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枕草子「野分のまたの日こそ」原文と現代語訳・解説・問題|高校古典

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枕草子(まくらのそうし)は1001年(長保3年)頃に書かれた随筆で、作者は清少納言です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる枕草子の中から「野分(のわき)のまたの日こそ」について詳しく解説していきます。

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枕草子「野分のまたの日こそ」の解説

枕草子でも有名な、「野分のまたの日こそ」について解説していきます。

枕草子「野分のまたの日こそ」の原文

野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。
立蔀、透垣などの乱れたるに、前栽どもいと心苦しげなり。

大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩・女郎花などの上によころばひ伏せる、いと思はずなり。
格子の壺などに、木の葉を、ことさらにしたらむやうに、こまごまと吹き入れたるこそ、荒かりつる風のしわざとはおぼえね。

いと濃き衣の上曇りたるに、黄朽葉の織物、薄物などの小袿着て、まことしう清げなる人の、夜は風のさわぎに、寝られざりければ久しう寝起きたるままに、母屋よりすこしゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされて、少しうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。
ものあはれなるけしきに見出だして、

「むべ山風を」

など言ひたるも、心あらむと見ゆるに、十七、八ばかりにやあらむ、小さうはあらねど、わざと大人とは見えぬが、生絹の単のいみじうほころび絶え、花もかへり濡れなどしたる、薄色の宿直物を着て、髪、色に(*)、こまごまとうるはしう、末も尾花のやうにて、丈ばかりなりければ、衣の裾にはづれて、袴のそばそばより見ゆるに、童べ、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取り集め、起こし立てなどするを、うらやましげに押し張りて、簾に添ひたる後ろ手も、をかし。

枕草子「野分のまたの日こそ」の現代語訳

紫(または紅)のたいそう濃い色の着物で表面の艶が薄れている着物に、黄朽葉(縦糸が紅、横糸が黄)の織物や、薄い絹織物などの小袿を着て、実直そうで美しい人が、夜は風の騒がしさに寝られなかったので、遅くまで寝ていて起き出したままで、母屋から少し座ったまますべり出ている(状態で)、髪は風に吹き乱されて、少しふくらんだようにそそけだっているのが、肩にかかっている様子は本当に素晴らしい。

(その人が)なんとなくしみじみとした様子で外を見やって、

「むべ山風を」

などと言っているのも、情趣を理解する(人な)のだろうと見えるが、十七、八歳くらいであるだろうか、小さくはないけれど、特に大人とは見えない人が、正絹の単衣で縫い合わせずにおく聞きの部分(の糸)がひどく切れ、縹色(薄い藍色)も色あせてしっとりしている、薄紅色(または薄紫色)の夜着を着て、髪は、美しくつややかで、こまやかにきちんと整っていて、髪の末も尾花のようで(ふさふさとして)、(長さは)背丈くらいであったので、着物の裾に届かないで、袴のひだの間から(髪が)見えるが、(その人が)子どもたちや、若い人々が、根こそぎ吹き折られた(花や木を)、あちらこちらに取り集めて、起こし立てたりなどするのを、うらやましそうに手で簾を外に押し張って、簾に寄り添って(眺めて)いる後ろ姿も、趣がある。

枕草子「野分のまたの日こそ」の単語・語句解説

[まことしう清げなる人]
実直そうで美しい人。

[ゐざり出でたる]
座ったまますべり出ている(状態で)。

[心あらむ]
情趣を理解する(人な)のだろう。

*枕草子「野分のまたの日こそ」でテストによく出る問題

○問題:「色に(*)」の意味は何か。
答え:「美しくつややかだ」という意味。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は枕草子でも有名な、「野分のまたの日こそ」についてご紹介しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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