百人一首を用いて行う競技かるたの世界を描いた「ちはやふる」や、「うた恋い。」といった漫画が今、若い世代を中心に人気となっています。
今再び注目を集める、百人一首。
学生時代に勉強したり、お正月にかるたで遊んだ記憶がある方も多いのではないのでしょうか。
美しい日本語を感じることができる、奥深い百人一首の世界を覗いてみましょう。
1.百人一首とは?歴史となりたち
2.用語解説
3.百人一首の全文と解説、現代語訳、意味
1番歌〜
25番歌〜
50番歌〜
75番歌〜
4.人気の歌ランキングベスト20
5.まとめ/おすすめ書籍
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百人一首とは?歴史となりたち
百人一首は、飛鳥時代から鎌倉時代初期までの代表的な歌人百人の和歌を一人一首ずつ集めて作られた秀歌撰(しゅうかせん)です。
秀歌撰とは、「優れた歌を集めたもの」という意味です。
現在様々な種類の百人一首がありますが、一般的に”百人一首”というと平安時代末期から鎌倉時代の初めに歌人である藤原定家が選んだ”小倉百人一首”のことを指します。
小倉百人一首は百人の歌人の歌を一首ずつ集めた秀歌撰として最古のもので、現在ある様々な種類の百人一首はこの小倉百人一首を模して作られたものです。
ちなみに、”小倉百人一首”という呼び方は後世の後付で、古くは”小倉山荘色紙和歌”と呼ばれていました。
「小倉山荘」というのは、京都の小倉山にあった武将・歌人である宇都宮頼綱の別荘のこと。
そして「色紙和歌」とある通り、この百人一首は小倉山荘の襖を和歌の色紙で飾る為に藤原定家に選出させたものだったのです。
この小倉百人一首が完成したのは、1235年5月27日。
なので5月27日は”百人一首の日”となっています。
百人一首の選出元
小倉百人一首は、下記の勅撰集(天皇の勅命によって選出された歌集)から和歌が選ばれ、年代順に並べられています。
◯古今和歌集 24首
醍醐天皇 [撰者]紀友則、紀貫之・凡河内躬恒、壬生忠岑
◯後撰和歌集 7首
村上天皇 [撰者]清原元輔、紀時文、大中臣能宣、源順、坂上望城
◯拾遺和歌集 11首
花山院 [撰者]撰者不明
◯後拾遺和歌集 14首
白河天皇 [撰者]藤原通俊
◯金葉和歌集 5首
白河院 [撰者]源俊頼
◯詞花和歌集 5首
崇徳院 [撰者]藤原顕輔
◯千載和歌集 14首
後白河院 [撰者]藤原俊成
◯新古今和歌集 14首
後鳥羽院 [撰者]源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経、寂蓮
◯新勅撰和歌集 4首
後堀河天皇 [撰者]藤原定家
◯新後撰和歌集 2首
後嵯峨院 [撰者]藤原為家
【百人一首の分類】
百人一首に収められている歌を主題に沿って分けると、下記のようになります。
- 恋の歌 43首
- 四季の歌 32首
- 離別の歌 1首
- 羇旅(旅)の歌 4首
- 雑(その他)の歌 20首
百人一首関連用語解説
百人一首に関連する用語をご紹介します。
三十六歌仙
平安時代中期の歌人、公卿であった藤原公任(ふじわらのきんとう)が選んだ三十六人の優れた歌人のこと。
中古三十六歌仙や女房三十六歌仙などはこれを模したものです。
六歌仙
古今和歌集の序文に掲げられている六人の歌人のこと。
歌合(うたあわせ)
歌人を左右に分けて、その詠んだ歌を各一首ずつ組み合わせて優劣を比較した遊戯のこと。
宮廷、貴族の間で流行しました。
歌枕(うたまくら)
和歌によく詠まれる名所や旧跡のこと。
逢坂山や小倉山、吉野や須磨などが有名です。
詞書(ことばがき)
和歌の前に、歌が作られた背景や時、場所などを簡潔に説明した文章のこと。
本歌取り(ほんかどり)
古歌の一部を取って新たな歌を詠む技法のこと。
題しらず・よみ人しらず
和歌の題や作者、詳細が不明の際に詞書に記す言葉です。
歴史的仮名遣い
百人一首は歴史的仮名遣いを用いて書かれており、このページでも歌の読みを歴史的仮名遣いで表記しています。
歴史的仮名遣いは現代仮名遣いとはちがって、例えば語頭と助詞以外の「は・ひ・ふ・へ・ほ」は「わ・い・う・え・お」に置き換えます。
つまり、「こひ」は「こい」に、「かは」は「かわ」となるのです。
光琳カルタ
百人一首がカルタとして普及するようになり、様々なカルタが作られるようになった中でも特に絵画的にも優れたカルタです。
作者は尾形光琳。琳派と呼ばれる画派を生み出した始祖としても有名です。
競技かるた
百人一首を用いて行うのが、競技かるたです。
読み手が上の句を読み上げ、それに合う下の句を取る速さを競う競技です。
この競技かるたの世界を描いたのが、人気漫画「ちはやふる」。
ちはやふるは映画化もされており、「上の句」「下の句」「結び」の3作品が公開されています。
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百人一首を全首、一覧でご紹介したいと思います。
全和歌の朗読動画については四季の美のYoutubeをご覧下さい。
下記のリンクからそれぞれの歌へ飛ぶ事が出来ます。
- 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ (天智天皇)
- 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山 (持統天皇)
- あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む (柿本人麻呂)
- 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ (山辺赤人)
- 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき (猿丸大夫)
- 鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける (中納言家持)
- 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも (安倍仲麿)
- わが庵は都のたつみしかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり (喜撰法師)
- 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに (小野小町)
- これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関 (蝉丸)
- わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船 (参議篁)
- 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ (僧正遍昭)
- 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる (陽成院)
- 陸奥のしのぶもぢずりたれゆゑに 乱れそめにしわれならなくに (河原左大臣)
- 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ (光孝天皇)
- 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む (中納言行平)
- ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは (在原業平朝臣)
- 住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ (藤原敏行朝臣)
- 難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや (伊勢)
- わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ (元良親王)
- 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな (素性法師)
- 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ (文屋康秀)
- 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど (大江千里)
- このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに (菅家)
- 名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られで来るよしもがな (三条右大臣)
- 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ (貞信公)
- みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ (中納言兼輔)
- 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば (源宗于朝臣)
- 心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花 (凡河内躬恒)
- 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし (壬生忠岑)
- 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪 (坂上是則)
- 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり (春道列樹)
- ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ (紀友則)
- 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに (藤原興風)
- 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける (紀貫之)
- 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ (清原深養父)
- 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける (文屋朝康)
- 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな (右近)
- 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき (参議等)
- 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで (平兼盛)
- 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか (壬生忠見)
- 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは (清原元輔)
- 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり (権中納言敦忠)
- 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし (中納言朝忠)
- あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな (謙徳公)
- 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな (曾禰好忠)
- 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり (恵慶法師)
- 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな (源重之)
- 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ (大中臣能宣朝臣)
- 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな (藤原義孝)
- かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを (藤原実方朝臣)
- 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな (藤原道信朝臣)
- 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る (右大将道綱母)
- 忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな (儀同三司母)
- 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ (大納言公任)
- あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな (和泉式部)
- めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影 (紫式部)
- 有馬山猪名の篠原風吹けば いでそよ人を忘れやはする (大弐三位)
- やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな (赤染衛門)
- 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立 (小式部内侍)
- いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな (伊勢大輔)
- 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ (清少納言)
- 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな (左京大夫道雅)
- 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 (権中納言定頼)
- 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ (相模)
- もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし (前大僧正行尊)
- 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ (周防内侍)
- 心にもあらで憂き世に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな (三条院)
- 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり (能因法師)
- 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮 (良暹法師)
- 夕されば門田の稲葉おとづれて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く (大納言経信)
- 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ (祐子内親王家紀伊)
- 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ (前権中納言匡房)
- 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを (源俊頼朝臣)
- 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり (藤原基俊)
- わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波 (法性寺入道前関白太政大臣)
- 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ (崇徳院)
- 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守 (源兼昌)
- 秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ (左京大夫顕輔)
- ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ (待賢門院堀河)
- ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる (後徳大寺左大臣)
- 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり (道因法師)
- 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる (皇太后宮大夫俊成)
- 長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき (藤原清輔朝臣)
- 夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり (俊恵法師)
- 嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな (西行法師)
- 村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮 (寂蓮法師)
- 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき (皇嘉門院別当)
- 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする (式子内親王)
- 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず (殷富門院大輔)
- きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む (後京極摂政前太政大臣)
- わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし (二条院讃岐)
- 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも (鎌倉右大臣)
- み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり (参議雅経)
- おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖 (前大僧正慈円)
- 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり (入道前太政大臣)
- 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ (権中納言定家)
- 風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける (従二位家隆)
- 人も愛し人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は (後鳥羽院)
- 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり (順徳院)
1番歌
わが衣手は露にぬれつつ
【読み】
あきのたのかりほのいほのとまをあらみ
わがころもてはつゆにぬれつつ
【意味】
秋の田に作った仮小屋にいると、屋根を葺いた苫の目が荒いので、私の袖は夜霧に濡れてしまう。
【解説】
”かりほの庵”:「仮庵の庵(かりいほのいおり)」の語調を整えたもの。農作業用の小屋のこと。
”苫”:藁や萱を編んだもの。これで屋根を葺く。
万葉集にある作者不明の歌「秋田刈る仮庵を作りわが居れば衣手寒く露ぞ置きにける」が基になっているとも言われますが、小倉百人一首には天皇が士民の苦労をいたわった歌として選ばれています。
作者は第38代天皇の天智天皇。即位前の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の時代に大化の改新を行い、天皇中心の中央集権国家の基礎を築きました。
2番歌
衣干すてふ天の香具山
【読み】
はるすぎてなつきにけらししろたへの
ころもほすてふあまのかぐやま
【意味】
春が過ぎ、夏が来たらしい。夏になると白い衣を干すという天の香具山に真っ白な衣が干されている。
【解説】
”来にけらし”:「来にけるらし」の略で、「来たらしい」という意味。
”白妙の衣”:真っ白な衣のこと。白妙は白栲のあて字で、楮の繊維で織られる。
作者は第41代天皇の持統天皇。女帝で、とても有能な統治者でした。
3番歌
ながながし夜をひとりかも寝む
【読み】
あしびきのやまどりのをのしだりをの
ながながしよをひとりかもねむ
【意味】
山鳥のあのたれさがった尾のように長い夜を、私は一人で寂しく眠るのであろうか。
【解説】
”あしびきの”:山の枕詞。
”山どり”:キジ科に属す鳥。
”しだり尾”:垂れ下がっている尾のこと。
山鳥はひとり寝をする習性があるという言い伝えから、わびしい気持ちを重ねた歌です。
作者は柿本人麻呂。飛鳥時代の歌人です。三十六歌仙の一人で、歌聖とも評されています。
4番歌
富士の高嶺に雪は降りつつ
【読み】
たごのうらにうちいでてみればしろたへの
ふじのたかねにゆきはふりつつ
【意味】
田子の浦の海辺に出て見渡してみると、富士の高嶺には真っ白な雪が降り積もっている。
【解説】
”田子の浦”:現在の静岡県富士郡元吉原の海岸のこと。富士山を眺めるには最適の場所と言われていた。
”うち出でて”:「うち」は接頭語。ただ「出て」という意味。
”降りつつ”:ここでは「降り積もっている」という意味。
作者は山辺赤人。奈良時代の歌人で、三十六歌仙の一人。万葉集の代表的な歌人です。
5番歌
声聞く時ぞ秋は悲しき
【読み】
おくやまにもみぢふみわけなくしかの
こえきくときぞあきはかなしき
【意味】
奥山で散り敷いた紅葉を踏み分けて鳴く鹿の声を聞くとき、とりわけ秋が悲しく感じられる。
【解説】
”奥山”:人里離れた奥深い山。
雄鹿が求愛の際に鳴く声は、秋の風物詩でした。
古今集の時代には、紅葉を踏み分けているのは鹿ではなく作者自身と解していましたが、藤原定家ら後世になってからは踏み分けているのは鹿であるという解がなされています。
作者は猿丸大夫(さるまるのたいふ/さるまるだゆう)。三十六歌仙の一人です。
6番歌
白きを見れば夜ぞ更けにける
【読み】
かささぎのわたせるはしにおくしもの
しろきをみればよぞふけにける
【意味】
鵲が渡したという橋に置いた霜が真っ白になっているのを見ると、夜もふけたということだろう。
【解説】
”鵲”:カラス科の鳥のこと。
かささぎが七夕の夜、天の川に翼を連ねて橋を掛け、織女を渡したという伝説を元にしています。
作者は大伴家持(おおとものやかもち)。小倉百人一首では中納言家持となっています。三十六歌仙の一人で、万葉集を最終的に編集したのは家持とも言われています。
7番歌
三笠の山に出でし月かも
【読み】
あまのはらふりさけみればかすがなる
みかさのやまにいでしつきかも
【意味】
大空を遥かに見渡してみると、月が出ている。あの月は故郷の春日の三笠の山に出たのと同じ月なのだろうか。
【解説】
”天の原”:大空。
”ふりさけ見れば”:「ふり」は接頭語。「遠くを見渡すと」という意味。
”春日”:現在の奈良市、春日神社のあたり。
唐朝に仕えていた作者が月を仰ぎ、故郷への思いを募らせた歌です。
作者は安倍仲麿(あべのなかまろ)。唐朝で高官にまで登りつめたものの、結局日本への帰国は果たせませんでした。
百人一首の中で唯一、異国の地で詠まれた歌です。
8番歌
世をうぢ山と人はいふなり
【読み】
わがいほはみやこのたつみしかぞすむ
よをうぢやまとひとはいふなり
【意味】
私の庵は都の東南にあってのどかに暮らしているが、世間の人は世を憂しとして宇治山に住んでいると言っているらしい。
【解説】
”都のたつみ”:方角を十二支にあてはめると、辰巳は東南にあたる。
”しかぞ住む”:このように住んでいる。
”世をうぢ山”:憂し(つらい)と住んでいる宇治をかけている。
作者は喜撰法師(きせんほうし)。六歌仙の一人ですが、生没年などの詳細は謎に包まれています。現在伝わっているこの和歌と、玉葉和歌集に載っている下記の歌2首しかありません。
[木の間より見ゆるは谷の蛍かも いさりに海人の海へ行くかも]
9番歌
わが身世にふるながめせし間に
【読み】
はなのいろはうつりにけりないたづらに
わがみよにふるながめせしまに
【意味】
花の色は、すっかりあせてしまいました。むなしく長雨が降り、物思いにふけっている間に。
【解説】
”花の色は”:桜の花の色のことを指している。
”うつりにけりな”:色があせること。
”よにふる”:世渡りすることの世に”経る”と雨が”降る”をかけている。
”ながめ”:”長雨”と”眺め”をかけている。
歌の詞書は、「やむごとなき人のしのび給ふに」。
自身の生活や容姿が時とともに変わっていくことを情緒的に詠んだ歌です。
作者は小野小町(おののこまち)。平安時代の女流歌人で、世界三大美女の一人としても有名です。
10番歌
知るも知らぬもあふ坂の関
【読み】
これやこのゆくもかへるもわかれては
しるもしらぬもあふさかのせき
【意味】
これがあの、行く人も帰る人も、知る人も知らぬ人も逢っては別れる逢坂の関なのですね。
【解説】
”これやこの”:これが噂に聞くあの…。
”あふ坂の関”:大津と京都の中間にあった関。
逢坂の関は京の都の玄関口。そこで出逢いと別れを繰り返す旅人を眺めながら詠んだ歌です。
作者は蝉丸(せみまる/せみまろ)。平安時代の歌人で、逢坂山に住んでいました。
蝉丸は盲目だったという説もあります。
11番歌
人には告げよ海人の釣船
【読み】
わたのはらやそしまかけてこぎいでぬと
ひとにはつげよあまのつりぶね
【意味】
大海原の島々を目指して漕ぎだして行ったと、都の人には告げてくれ、漁師の釣り船よ。
【解説】
”わたの原”:大海原のこと。「わた」は海の古語。
”八十島”:多くの島々。
”かけて”:目がけて。
”漕ぎ出でぬ”:「ぬ」は完了の助動詞。漕ぎだしたということ。
”人”:都の人、家族や親しい人びと。
作者は、参議篁(さんぎたかむら)。
この歌の背景には、作者の参議篁こと小野篁(おののたかむら)が体験したある事件があります。
それは篁が遣唐副使に任ぜられ船で出発する際、大使である藤原常嗣が自分の破損した船に篁を乗せ、篁の船に常嗣が乗ろうとした横暴に篁が反発し、船に乗らなかった事で嵯峨天皇の怒りにふれ、隠岐に流されてしまったということ。
真冬に隠岐に島流しされる自身の心情が痛いほど込められている歌です。
12番歌
乙女の姿しばしとどめむ
【読み】
あまつかぜくものかよひぢふきとぢよ
をとめのすがたしばしとどめむ
【意味】
空を吹く風よ、雲の中の通り道をふさいでおくれ。この美しい天女の姿をもう少しとどめておきたいのだ。
【解説】
”天つ風”:空を吹く風。「つ」は現在の「の」にあたる古い助詞。
”雲の通ひ路”:ここでは天女が天井へ帰る雲の切れ間の路のこと。
”をとめ”:ここでは天女の意味。
この歌は五節の舞姫を天女に見立てた歌です。
五節(ごせち)とは新嘗会(しんじょうえ)や大嘗会(だいじょうえ)の際に舞姫が舞う公事のことで、これは天武天皇が吉野の宮で琴を弾いた際に天女が降りてきて袖を五度翻したという故事にもとづいています。
舞姫には公卿・国司の家の姫が4人選ばれて、舞を披露していました。
作者は僧正遍昭(そうじょうへんじょう)。俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)です。平安時代の僧・歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人でもあります。
桓武天皇の孫で、素性法師(21番歌)の父です。
13番歌
恋ぞ積もりて淵となりぬる
【読み】
つくばねのみねよりおつるみなのがは
こひぞつもりてふちとなりぬる
【意味】
筑波山の峰から流れ落ちるみなの川が積もり積もって深い淵となるように、私の恋心もどんどん深くなるばかりだ。
【解説】
”筑波峰”:現在の茨城県にある筑波山のこと。
”みなの川”:男女川や、水無川の字をあてる。やがて桜川となり霞ヶ浦に入る川。
”淵”:川の深くよどんだところ。
作者は陽成院(ようぜいいん)。9歳で即位したものの非常識な行動が多いとして17歳で退位させられ、その後は隠遁生活を送りました。陽成院は清和天皇の皇子で、元良親王(20番歌)の父です。
この歌は陽成院が光孝天皇の第三皇女である綏子内親王に贈ったものです。
14番歌
乱れそめにしわれならなくに
【読み】
みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに
みだれそめにしわれならなくに
【意味】
陸奥産のしのぶずりの乱れ模様のように私の心も乱れているのは、他ならぬ貴方の為なのです。
【解説】
”陸奥”:東北地方東半部。
”しのぶもぢすり”:福島県信夫地方の特産品で、捩れ模様の摺り衣のこと。
”乱れそめにし”:乱れ初めた。「染め」とかけている。
”我ならなくに”:私ではないのに。
恋心の乱れと信夫もじ摺に重ねて詠んだ歌です。
作者は河原左大臣。本名を源融(みなもとのとおる)といいます。
源氏物語の主人公である光源氏のモデルの一人といわれています。
15番歌
わが衣手に雪は降りつつ
【読み】
きみがためはるののにいでてわかなつむ
わがころもでにゆきはふりつつ
【意味】
貴方に差し上げる為に春の野に出て若菜を摘んでいると、わたしの袖に雪が降りかかっておりました。
【解説】
”若菜”:早春の野に生える、食用になる若草の総称。
”衣手”:着物の袖のこと。
”降りつつ”:しきりに降る様。
古今集の詞書に「仁和のみかどみこにおはしましける時、人に若菜たまひける御歌」と書いてあることから、天皇に即位する前の歌であることがわかっていますが、贈った相手は不明です。
作者は光孝天皇(こうこうてんのう)。仁明天皇の第三皇子で、宇多天皇の父です。
源氏物語の主人公である光源氏のモデルの一人といわれています。
16番歌
まつとし聞かば今帰り来む
【読み】
たちわかれいなばのやまのみねにおふる
まつとしきかばいまかへりこむ
【意味】
貴方と別れ因幡の国へ行っても、稲羽山の峰に生える松のように貴方が待つと聞いたならすぐに帰ってきます。
【解説】
”いなばの山の”:因幡(鳥取県)の稲葉山。または広く因幡の国の山とする説もある。
”まつとし聞かば”:「松」と「待つ」を掛けている。「し」は意味を強める助詞。
因幡守として遠方に赴任する際に見送りに来てくれた人へ贈った歌です。
作者は中納言行平。在原行平(ありわらのゆきひら)として知られる、平安時代の歌人・公家で在原業平(17番歌)の異母兄です。
17番歌
からくれなゐに水くくるとは
【読み】
ちはやぶるかみよもきかずたつたがは
からくれなゐにみづくくるとは
【意味】
不思議なことが多かった神代にも聞いたことがない。竜田川が真っ赤に括り染めになるなんて。
【解説】
”ちはやぶる”:神にかかる枕詞で、勢いの激しい。
”神代”:神がおさめていた時代。
”竜田川”:現在の奈良県生駒郡にある川。
”からくれなゐ”:真紅。
”くくる”:括って染めるという意味。絞り染めにすること。
古今集の詞書に「二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に竜田川にもみぢ流れたるかたをかけりけるを題にてよめる」とあります。
つまりこの歌は屏風の絵を見て詠んだ歌。二条の妃(高子)とかつて恋愛関係にあった作者が、昔の恋を思い起こさせる為により大げさに詠んだと言われています。
作者は美男子として有名だった在原業平(ありわらのなりひら)。在原行平(16番歌)の異母弟です。六歌仙、三十六歌仙の一人で、伊勢物語は業平を主人公にしています。
18番歌
夢の通ひ路人目よくらむ
【読み】
すみのえのきしによるなみよるさへや
ゆめのかよひぢひとめよくらむ
【意味】
住の江の岸に波が寄るその夜でさえ、夢の通い路でも貴方は人目を避け逢ってくださらないのでしょうか。
【解説】
”住の江”:現在の大阪市、住吉の浦。
”よるさへや”:明るい昼だけでなく、人に見られる心配が無い夜でさえもという意味。
”夢の通い路”:夢の中で逢いにいく路のこと。
”人めよく”:人目をさける。
古今集の詞書に「寛平の御時きさいの宮の歌合の歌」とあり、宇多天皇の御代に皇后温子のもとで行われた歌合の際の歌です。
作者は藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)。平安前期の歌人、貴族で三十六歌仙の一人です。
弘法大師に並ぶ書家でもありました。
19番歌
逢はでこの世を過ぐしてよとや
【読み】
なにはがたみじかきあしのふしのまも
あはでこのよをすぐしてよとや
【意味】
難波潟の蘆の短いふしの間のようなほんの少しの時間にも、遭わないでこの世を過ごせと、そうおっしゃるのですか。
【解説】
”難波潟”:大阪付近の海の古称。
”みじかき”:蘆ではなく、「ふしの間」にかかる。
”蘆の節の間”:蘆の節と節の間はつまっていて短いことから、時間の短さとかけている。
”あはで”:逢わないで。
”過してよとや”:「過してよ」で「過ごして欲しい」、「とや」は「とおっしゃるのですか。」との意味。
作者は伊勢。平安時代の女性歌人で、三十六歌仙の一人です。
20番歌
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
【読み】
わびぬればいまはたおなじなにはなる
みをつくしてもあはむとぞおもふ
【意味】
こうして思い悩んでいる今となっては同じこと、難波の澪標のように、この身をほろぼしても貴方に逢いたい。
【解説】
”わびぬれば”:「わび」は心に思い悩むこと。
”今はた同じ”:「はた」は「また」。
”難波なる”:難波にある。
”みをつくし”:船の道標として水中に立ててある澪標と、「身を尽くし」とかけてある。
後撰集の詞書に「事いできて後に京極の御息所につかはしける」とある歌です。
京極の御息所は藤原時平の娘褒子で、宇多天皇の妃です。
この歌は二人の関係が露顕してしまい、遭うことが出来なくなった今となっては身を滅ぼしてでも逢いたいという強い気持ちを詠んだ歌です。
作者は元良親王(もとよしてんのう)。平安時代の歌人・皇族で、陽成天皇(13番歌)の第一皇子です。
光源氏のモデルの一人とされています。
21番歌
有明の月を待ち出でつるかな
【読み】
いまこむといひしばかりにながつきの
ありあけのつきをまちいでつるかな
【意味】
貴方が「すぐに行く」と言ったから、九月の有明の月が出るまで待ってしまいました。
【解説】
”今来む”:すぐに行こう。
”有明の月”:夜が明けたのに空に残る月のこと。
”待ち出で”:待っているところへ出ること。
恋人が来るのを待つ女性の気持ちになって詠んだ歌です。
作者は素性法師(そせいほうし)。三十六歌仙の一人です。
俗名は良岑玄利(よしみねのはるとし)で、僧正遍昭(12番歌)の子です。
22番歌
むべ山風をあらしといふらむ
【読み】
ふくからにあきのくさきのしをるれば
むべやまかぜをあらしといふらむ
【意味】
吹くとすぐに秋の草木がしおれてしまうので、なるほど山嵐をあらしと言うのだろう。
【解説】
”吹くからに”:吹くとすぐに。
”むべ”:なるほど。「うべ」とも言う。
”山嵐”:山から吹きおろす風のこと。
”あらし”:「嵐」と「荒し」を掛けている。
縦に「山嵐」と書くと「嵐」の字になる文字遊びが隠された歌です。
作者は文屋康秀(ふんやのやすひで)。平安初期の歌人で、六歌仙の一人です。
文屋朝康(37番歌)の父でもあります。
愛知の三河、京都の山城の地方官として働き、身分は低かったものの歌人として名を残しました。
23番歌
わが身ひとつの秋にはあらねど
【読み】
つきみればちぢにものこそかなしけれ
わがみひとつのあきにはあらねど
【意味】
月を見ると、色々な物事が悲しく感じられる。私一人だけに来た秋ではないのだけれど。
【解説】
”ちぢに”:色々に。様々に。
”ものこそ悲しけれ”:物事が悲しい。
作者は大江千里(おおえのちさと)。平安前期の歌人、貴族で、中古三十六歌仙の一人です。
在原行平・業平の甥にあたります。
24番歌
紅葉の錦神のまにまに
【読み】
このたびはぬさもとりあへずたむけやま
もみぢのにしきかみのまにまに
【意味】
今回の旅は急なことでしたので幣の用意も出来ませんでした。手向山の紅葉を神のお心のままにお受け下さい。
【解説】
”このたびは”:「この度」と「この旅」を掛けている。
”ぬさ”:幣のこと。
”手向山”:奈良から吉野にいたる中間の峠を指しているとも言われている。
”神のまにまに”:神の御意のままに。
幣とは神に祈る際の捧げ物で、昔は旅に出る際に携帯して道中の道祖神に備えることで安全祈願をしていました。
作者の菅家とは菅原道真(すがわらのみちざね)のこと。
大宰府で左遷されたエピソードで有名ですが、現在は学問の神様としても知られています。