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古本説話集「丹後の国の成合のこと」原文と現代語訳・解説・問題

岬灯籠
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古本説話集(こほんせつわしゅう)は平安から鎌倉時代頃に成立した説話集で、編者などは詳しくわかっていません。

今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる古本説話集の中から「丹後(たんご)の国の成合(なりあい)のこと」について詳しく解説していきます。

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古本説話集「丹後の国の成合のこと」の解説

古本説話集でも有名な、「丹後の国の成合のこと」について解説していきます。

古本説話集「丹後の国の成合のこと」の原文

今は昔、丹後の国は北国にて、雪深く、風けはしく侍る山寺に、観音験じ給ふ。
そこに貧しき修行者こもりにけり。

冬のことにて、高き山なれば、雪いと深し。
これにより、おぼろげならずは人通ふべからず。

この法師、糧絶えて、日ごろ経るままに、食ふべき物なし。
雪消えたらばこそ出でて乞食をもせめ、人を知りたらばこそ

「訪(とぶら)へ。」

とも言はめ、雪の中なれば、木草の葉だに食ふべき物もなし。

五、六日請ひ念ずれば、十日ばかりになりにければ、力もなく、起き上がるべき心地もせず。
寺の辰巳の隅に破(や)れたる蓑うち敷きて、木もえ拾はねば、火もえ焚かず、寺は荒(あば)れたれば、風もたまらず、雪も障(さは)らず、いとわりなきに、つくづくと臥せり。

物のみ欲しくて、経も読まれず、念仏だにせられず。
ただ今を念じて、

「今しばしありて、物は出で来なん。人は訪(と)ひてん。」

と思はばこそあらめ、心細きこと限りなし。
今は死ぬるを限りにて、心細きままに、

「この寺の観音、頼みてこそは、かかる雪の下、山の中にも臥せれ、ただひとたび声を高くして『南無観音。』と申すに、もろもろの願ひみな満ちぬることなり。
年ごろ仏を頼み奉りて、この身いと悲し。
日ごろ観音に心ざしを一つにして頼み奉るしるしに、今は死に侍りなんず。
同じき死にを、仏を頼み奉りたらんばかりには、終はりをもたしかに乱れずとりもやするとて、この世には、今さらにはかばかしき事あらじとは思ひながら、かくし歩き侍り。
などか助け給はざらん。
高き位を求め、重き宝を求めばこそあらめ、ただ今日食べて、命生くばかりの物を求べて賜(た)べ。」

と申すほどに、戌亥の隅のあばれたるに、狼に追はれたる鹿(しし)入り来て、倒(たう)れて死ぬ。
ここにこの法師、

「観音の賜びたるなんめり。」

と、「食ひやせまし。」と思へども、

「年ごろ仏を頼みて行ふこと、やうやう年積りにたり。いかでかこれをにはかに食はん。
聞けば、生き物みな前(さき)の世の父母(ちちはは)なり。
われ物欲しと言ひながら、親の肉(しし)をほふりて食らはん。
物の肉を食ふ人は、仏の種を断ちて、地獄に入る道なり。
よろづの鳥獣(とりけだもの)も、見ては逃げ走り、怖ぢ騒ぐ。菩薩も遠ざかり給ふべし。」

と思へども、この世の人の悲しきことは、のちの罪もおぼえず、ただ今生きたるほどの堪へがたさに堪へかねて、刀を抜きて、左右(さう)の股(もも)の肉を切り取りて、鍋に入れて煮食ひつ。
その味はひの甘(むま)きこと限りなし。

さて、物の欲しさも失せぬ。
力もつきて人心地おぼゆ。

「あさましきわざ(*1)をもしつるかな。」

と思ひて、泣く泣くゐたるほどに、人々あまた来る音す。
聞けば、

「この寺にこもりたりし聖は、いかになり給ひにけん。人通ひたる跡もなし。参り物もあらじ。人気(ひとけ)なきは、もし死に給ひにけるか。」

と、口々に言ふ音す。

「この肉を食ひたる跡をいかでひき隠さん。」

など思へど、すべき方なし。

「まだ食ひ残して鍋にあるも見苦し。」

など思ふほどに、人々入り来ぬ。

「いかにしてか日ごろおはしつる。」

など、廻(めぐ)りを見れば、鍋に檜の切れを入れて煮食ひたり。

「これは、食ひ物なしと言ひながら、木をいかなる人か食ふ。」

と言ひて、いみじくあはれがるに、人々仏を見奉れば、左右の股を新しく彫(ゑ)り取りたり。

「これは、この聖の食ひたるなり。」

とて、

「いとあさましきわざ(*2)し給へる聖かな。同じ木を切り食ふものならば、柱をも割り食ひてんものを。など仏を損ひ給ひけん。」

と言ふ。
驚きて、この聖見奉れば、人々言ふがごとし。

「さは、ありつる鹿は仏の験じ給へるにこそありけれ。」

と思ひて、ありつるやうを人々に語れば、あはれがり悲しみあひたりけるほどに、法師、泣く泣く仏の御前に参りて申す。

「もし仏のし給へることならば、もとの様にならせ給ひね。」

とかへすがえす申しければ、人々見る前に、もとの様になり満ちにけり。
されば、この寺をば成合(なりあひ)と申し侍るなり。
観音の御しるし、これのみにおはしまさず。

古本説話集「丹後の国の成合のこと」の現代語訳

今では昔の話だが、丹後の国は北国であって、(その中でも特に)雪が深く、風が激しく吹きます山寺に、観音が霊験をあらわしなさる。
その寺に貧しい修験僧がこもっていた。

冬のことでもあり、高い山でもあるので、雪がとても深い。
このため、よほどのことでなければ人が通うことはできない。

この法師は、食糧がなくなって数日たつうちに、食べられるものが何もなくなった。
もし雪が消えたならば外に出て托鉢もしよう(と思い)、(また誰か)知人がいたならば

「訪ねてほしい。」

とも言おうと思うが、雪の中なので、草木の葉でさえ食べることができる物がない。

五、六日仏に願いをかなえてくれるよう祈念していると、十日ほどたったところで、力もなくなり、起き上がろうという気持ちも起こらない。
寺の南東の隅に破れた箕を敷いて、木も拾うことができないので、火も焚くことができず、寺は荒れ果てているので、風も止まらず吹き抜けて、雪も防ぐことができず、とてもつらいので、ぐったりと横になっていた。

食べ物だけが欲しくて、経も読むことができず、念仏さえすることができない。
ただ今のことだけを祈って、

「もう少し(我慢)すると、食べ物は出てくるだろう、人は訪ねてくるだろう。」

と思いはするけれど、頼りなく不安なことこの上ない。
今は死ぬ間際であて、不安で頼りないままで、

「この寺の観音様、頼りにしておりますからこそ、このような雪の下、山の中にこもっておりますが、ただ一度声を大きくして「南無観音。」と申しただけでも、全ての願いごとがかなってしまうのである。
(私は)長年仏様をお頼り申しあげて(いたのに)、この身はとても悲しい。
常日頃から観音様に気持ちを一つにしてお頼り申しあげている功徳として、今は死にそうでございます。
(しかし)同じ死ぬにしても、仏様をお頼り申しあげているほどなので、死に際も間違いなく心乱れることもなく迎えられるかと思って、この世では、今改めて際立ったことはないだろうと思うけれども、このように修行してあちこち歩いております。
どうしてお助けくださらないのでしょうか。
高い官位を望み、貴重な宝物を望むのであれば(助けていただけないでしょうが)、ただ今日一日食べて、命を生きていくだけの物を探してください。」

と申しあげると、北西の隅の荒れ果てた所に、狼に追われたイノシシが入って来て倒れて死んだ。
そこでこの法師は、

「(このイノシシは)観音様がお与えくださったのだろう。」

と、「食べようかどうしようか。」と思ったけれども、

「長年仏様を頼りとして修行してきて、だんだん年月が積み重なった。どうしてこれ(=イノシシ)をすぐに食べられるだろうか(、いや、食べられるはずがない)。
聞くところによると、生き物は全て前世の父母であるという。
私は食べ物が欲しいとは思うけれど、(どうして)親の肉を切り裂いて食べるだろう。
生き物の肉を食べる人は、成仏するための根本となる要素を失って、地獄に落ちる道をたどるのである。
全ての鳥獣も、(そのような人を)見ては逃げ去り、恐れ騒ぐ。
菩薩も遠ざかりなさるだろう。」

と思うけれども、この世に生きる人間の悲しいことは、死んだ後の罪も考えず、ただ今現在生きている間の堪え難い苦しみを我慢できずに、刀を抜いて、(イノシシの)左右のももの肉を切り取って、鍋に入れて煮て食べてしまった。

そうして(満腹になって)、食べ物が欲しいという気持ちもなくなった。
力もみなぎって正気になった。

「驚きあきれたことをしてしまったなあ。」

と思って、泣きながら座っているところに、人々が大勢来る音がする。
聞くと、

「この寺にこもっていた聖はどのようにおなりになったのだろうか。人が通った跡もない。お食べになる物もないでしょう。人のいる気配がないのは、もしかしたらお亡くなりになってしまったのか。」

と、口々に言う声がする。
(法師は)「この肉を食べた跡をなんとかして隠そう。」などと思うけれど、どうしようもない。
「まだ食べ残した肉が鍋に入っているのも見苦しい。」などと思っているうちに、人々が入って来てしまった。

「どのようにして日々をお過ごしだったのか。」

などと言って、人々が周りを見ると、鍋に檜の切れ端を入れて煮て食べてあった。

「これは、食べ物がないとはいうものの、木をどんな人が食べたのか。」

と言って、とても気の毒がったが、人々が仏をお見申しあげると、左右のももを新しく切り取ってある。

「これは、この聖が食べたのである。」

と言って、

「とても驚きあきれることをなさった聖であるなあ。(どうせ)同じ木を切り取って食べるのならば、柱を切って食べればよいのに。どうして仏を傷つけなさったのだろうか。」

と言う。

驚いて、この聖が(仏を)お見申しあげると、人々の言うとおりである。

「それならば先程のイノシシは仏が現れなさったのであるのだなあ。」

と思って、先程の様子を人々に話すと、気の毒がって一緒に悲しんでいた時に、法師が、泣きながら仏の御前に参上して申しあげる。

「もし仏がなさったことであるならば、元のようにお戻りなさいませ。」

と繰り返し申しあげると、人々の見ている前で、元の姿に戻った。
このようなわけで、この寺を成合と申すのでございます。
観音様のご利益は、これだけではいらっしゃらない。

古本説話集「丹後の国の成合のこと」の単語・語句解説

[風けはしく侍る]
風が激しく吹きます。

[おぼろけならずは]
よほどのことでもなければ。

[辰巳]
方角で、辰と巳の間=東南のこと。

[え拾はねば]
拾うことができないので。

[雪も障らず]
雪も防ぐことができず。

[いとわりなきに]
とても辛くて。

[今は死ぬるを限りにて]
今は死ぬ間際であって。

[死に侍りなんず]
きっと死んでしまうでしょう。

[乱れとりもやする]
乱れずに迎えられるか。

[はかばかしきことあらじ]
際立ってよいこともないだろう。

[賜(た)べ]
お与えください。

[戌亥]
方角で、北西のこと。

[食ひやせまし]
食べようかどうしようか。

[人心地おぼゆ]
正気になる。

[すべき方なし]
どうしようもない。

*古本説話集「丹後の国の成合のこと」でテストによく出る問題

○問題:(*1)の「あさましきわざ」とはどのようなことか。
答え:イノシシの肉を食べてしまったこと。

○問題:(*2)の「いとあさましきわざ」とはどのようなことか。
答え:仏像の左右の腿(もも)を切り取り、煮て食べたこと。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は古本説話集(こほんせつわしゅう)でも有名な、「丹後(たんご)の国の成合(なりあい)のこと」についてご紹介しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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