「垣間見」という言葉は古典単語でもあり、現在も使われている言葉です。
現在の「垣間見る」という言葉の意味は、
②物事の一端を知る。
の二種類です。
古典単語の「垣間見」は①と同じ、物の隙間からのぞき見ることを表します。
でもこの「垣間見る」という行為、現在と古典文学が書かれた時代(ここでは主に平安時代を指します)ではその意味が大きく違っていたのです。
今回はその「垣間見」という言葉から、平安時代の恋愛事情を紹介したいと思います。
平安時代の成人と垣間見
平安時代の貴族は、生まれてからだいたい12歳くらいまで子供たちとして男女が共に生活を送ります。
そしてこの時代の人々は12~14歳で、現在で言う成人を迎えます。
これを男性は「初冠(ういこうぶり)」、女性は「裳着(もぎ)」と言います。
男性は職に就き、冠(位)を与えられます。(位とは役職のこと)
女性は、結婚相手が決まったときや、そのめどが立ったときに行います。
成人することによって変わることはもう一つ。
“気軽に異性と顔を合わせることができなくなる“のです。
そのために、男性が女性の住んでいる家の中をのぞき見るという行為が生まれました。
それが「垣間見」です。
現代で、男性が女性の家の中をのぞき見ていたら犯罪になってしまいますが、当時は、それが認められていました。
男性が女性と出会うきっかけは、お見合いか「垣間見」くらいしかなかったのです。
ちなみに、女性は男性からのアプローチを待つことしかできないという時代でした。
逢瀬のルール
「垣間見」を果たした男性は、次に何をするでしょうか。
和歌です。和歌を送ります。
現代に例えると、「垣間見」が出会いで、和歌を送ることは連絡先を交換することにあたります。
送った和歌が女性のお眼鏡にかなうと、女性からの返事がきます。
何度かやりとりをしたら、次はデートですね。平安時代のデートは基本、女性の家に男性が行くというものでした。
この逢瀬にはルールがありました。
②日が昇る前に帰ること。
どちらも“逢瀬を他人に知らせることはスマートではない”という考え方が根本にあります。
また、②に関しては、平安時代の貴族の出勤時間は5時くらいであったため、一度家に帰って出勤するには、暗いうちに帰らなければならないという現実的な理由も関係しているでしょう。
きぬぎぬ
そして別れた後はすぐにきぬぎぬの和歌を送ります。
きぬぎぬは「後朝」や「衣衣」と書きますが、元々は朝別れるときにお互いの下着を交換し合っていたこと(次会うときまで身に着けていてという約束)が、後に和歌の交換という形になっても言葉が残ったのだと言われています。
結婚の成立
こうした逢瀬(デート)を繰り返すわけですが、ここでまた現代との大きな違いがあります。
それは、同じ女性の家に3度通うと、3度目で結婚が成立するということです。
実質、2回のデートと和歌のやりとりで結婚するかどうかを決めなければならないのです。
この時代は一夫多妻制なので男性は結婚相手を複数持つことができますが、女性はそうではありません。
このため顔を合わせている時間はもちろん、和歌でのやりとりがどれほど重要かわかります。
女性は、男性から和歌が送られてくると、女房(召使い)など総出で和歌の評価をしたり、男性の素性を調べたりしていたそうです。
結婚後も男性が女性の家に通うという形は変わりません。
そのため、夫を待っている妻の様子などは古典作品でよく描かれ、その際に送られた和歌も多く残っています。
そして子供は母親の家で生まれ、母親のもとで生活をします。
そして、年頃になると初冠、裳着をして家を出て行くという流れになります。
まとめ
ここまで、平安時代の恋愛事情を説明してきました。
古典作品を読む際に、是非思い出してみてくださいね。
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