山月記(さんげつき)は中島敦による短編小説で、主に高校の国語教科書にも掲載されている知名度の高い作品です。
今回はそんな中島敦「山月記」の内容あらすじと解説をしていきたいと思います。
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山月記とは
山月記は1942年に文芸雑誌の「文學界」に発表されたもので、中島敦のデビュー作品でもあります。
清朝の説話集「唐人説薈」にある「人虎伝」という話が題材になっていますが、中島敦の創作が大きく加わっています。
内容は詩人になるという夢が叶わずに虎になってしまった男・李徴(りちょう)がその運命を友人に語るというもので、自尊心から才能を浪費し、社会から孤立していく李徴には共感を感じる方も多いと思います。
秀才である李徴は平凡な役人の仕事に満足出来ずに、詩で名を上げようとするも失敗。
復職した時には既に友人は出世していて、李徴は「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の為に人と交わる事が出来ない。
そんな自分に苦しんで、羞恥心のあまりに虎になってしまった李徴。
昔の友人と森の中で再会し、自身のこれまでの運命を語る。
最後に詩と妻子への計らいを託し、姿を消してしまう。
解説・出題のポイント
この章では、山月記の作品解説をしていきます。
出題のポイント
高校の教科書などに載っているという事は、学校のテストにも出題されるという事です。
そこでまずは、この山月記についてどんなテスト問題が出されやすいか、という傾向をご紹介します。
・虎になる前の李徴はどういう人物だったか。
・李徴は虎になった理由をどう考えているか。
・袁傪は李徴にとってどんな存在か。
・詩をどう考えているか
・なぜ李徴は最後に虎の姿を見せたか。
○具体例と回答の一例
Q.「とうてい語るに忍びない」のはなぜか。
A.虎として他の動物を殺して生きる自分の所業を、人間の心で話す事はあまりにつらい事だから。
Q.「おれはしあわせになれるだろう」と言っているのはなぜか。
A.人間の心がなくなれば、今感じている苦悩から解放されるから。
Q.「夜霧のためばかりではない」とはどういうことか。
A.虎の姿になってからも、誰にも理解されない悲しみの涙を流していたという意味。
上記のような設問の他、読書感想文などを提出する事もあります。
抑えておくべき点
まず抑えておくべき点は、李徴の心理推移です。
虎になった理由
虎になる前の李徴は博学で才能も抜きん出ており、意思も固く妥協しない、いわばプライドの高い人物でした。
しかしある時虎になってしまった李徴。
李徴自身が虎になってしまった理由をどう考えているのか、袁傪に告白する場面から推移を読み解くと以下のようになります。
1.自分でも理由はわからない。しかしそれを受け入れて生きるのが生き物の運命であると考えている。
2.自分の中の「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」によって人との関わりを避け、その心を飼いふとらせてしまったから。
3.自分の詩業の事を先に考え、妻子の事を第一に考える事が出来ないような人間であるから。
告白の前半では、李徴は虎になった理由はわからず、受け入れるべき運命だと語ります。
しかし「思い当たることが全然ないでもない」として、自分の心がその理由ではないか、という考えを明かします。
そして自分の詩を書き取らせる李徴。
最後に袁傪に対して妻子の事を頼みますが、「本当は、まず、このことのほうを先にお願いすべきだった」とまず自分の詩業を第一に考えた事を悔い、「詩業のほうを気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕とすのだ。」と言い、袁傪の元を去ったのです。
袁傪という存在
同じ年に科挙に合格し、温和な性格である袁傪は李徴にとって最も親しい友人でした。
李徴はその後官を退きますが、袁傪は順調に出世していきます。
そんな袁傪の姿は李徴にとって自分がなり損ねた立場にいる存在だったのです。
なぜ最後に姿を見せたか
告白を終えて袁傪のもとを去った李徴でしたが、最後に叢(くさむら)を出て自らの獣となった姿を袁傪の目にさらします。
これは「自分に会おうとの気持ちをきみに起こさせないためである」と語っていますが、これは袁傪に向けてだけではなく、李徴自身への決意とも考えられます。
人間としては既に死んだという李徴。
妻子を友人に託した男の、最後の遺言でもあったのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は中島敦の小説作品「山月記」の内容解説・あらすじについてご紹介しました。
高校の教科書などにも載っている作品ですので、テスト対策とより深い理解に繋がれば幸いです。
山月記の全文については青空文庫にて読む事も出来ます。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。