの山を越え、ようやく鎌倉に辿り着いた二人。
鶴岡八幡宮に母の命を守ってまた会えるようにとお祈りをして、なんとか頼朝の屋敷に仕える事が出来ました。

二十日程たったある日、下女が「この釘門の奥には唐糸という女房がおしこめられているから、入ってはいけないよ」と万寿に言いつけます。
うれしさを抑えてその場をやり過ごした万寿は、急いで更科に伝えます。

その後鎌倉山でお花見をする為に屋敷が留守同然となった日、いよいよ石牢に忍び込みました。
唐糸と万寿、そして更科までも泣き崩れて再開を喜び、その後もひそかに唐糸へ食料を届けたりしていました。

しばらたく経ったある日、頼朝が鶴岡八幡宮に奉納する今様歌謡を歌う美女を探しているという話を聞いた万寿は、これは良い機会と立候補します。

いよいよその晴れの日、十二単に身を包んだ万寿は言いようの無い程美しく、頼朝も大満足でした。
頼朝は万寿を呼び「この度はみごとであった。お前の国はどこだ。引き出物をつかわすから、親の名も申せ」と言います。
万寿はこの機会を逃してはならないと「包み隠さず申し上げます。私の親は唐糸でございます。石牢に入れられたとの噂を耳にして、母の身代わりに命を差し出そうと鎌倉にやってきました。この度のご厚情をもちまして、私の命を母の命とお取替え下さい」とお願いしました。

頼朝は驚きましたが「この度のほうびにはどんなものも惜しいと思わない。唐糸がまだ生きているのなら、万寿に与えよう」と答えます。
牢から出た唐糸と万寿は再開を喜び、この親子愛に感動した頼朝は黄金や田地を引き出物として与えました。
そして「万寿は引きとどめておきたいが、唐糸のした事を考えるとそうはいかない。信濃へ帰るとよい」と、万寿にひまを出しました。

故郷へ帰った万寿、唐糸、更科は祖母と再開し、嬉しさのあまり泣き尽くしたのでした。

梵天国

平安時代のはじめ、五条の右大臣高藤という人が居ました。
お金持ちで不足のない暮らしをしていましたが、子宝には恵まれませんでした。

神仏にお願いしてみようと、夫婦で清水寺に参詣します。
「どうか私たちに子をお授け下さい。お願いをお聞き届け下さいましたあかつきには、八つ花形の神聖な鏡を金と銀で三十三枚ずつ作らせて、毎月掛けに参ります。三年間毎日灯火をともし、百人の僧に法華経を誦すようにいたさせます。そのうえに金泥で書いた観音経を三千三百三十三奉納致すものでございます」

こうして祈っていると、七日目にどこからか声がして大臣を呼びました。
見ると宝殿にいかにも気高い高僧が座っており、「これこそお前の望んでいる考子であるぞ」と玉を取り出し、大臣の袖に入れました。

その瞬間に目が覚めて、「夢か」と大臣はつぶやきます。
それから間もなく大臣の奥方が身籠り、若君を産みました。

夫婦は喜び、玉若殿と名付けました。
玉若殿は大切に育てられますが、まず奥方が亡くなり、十三歳の頃には大臣も亡くなってしまいました。

両親を供養しようと玉若殿が得意の笛を吹きつづけて七日目のこと、美しい紫の雲が天から下ってきました。
すると玉の冠をかむった十六人の天女や童子に黄金の輿をかつがせた天人が降り立ちました。
その方は涙を流しながら「私は梵天王である。お前の美しい笛の音は私に涙まで流させたぞ。この音色は梵天国まで届き、お前の考心の厚さには感じ入った。私には姫がいるが、お前にあげよう。来る十八日には床を清めて待っているように。」
と言い、また天にのぼってしまいました。

現実の出来事かわからないまま、約束の日が来たので床を清めて笛を吹きながら待っていると、あたりが急に明るくなり、今度は十五歳程の美しい姫君が現れました。

「夢ではなかったのですね」という玉若殿に姫君は微笑み、夫婦の契りを結びました。
この話は帝の耳にも入り、「私でさえ梵天王の婿になれないのに、あの中将(玉若殿)がそのような果報を得るとは。そうだ、いい手がある。中将を呼び出せ」と言い、参内させました。
帝は「お前の妻を七日間内裏に参らせよ。それが出来ぬなら、極楽に住むという鳥、迦陵頻伽と孔雀をつれてまいれ。命令に背いたらこの国から追放する」と言います。

中将は家に帰り、この事を妻に伝えると「そんなご命令なら造作もない事です。」と梵天国の鳥を呼び寄せ、中将と参内させます。

帝は喜びましたが、更に「鬼の国の大王の娘、十郎娘を連れてこい。出来なければお前の妻を召し上げる」とまた無理難題を言います。

中将が落ち込みながらまた妻に言うと、「それもたやすいこと」とすぐに十郎娘を呼び出して参内させました。

それでも中将の妻が欲しい帝は「天上の鳴神を呼んでこい。そうすればお前の妻への恋心もしずまるかもしれぬ。」と言います。
これもなんなく命令を守ると、更に帝は「梵天王にじきじきにおされた御判を貰ってこい。」といよいよ無理な事を言います。

さすがに中将の妻も「それは簡単には出来ません。どうしてもというのなら、一つだけ方法がございます。今日から七日精進して身を清め、七度の水垢離を取って下さい。その後愛宕岳登ると西北の方角に細い道がございますから、そこを七里進みますと大木が一本ございます。そこに馬が三頭おりますから中で一番やせた馬をここまで連れてきて下さい。」

中納言は言われた通りにして馬を連れてきて、大豆を食べさせ、水を飲ませると身震いした馬は、紫がかった金色の馬になっていました。
「この馬を明日の卯の刻に東に引いてゆき、お乗り下さい。馬が身震いしたら目をつぶり、次に身震いするまで目を開けてはいけません」
中納言がそのとおりにすると、見知らぬ砂地に着きました。

出会った人に聞いてみると「ここは梵天国です。南に進むと内裏ですよ」と言われたので礼を言って歩きます。
すると砂の色が金色に変わりはじめ、金や銀の門が立ち並ぶ内裏に着きました。
宝石で飾り付けられた宮殿に入ってみると、天女が金のお盆に瑠璃の杯をのせて運んできました。
そのまま無言で立ち去り、今度はご飯を持ってきます。

すると、かたわらの部屋に鎖でつながれた骸骨のようなものが「どうぞそのご飯を一口下さい。食べなければ命が尽き果ててしまいます」と言うので、食べさせました。

その途端に怪物の姿となり、鎖を引きちぎって空へ飛んでいってしまいました。
すると梵天王が姿を現し「長い道のりをよく来てくれた。だがそなたは困った事をしてくれた。今逃したのは羅刹国のはくもん王で、姫を妃にしようとつけ狙っていたものなのだ。だから捕まえていたものを、七宝浄土の池のほとりで作られた米で力を得て逃げてしまった。今ごろ姫は奪われているだろう」と言いました。
中納言は呆然として「知らぬこととはいえ、大変なことをしてしまいました。とにかく御判を頂くという役目を果たしたうえで、その後は死ぬなり出家するなり考えましょう。姫のいない世界など私にとっては暗闇です。」

中納言は馬で葦原国(日本)に帰り、屋敷に戻ると既にはくもん王が来た後で荒れ果てていました。

中納言は泣き崩れ、やがて出家の姿となって清水寺にお参りに行きました。
「今一度この世で姫に会わせて下さい。それが叶わぬなら、私の命をお召になってあの世で姫に会えるようにしてください。」

すると明け方老僧が夢枕に現れて「姫の行方を知りたければ修行して筑紫の博多に行き、そこにある船に乗せてもらいなさい。千日目には行方が知れるだろう」と言いました。

中納言はすぐにそのとおりにして、船でとある岸辺に着きました。
中納言がそこで笛を吹くと、怪物のような姿をした者が集まってきました。
聞いてみると「ここは羅刹国といい、主ははくもん王です。近ごろ葦原国から姫さまを奪ってきたので、葦原国の者はこの国に入れない事になっています。お気をつけ下さい」と見かけによらず親切に教えてくれました。

中納言は内裏へ行き、修行者としてはくもん王に笛を聞かせると、はくもん王は心を打たれました。
その音色がかすかに聞こえた姫も、中納言様が来たと気付きますが、周囲には悟られないように過ごします。

はくもん王はある時隣の国に出かけます。
「待っている間、修行者に笛でも吹かせて気晴らしをしていなさい」と言い、出発しました。

姫君と中納言は隙を見て二人で会い、車で逃げ出します。
これに気付いたはくもん王は急いで戻り、二人に追いつきました。
するとその時、迦陵頻伽と孔雀が飛んできてはくもん王の車を蹴散らして奈落の底へ落とします。
鳥たちのおかげで梵天国まで戻った二人。
そのまま五条の屋敷に戻り、内裏に参内しました。

帝からもとの領地である丹後、但馬を治めるようにと言われた中納言は、さっそく下ります。
八十になると姫君は成相の観世音菩薩となり、中納言は久世戸の文殊菩薩となって多くの人々をお救いになりました。

酒呑童子

延喜の帝の治世時代のこと。
丹波国の大江山に住む鬼神が、日暮れになると現れては若い娘をさらっていくという悪事を働きはじめました。

とりわけあわれだったのは、上皇に仕える池田の中納言くにたかという人でした。
身分も良く財産もある家のたった一人の美しい姫君をさらわれてしまったのです。
占ってもらうと大江山に居る事がわかったので、帝に報告すると「鬼神もおののくと聞こえの高い源頼光に征伐してもらおう」と、頼光を呼び出します。

事情を聞いた頼光は碓井貞光、卜部季武、渡辺綱、坂田公時、藤原保昌を集めて征伐の準備をします。
出発前、頼光と保昌は岩清水八幡、綱と公時は住吉神社、貞光と季武は熊野権現にお祈りします。

そして六人は山伏の格好をして鎧と刀を隠し、山に入っていきました。
すると岩穴に、三人の老人が住んでいるのを見つけます。
「こんな所に、老人ばかりで暮らしているとは何者だ。名を名乗れ」
と聞くと
「怪しい者ではございません。この山に住む酒呑童子という鬼神に妻子をとられ、その恨みを晴らそうと三人で相談していたのです。」
目的が同じとわかったので、老人たちと打ち解けて六人もそこで休憩し、酒を飲みながら話します。
老人曰く「あの鬼はいつも酒を呑んでいるので、酒呑童子と呼ばれているのです。私どもが持っているこの神便鬼毒酒という不思議な酒は、神には便利でも鬼が飲むと毒になるという酒です。」と酒を六人に渡し、更に星甲(ほしかぶと)という霊力を持った甲までくれました。
「さては三社の神々のご出現か」と気がついた六人。
神のご加護に感謝しながら、なんとか酒呑童子の棲家へたどり着きます。

見張りの鬼どもが六人を山伏だと思って中に通すと、酒呑童子が現れます。
「こんなところまで来るとは、一体何者だ」と怪しむ酒呑童子に頼光は「私どもの修行ではあたりまえの事です。酒も持参しておりますので、ここで夜通し酒盛りをしたく存じます」と言うと、酒呑童子も興味を示します。

すると酒呑童子は手下に何か指示を出し、六人の前に人の血が入った杯を出しました。
六人はこれを難なく飲み干し、次に出された人の肉も食べると、酒呑童子は六人を信頼します。

そして例の酒を出し、酒呑童子と手下の鬼にも飲ませます。
いよいよ鬼たちが眠りについた頃、酒呑童子に近寄るとまた三社の神が現れ「鬼の手足は鎖で繋いでおいた。頼光は首を斬り、他の五人が前後左右から斬りつけるのだ」と言いました。

なんとか鬼を退治して、さわられていた娘達を連れて都に帰りました。
池田の中納言夫妻も娘との再開をたいそう喜び、帝も喜びました。
この帝の御代は末永く平和となり、頼光たちの勇敢な働きも武士のほまれとしてたたえられました。

福富長者物語

むかし、福富の織部という長者がいました。
この人はオナラが自由にとても良い音色で出せるので、貴族たちも面白がって芸を披露させたりしていました。

こうしてお金持ちになった福富の織部の隣に住む貧乏藤太という男は、たいそう貧しい暮らしをしていました。
この男の妻、口がさけたように大きい通称鬼うばは、夫の藤太に「お前はなんにも芸が無くて情けない。隣の福富に芸を習って練習すれば、その日の糧に欠くようなことはなくなるだろうに」と言います。

藤太は渋々福富の家に行き、どうぞ修行させて欲しいと頼みます。
福富は藤太が心にも無いお世辞を言っているのに気付きますが、真面目な様子で「この芸には大切な薬がある。これを飲んで芸にはげむのです。他の人には言ってはいけませんよ」と薬を授けます。

藤太は喜んで帰り、鬼うばに報告します。
早速中将殿というお金持ちの家に行って芸を披露しようと、段取りをつけました。

中将殿は芸を楽しみにして、ご馳走をふるまいます。
藤太は貧乏人の悲しさでこれらを全て食べて、限界まで来たその時、凄まじい音で漏らしてしまいます。

あたりは山吹色に染まり、物凄い匂いが漂います。
これに怒った家来たちは藤太を痛めつけました。

家では、もう古い着物も必要なくなるからとボロ布を燃やして鬼うばが待っていました。
そこに現れたのは、血だらけの藤太。
呆れ返った鬼うばですが、なんとか看病してあげます。

しかしお腹をさするとくさい匂いが立ち上るので、鬼うばもやりきれない気持ちになります。
限界が来て怒った鬼うばは数珠をもみながら「どうか福富の織部を懲らしめて下さい」とお祈りします。
その頃織部は悪夢を見るようになり、神に詣ではじめます。

この噂を聞いた鬼うばは福富を待ち伏せして、恐ろしい姿で襲いかかりました。
逃げる福富に噛み付く鬼うば。
その様子を見た人々は「鬼が人を食っている」「恐ろしいものをみた」と見物しています。
まったく人は様々なものです。

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