おらが春「添へ乳」原文と現代語訳・解説・問題|小林一茶の俳諧俳文集

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おらが春(おらがはる)は小林一茶が1819年(文政2年)に書いた俳諧俳文集です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくるおらが春の中から「添へ乳」について詳しく解説していきます。

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おらが春「添へ乳」の解説

おらが春でも有名な、「添へ乳」について解説していきます。

おらが春「添へ乳」の原文

去年の夏、竹植うる日のころ、憂き節しげきうき世に生まれたる娘、おろかにしてものにさとかれとて、名をさとと呼ぶ。
今年誕生日祝ふころほひよりて、てうちてうちあはは、おつむてんてん、かぶりかぶり振りながら、同じ子どもの風車といふものを持てるを、しきりに欲しがりてむづかれば、とみに取らせけるを、やがてむしやむしやしやぶつて捨て、つゆほどの執念なく、ただちにほかのものに心移りて、そこらにある茶碗を打ち破りつつ、それもただちに飽きて、障子の薄紙をめりめりむしるに、

「よくした、よくした。」

と保むれば、まことと思ひ、きやらきやらと笑ひて、ひたむしりにむしりぬ。
心のうち一点の塵もなく、名月のきらきらしく清く見ゆれば、あとなきわざをぎ見るやうに、なかなか心の皺を伸ばしぬ。
また、人の来たりて、

「わんわんはどこに。」

と言へば犬に指さし、

「かあかあは。」

と問へば鳥に指さすさま、口もとより爪先まで、愛敬こぼれて愛らしく、言はば春の初草に胡蝶の戯るるよりもやさしくなんおぼえ侍る。
このをさな、仏の守りし給ひけん、逮夜の夕暮れに、持仏堂に蝋燭照らして鈴打ち鳴らせば、どこにゐてもいそがはしく這ひ寄りて、早蕨の小さき手を合はせて

「なんむなんむ。」

と唱ふ声、しをらしく、ゆかしく、なつかしく、殊勝なり。
それにつけても、おのれ頭にはいくらの霜をいただき、額にはしわしわの波の寄せ来る齢にて、弥陀頼むすべも知らで、うかうか月日を費やすこそ、二つ子の手前もはづかしけれと思ふも、その座(*)を退けば、はや地獄の種をまきて、膝にむらがる蠅を憎み、膳をめぐる蚊をそしりつつ、あまつさへ仏の戒めし酒を飲む。

折から門に月さして、いと涼しく、外に童べの踊りの声のすれば、ただちに小椀投げ捨てて、片ゐざりにゐざり出て、声を上げ手まねして、うれしげなるを見るにつけつつ、いつしかかれをも振り分け髪の丈になして、踊らせて見たらんには、二十五菩薩の管弦よりも、はるかまさりて興あるわざならんと、わが身に積もる老いを忘れて、憂さをなん晴らしける。

かく日すがら、雄鹿の角のつかの間も、手足を動かさずといふことなくて、遊び疲れるものから、朝は日のたけるまで眠る。
そのうちばかり母は正月と思日、飯炊き、そこら掃きかたづけて、団扇ひらひら汗を冷まして、閨に泣き声のするを目の覚むる合図と定め、手かしこく抱き起こして、裏の畑に尿やりて、乳房あてがへば、すはすは吸ひながら、胸板のあたりを打ちたたきて、にこにこ笑ひ顔を作るに、母は長々胎内の苦しびも、日々襁褓の汚らしきも、ほとほと忘れて、衣の裏の玉を得たるやうに、なでさすりて、ひとしほ喜ぶありさまなりけらし。

蚕のあと数へながらに添へ乳かな

おらが春「添へ乳」の現代語訳

去年の夏、竹を植える日のころ、つらいことの多いこの世に生まれた娘は、おろかであっても物事にさとくあってほしいと思って、名をさとと呼ぶ。
今年、誕生日を祝うころから、ちょうちちょうちあわわ、おつむてんてん、かぶりかぶり振りながら、同じ(年ごろの)子どもが風車というものを持っているのを、しきりに欲しがってむずかるので、すぐに与えたところ、すぐにむしゃむしゃとしゃぶって捨て、少しばかりのこだわりもなく、すぐにほかのものに心が移って、そこらにある茶碗を割るなどして、それもすぐに飽きて、障子の薄紙をめりめりとむしるので、

「よくやった、よくやった。」

とほめると、本当(にほめられた)と思い、きゃっきゃっと笑って、ひたすらむしりにむしってしまった。
心の内に一点の汚れもなく、名月のようにきらきらして清らかに見えるので、比類なき演技を見るようで、たいそう気分が晴れた。
また、人がやってきて、

「わんわんはどこに。」

と言うと犬を指さし、

「かあかあは。」

と問うと鳥を指さす様子は、口もとから爪先まで、愛嬌があふれてかわいらしく、(たとえて)言うなら春の若草に蝶が戯れるのよりも優美に思われます。

この幼子は、仏がお守りをしてくださったからだろうか、死者の命日の前夜の夕暮れに、仏間に蝋燭をともして鈴を打ち鳴らすと、どこにいてもせわしなく這い寄って、芽を出したばかりの蕨のような小さい手を合わせて

「なんむなんむ」

と唱える声は、愛らしく、慕わしく、いとしく、けなげである。
それにつけても、自分は頭にはたくさんの霜(のような白髪)を載せ、額にはしわしわと皺の波が寄せてくる年齢で、阿弥陀如来にすがる方法も知らずに、うかうかと年月をむだに過ごすのは、数え年二歳の子の手前も恥ずかしいと思うけれども、その場所を退くと、早くも地獄に落ちる原因を作って、膝に群がる蠅を憎み、膝の周りを飛ぶ蚊をののしって(殺して)は、それどころか仏が禁じた酒を飲む。

折しも門に月の光がさして、とても涼しく、外で子供たちの踊りの声がすると、(さとは)すぐに小椀を投げ捨てて、(うまく歩けないので)膝をついたり這ったりして(外の見えるほうに)出て、声を上げ、手まねをして、うれしそうなのを見るにつけては、早くこの子を振り分け髪のできる背丈にして、踊らせ見たとしたら、二十五菩薩の音楽よりも、はるかにすぐれて興趣のあることだろうと、わが身に積もる老いを忘れて、憂さを晴らしたことだ。

このように一日中、つかの間も、手足を動かさないということがなくて、遊び疲れるので、朝は日が高くなるまで眠る。
その間だけ母は正月と思い、飯を炊き、その辺りを掃き片付けて、団扇をひらひら(動かして)汗を冷まして、寝室に泣き声がするのを目の覚める合図と決め、すばやく(娘を)抱き起こして、裏の畑でおしっこをさせて、乳房を口に当てると、(娘は)すわすわ吸いながら、(母の)胸板のあたりをたたいて、にこにこ笑顔を作るので、母は長い間の胎内(に宿していたとき)の苦しみも、日々のおしめの汚らしいことも、すっかり忘れて、この上ない宝を得たように、なでさすって、いっそう喜ぶ様子であることだ。

蚕に食われた跡を数えながら、子供に添い寝をして乳を飲ませていることだ。

おらが春「添へ乳」の単語・語句解説

[おつむてんてん]
”おつむ”は頭の事。子供をあやす言葉。

[つゆほどの]
少しばかりの。

[なかなか心の皺を伸ばしぬ]
たいそう気分が晴れた。

[やさしくなんおぼえ侍る]
優美に思われます。

[早蕨の]
芽を出したばかりの蕨の様な。

[地獄の種をまきて]
地獄に落ちる原因を作って。

[日すがら]
一日中。朝から晩まで。

*おらが春「添へ乳」でテストによく出る問題

○問題:「その座(*)」とはどこをさすか。
答え:仏前。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回はおらが春でも有名な、「添へ乳」についてご紹介しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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