小倉百人一首にも収録されている、元良親王の下記の和歌。
「わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ」
上記の元良親王の和歌について、意味や現代語訳、読み方などを解説していきたいと思います。
百人一首の第20首目の読み方と意味
まずは小倉百人一首に収録されている元良親王の20番歌について、読み方と意味をみていきましょう。
わびぬれば今はたおなじ難波なる
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
元良親王
【読み方】
わびぬればいまはたおなじなにはなる
みをつくしてもあはむとぞおもふ
【和歌の意味】
こうして思い悩んでいる今となっては同じこと、難波の澪標のように、この身をほろぼしても貴方に逢いたい。
【単語解説】
”わびぬれば”:「わび」は心に思い悩むこと。
”今はた同じ”:「はた」は「また」。
”難波なる”:難波にある。
”みをつくし”:船の道標として水中に立ててある澪標と、「身を尽くし」とかけてある。
百人一首の20番歌の解説
後撰集の詞書に「事いできて後に京極の御息所につかはしける」とある歌です。
京極の御息所は藤原時平の娘褒子で、宇多天皇の妃です。
この歌は二人の関係が露顕してしまい、遭うことが出来なくなった今となっては身を滅ぼしてでも逢いたいという強い気持ちを詠んだ歌です。
作者について
作者は元良親王(もとよしてんのう)。[890年〜943年]
平安時代の歌人・皇族で、陽成天皇(13番歌)の第一皇子です。
父が譲位した後に誕生した為、即位はしませんでした。
光源氏のモデルの一人とされています。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は百人一首の20番歌、元良親王の「わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ」の和歌について現代語訳と意味解説をさせて頂きました。
ご参考になれば幸いです。
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