ちはやふるに出てくる百人一首の歌一覧と意味解説|映画上の句,下の句,結びのエピソードまとめ

百人一首を用いた競技かるたの世界を描いた少女漫画が原作の映画、ちはやふる。
映画は「上の句」「下の句」「結び」の3作品が制作されています。

そこで今回は、映画ちはやふるに出てくる百人一首の短歌とエピソードをまとめてご紹介したいと思います。

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ちはやふる(上の句)に出てくる百人一首の歌一覧

映画「ちはやふる -上の句-」に出てくる百人一首一首の短歌と、エピソードをご紹介します。
(ネタバレを含みます。)

17番歌

ちはやぶる神代も聞かず竜田川
からくれなゐに水くくるとは

在原業平朝臣

【読み】
ちはやぶるかみよもきかずたつたがは
からくれなゐにみづくくるとは
【意味】
不思議なことが多かった神代にも聞いたことがない。竜田川が真っ赤に括り染めになるなんて。
【解説】
”ちはやぶる”:神にかかる枕詞。
”神代”:神がおさめていた時代。
”竜田川”:現在の奈良県生駒郡にある川。
”からくれなゐ”:真紅。
”くくる”:括って染めるという意味。絞り染めにすること。
古今集の詞書に「二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたるかたをかけりけるを題にてよめる」とあります。
つまり、この歌は屏風の絵を見て詠んだ歌。
二条の妃(高子)とかつて恋愛関係にあった作者(在原業平)が、昔の恋を思い起こさせる為により大げさに詠んだ激しい恋の歌と言われています。

映画の中のエピソード

[千早と奏の出会いのシーン]

千早「好きな歌があってね。
知ってる?」

”ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは”

千早「初めてカルタを教えてくれた人に言われたの。
これは私の歌だって。」

「恋人ですか?恋人なんですね!?」

千早「恋人じゃないんだけど…」

「だって、これは恋の歌ですから」

千早「恋? 竜田川に、紅葉がいっぱい流れて超綺麗って歌でしょ?」

「確かにそうなんですけど、1000年前、在原業平はそこに恋心を隠したんです。」

千早「隠すって?」

「天皇のお妃様との、禁じられた恋だったから…。
この歌は、かつて恋仲だったそのお妃さまに頼まれて、業平が詠んだ歌だと言われています。
”燃える思いが、激しい水の流れを真っ赤に染めあげてしまうほど、今でも貴方をお慕い申し上げております。”
そういう歌です。
少ない言葉の中に、色んな読み方が出来るから歌は面白いんです。
五七五七七は、今で言えばたった三十一文字のツイートのようなもの。
どうか…しました?」

千早「真っ赤になった…。
頭の中が、真っ赤になった。
すごい、すごいすごいすごい!
ねぇもっと教えて!」

「難しいイメージのある百人一首も、実は四十三首が恋の歌なんです!
千年前の人も、恋や愛に真剣に悩んでいたかと思うと、なんだか急に身近に感じられませんか?」

千早「一緒にカルタやろう?
もっともっと、みんなにも知ってもらおうよ。
かなちゃんの大好きな歌の事。」

77番歌

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ

崇徳院

【読み】
せをはやみいわにせかるるたきがはの
われてもすゑにあはむとぞおもふ
【意味】
川瀬の流れが早いので、岩にせき止められた急流が二つにわかれてもまた一つになるように、貴方と別れてもいつかはきっと逢おうと思う。
【解説】
”瀬をはやみ”:川瀬の流れが早い為に。「瀬」は川の流れが浅くて早いところ。
”せかるる”:堰きとめられる。
”滝川”:滝のように流れる川。
”われても”:わかれても。「別れて」と「分かれて」の二つの意味が掛かっている。
作者は崇徳院。父は鳥羽天皇、母は藤原璋子です。

映画の中のエピソード

[新とおじいちゃんの会話シーン]

祖父「川の流れは、岩にぶつかって二つに割れても、いずれまた、二つに戻るもんや。」

「”せをはやみ”か。」

祖父「すまんのう、あらた。
まさかじいちゃんがその岩になるなんて。」

「なんも気にせんくていいよ。
カルタをしてれば、またきっと会える。
あいつらと、ほう約束したんや。」

74番歌

憂かりける人を初瀬の山おろしよ
激しかれとは祈らぬものを

源俊頼朝臣

【読み】
うかりけるひとをはつせのやまおろしよ
はげしかれとはいのらぬものを
【意味】
つれなかった人を、私になびかせてくださいと初瀬の観音に祈ったけれど、初瀬の山おろしよ、あの人のつれなさがお前のように激しくなるようにとは祈らなかったのに。
【解説】
”憂かりける”:私につれなかった。
”人を”:恋人を。
”初瀬”:現在の奈良県磯城郡初瀬。有名な長谷寺がある。
”山おろし”:山から吹きおろす激しい風。
”激しかれ”:はげしくあれの意。山おろしと恋人の態度に掛けている。
”祈らぬものを”:祈らないのに。
千載集の詞書に「権中納言俊忠の家に、恋十首の歌よみ侍りける時、祈れども逢はざる恋といへる心を」とある歌。
作者は源俊頼朝臣。平安後期の歌人、官人です。

映画の中のエピソード

[競技かるた初心者の奏と机くんに、語呂合わせを教えるシーン]

千早「語呂合わせで覚える方法もあるよ!
”うかりける”の下の句は、”はげしかれ”
だから…うっかりハゲ!」

「!!
うかりけるの歌は、名歌中の名歌ですよ!
好きな人に想いが届かない、とっても切ない片想いの歌なんです。
それを、それをまさかの…」

肉まんくん「うっかりはげ?」

「そんな片想い、絶対実らない!!」

66番歌

もろともにあはれと思え山桜
花よりほかに知る人もなし

前大僧正行尊

【読み】
もろともにあはれとおもへやまざくら
はなよりほかにしるひともなし
【意味】
私が思うように、お前も私のことをしみじみとなつかしく思ってくれ、山桜よ。このような山奥では、桜の花より他に知る人も居ないのだ。
【解説】
”もろともに”:どちらもともに。
”あはれ”:色々な意味があるがここでは、しみじみとなつかしく思うこと。
作者は前大僧正行尊。平安後期の歌人で、天台宗の僧侶です。

映画の中のエピソード

[遅くまで部室で練習している時のシーン]

「”もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし”
とあるお坊さんが、一人孤独な修行に耐えていた時に詠んだ歌と言われています。
山に一本だけ咲いていた桜に向かって、ひとりぼっち同士仲良くしようって呼びかけた、少しさみしげな歌ですね。」

千早「私はちっとも寂しくないよ。
私には、強い絆の歌に聞こえるなぁ。
貴方がいれば、私は頑張れる。
だから、もっと…もっと深くわかり合いたいって。
絶対勝とうね、明日!」

24番歌

このたびは幣も取りあへず手向山
紅葉の錦神のまにまに

菅家

【読み】
このたびはぬさもとりあへずたむけやま
もみぢのにしきかみのまにまに
【意味】
今回の旅は急なことでしたので幣の用意も出来ませんでした。手向山の紅葉を神のお心のままにお受け下さい。
【解説】
”このたびは”:「この度」と「この旅」を掛けている。
”ぬさ”:幣のこと。
”手向山”:奈良から吉野にいたる中間の峠を指しているとも言われている。
”神のまにまに”:神の御意のままに。
幣とは神に祈る際の捧げ物で、昔は旅に出る際に携帯して道中の道祖神に備えることで安全祈願をしていました。
作者の菅家とは菅原道真(すがわらのみちざね)のこと。大宰府で左遷されたエピソードで有名ですが、現在は学問の神様としても知られています。

映画の中のエピソード

[太一と原田先生が神社の前で話すシーン]

太一「俺、新に会いましたよ、この間の大会で。」

先生「メガネ君にか。」

太一「あいつ、凄かった。本当に。
それで、ハッキリわかったんです。
青春全部かけたって、俺はあいつに勝てないって。」

先生「それはカルタのこと?」

太一「それもあるけど、新は千早を俺と2人のもんだって多分思ってる。
それなのに、千早を追って瑞沢入って、かるた部作ったのだって少しでも千早のそばにいたかっただけで、別にかるたが好きとかそういうんじゃ…。
すいません。
カルタの先生の前でこんなこと。」

先生「いや、なんとなく気がついていたよ。」

太一「そういう奴なんです、俺。
出し抜いて、騙して、盗んで、隠して。
いくらお願いしたって、そんな奴に神様は…ちはやぶるは、振り向いてくれませんよね。」

先生「まつげくん。
”このたびは”って歌知ってるだろう?
お供え物を用意できなくて、せめてもの代わりに紅葉を備えますから、あとのご判断は神様におまかせしますっていう歌。」

太一「このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」

先生「神様だの運だのを語って良いのは、やれることを全部やった人間だけの特権なんじゃないかな。
青春全部かけたって勝てない?
まつげくん…かけてから言いなさい。」

4番歌

田子の浦にうち出でて見れば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ

山辺赤人

【読み】
たごのうらにうちいでてみればしろたへの
ふじのたかねにゆきはふりつつ
【意味】
田子の浦の海辺に出て見渡してみると、富士の高嶺には真っ白な雪が降り積もっている。
【解説】
”田子の浦”:現在の静岡県富士郡元吉原の海岸のこと。
”うち出でて”:「うち」は接頭語。ただ「出て」という意味。
”降りつつ”:ここでは「降り積もっている」という意味。
作者は山辺赤人。奈良時代の歌人で、三十六歌仙の一人。万葉集の代表的な歌人です。

映画の中のエピソード

[練習の一環で登山したシーン]

「”田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ”
1000年前もあそこに富士山があったんですね。
ずっとずーっとあそこにあったんですね。」

太一「大江さん、泣いてる?」

「変ですか?
でも、感動しちゃって。」

太一「本当に歌が好きなんだね。」

「百人一首の事を考えると、時を超えても変わらない人の思いに、いつも圧倒されちゃいます。」

太一「大江さん、俺自分でわかってるんだ。
俺がいつ神様に見放されたのか。」

「部長、自分でわかってるなら、それで十分ですよきっと」

34番歌

誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに

藤原興風

【読み】
たれをかもしるひとにせむたかさごの
まつもむかしのともならなくに
【意味】
年老いた私はいったい誰を友にすれば良いのだろうか。あの高砂の松も昔からの友ではないのだから。
【解説】
”誰をかも”:「か」は疑問で、「も」は詠嘆の助詞。
”知る人”:友人。
”高砂の松”:現在の兵庫県高砂市の老松を指している。長寿の象徴。
”友ならなくに”:友ではないのに。
年をとり、昔からの友もこの世を去ってしまって一人残った寂しさを詠んだ歌です。
作者は藤原興風(ふじわらのおきかぜ)。平安時代の歌人、官人で、三十六歌仙の一人です。

映画の中のエピソード

[太一が千早をおんぶして2人で帰るシーン]

千早「太一、カルタ部のことは、もういいよ。
私の手元に最後まで残ってた歌、”だれをかも”の札だった。
昔の友だちはもう居ないって意味なんだって。
でも…私は今でも3人はチームだと思ってるよ。
カルタをやってても、やってなくても。

見てて太一、私カルタ部作ったら、瑞沢をカルタの名門にするの。
部員もいっぱい増やして、卒業してからも後輩にカルタ教えにきたり、カルタの楽しさとか、カルタの熱をもっと、もっと色んな人に知って欲しいんだ。」

下の句・結びに出てくる歌とエピソード

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