しのびね物語は平安時代末期に書かれた悲恋遁世譚で、作者はわかっていません。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる忍音(しのびね)物語の中から「偽りの別れ」について詳しく解説していきます。
しのびね物語「偽りの別れ」の解説
しのびね物語でも有名な、「偽りの別れ」について解説していきます。
しのびね物語「偽りの別れ」の原文
さて、殿へおはして、ことさらひきつくろひ、はなやかに御装束し給ひて、いまひとたび、上をも、またさらぬ人々をも見奉らんとおぼして、参り給へば、ただ今ばかりと思ふに、涙の落つるを紛らはしつつ、候ひ給へば、上は御覧じて、
「尽きせぬものは思はしさのみこそ心苦しけれ。」
と仰せらるれば、
「しばしものへ詣づることの侍れば、やがて帰り侍らん。」
と奏し給ふ。
「いづくぞ、うらやましくこそ。」
とのたまはすれば
「鞍馬の方へ。」
と奉して、あまり忍びがたければ、紛らはしつつ立ち給ふ。
上は御覧じて、
「さらば、とく。」
と仰せらるるに、長き別れとしろしめされぬぞ、あはれなる。
馬道にたたずみ暮らして、かの御局へ紛れ入り給ふ。
世の常の中だにも、別れはかなしかるべきを、なかなか目もくれて、ものもおぼえず。
「ただ候ひつき給へ。
野山の末にても、かやうにて候ひ給ふと聞かば、いとうれしかるべし。
いかなる方へあくがれ出で給ふとも、女は身を心にまかせぬものにて、思ひのほかなることもまたあらば、いと本意なかるべし。
御心となびき奉り給ふと思はばこそ、恨みもあらめ。
今よりは、吾子がことをこそおぼさめ。
おとなしくもならば、殿もわが代はりとおぼして、宮仕ひひに出だし立て給はんずらん。
さやうのときは、御覧じも、または見奉ることもあるべし。
わが身こそ、ただ今よりほかは、夢ならずして見え奉らじ。」
とて、さめざめと泣き給へば、姫君は、
「ただいづくまでも、もろともに具しておはせよ。さらに残りとどまらじ。おくらかし給はんが心憂きこと。」
と慕ひ給へば、かくてはかなはじとおぼして、
「さらば力なし。具し奉るべし。この暮れを待ち給へ。参りて、暁にもろともに出で侍らん。まづただ今はあまりに慌たたしければ、いま一度、殿の御顔をも、吾子をも見侍らん。」
と、いとよくすかし給へば、あやふくて、
「ただ今、まづいづくまでも具しておはせよ。」
とて、恥のこともおぼえず、中納言に取りつきて離れ給はねば、心苦しく、かなしさせん方なくて、
「すかし奉ることはあるまじ。いづくまでも身に添ふべきものなれば、これをとどめ侍らん。」
とて、御数珠・扇を置き給ふ。
いとどあやしと思ひ給ひて、せん方なくて泣き給へば、情けなく振り捨てて、いかでか出で給ふべきなれば、とかくこしらへ給ふほどに、夜も明け方になりぬ。
「はしたなくならぬほどに出で侍りて、暮れはとくに御迎へに参らん。たとへ具し奉るとも、明かくなればいと見苦しからん。またさりとて、このままあるべきならず。さやうに用意して待ち給へ。」
と、まことしく言ひ教へて出で給ふ。
馬道まで姫君送り給ふに、心強くは出で給へども、これを限りとおぼせば、有明月くまなきに、立ちとどまり、
「暮れはとく御迎ひに参らんよ。」
とて、御顔をつくづくと見給へば、いみじう泣きはれたる御顔の、いよいよ光るやうに白くうつくしければ、御髪をかきやりて、
「かくもの思はせ奉るべき身となりけん宿世こそ心憂けれ。いかなる昔の契りにて、身もいたづらになりぬる。」
などかきくどきつつ、出で給ふ。
涙にくれて、さらにいづくへ行くともおぼえ給はず。
姫君は、この暮れにはとおぼして待ち給ひける、御心のうちぞはかなかりける。
中納言、殿へ参り給へば、いつよりもはなやかにひきつくろひ給へるを、殿・母上は、いとうつくしとおぼしたり。
親たちに見え奉らんも、ただ今ばかりぞかし、もの思はせ奉らんことの罪深く、いと恐ろしけれど、まことの道(*)に入りなば、つひには助け奉らんと、心強くおぼし返す。
若君の、何心なく走りありき給ふぞ、目もくれてかなしくおぼさるる。
わが方へおはして、御身のしたためよくして、姫君の御方へ文書き給ふに、涙のこぼれ出でて、文字も見えず。
しのびね物語「偽りの別れ」の現代語訳
さて、(中納言は)内大臣の邸へいらっしゃって、念入りに身なりを整え、はなやかな装束を身につけなさって、もう一度、帝に、またほかの方々にもお目にかかろうとお思いになって、参内なさったが、これが最後だと思うと、涙が出るのを紛らわしながら控えていらっしゃると、帝は御覧になって、
「尽きることのないもの思いをしている様子には、心が痛むよ。」
とおっしゃったので、
「しばらく、もの詣でいたしますので、すぐに帰参いたしましょう。」
と申し上げなさる。
「どこへ行くのか、うらやましいなぁ。」
とおっしゃるので、
「鞍馬の方へ。」
と申し上げて、あまりに(涙を)こらえきれなくて、紛らわしてお立ちになる。
帝は御覧になって、
「それなら、早く。」
とおっしゃったのだが、永遠の別れとはご存じないことが悲しいことである。
馬道にたたずんで暮れるのを待って、例の(姫君のいる)御部屋に紛れてお入りになる。
普通の世の中でさえ、別れは悲しいだろうに、かえって涙に目がくもって、何も考えられない。
「ただいつも帝にお仕えなさいませ。野山の果てにいても、(あなたが)このようにお仕えしていらっしゃると聞いたなら、たいそううれしいでしょう。
どちらのほうへさまよって行かれたとしても、女は身を思うにまかせないものだから、思いがけないこともまたあったりしたら、たいへん不本意でしょう。
(あなたが)自分から進んで帝に心をお寄せ申し上げなさると思ったら、恨みもあろうが(、そうではないので恨みはない。)これからは、わが子のことだけをお考えになることです。
成長したら内大臣の殿も私の代わりと思われて、宮仕えにお出しになるでしょう。
そのようなときは、(あなたが若君を)御覧になることも、また(若君があなたを)拝見することもあるでしょう。
わが身は、今後は夢以外ではお目にかかることはありますまい。」
と言ってさめざめとお泣きになると、姫君は、
「ただもうどこまでも、いっしょにお連れください。決してここに残りたくはありません。置き去りになさるなんて情けないこと。」
と(姫君は)お慕いなさるので、こうなっては(出家は)かなわないだろうと思われて、
「それでは、しかたありません。お連れいたしましょう。この夕暮れをお待ちください。お迎えに参って明け方にいっしょに(ここを)出立しましょう。まず、今すぐはあまりに慌ただしいので、もう一度、(父の)殿のお顔をも、わが子をも拝見しておきましょう。」
と、たいそう上手に言いくるめなさると、(姫君は)不安で、
「今すぐ、まずどこへでもお連れください。」
と言って恥ずかしさも忘れて、中納言に取りついて離れようとなさらないので、せつなく、悲しみもどうしようもなくて、
「(あなたを)だまし申し上げることはいたしません。(その証拠に)どこまでもわが身につけておくべきものですから、これを置いて参りましょう。」
と御数珠と扇をお置きになる。
ますます不審に思われて、どうしようもなくてお泣きになるので、無情に振り切ってどうやって出て行きなさることができようか(いや、できないので)、あれやこれやとなだめなさっていると、夜も明け方になってしまった。
「(人に見とがめられて)みっともないことにならないうちにここを出まして、日暮れには、早くお迎えに参りましょう。たとえ、お連れしましても、明るくなればたいそうみっともないことでしょう。また、そうは言っても、このままいるべきではありません。そのつもりで用意してお待ちください。」
と、まことしやかに言い教えて、お出になる。
馬道まで姫君がお送りになるのを見て(大納言は)かたい決心で出られたのだが、これが最後とお思いになって、有明の月が曇りなく見えているのに立ち止まって、
「日暮れには早くお迎えに参りましょうよ。」
と、お顔をつくづくと御覧になると、(姫君の)ひどく泣きはらしたお顔がますます光るように白く美しいので御髪をかきやって、
「(あなたに)こんなにもの思いをおさせ申し上げなければならないような身となった前世からの因縁がつらい。どんな宿縁で、わが身がむなしくなってしまうのか。」
などと、恨み言を言いながら、出ていかれる。
(中納言は)涙に暮れて、これからどこへ行こうかとお考えになることもできない。
姫君は、今日の日暮れには、とお思いになって、お待ちになっているのだったが、そのお心の内は頼りないものであった。
中納言が(父の)殿のところへいらっしゃると、ふだんより華やかに着飾っていらっしゃるのを、殿と母上は実に美しいとお思いになった。
両親にお目にかかるようなことも今だけだなぁ。心配をおかけすることは罪深くて、たいそう恐ろしいことだけれど、仏の道に入ったならば、最後にはお助け申し上げることになるだろうと、決心を固めなさる。
若君が、無邪気に走り回っていらっしゃるのを(見ると)、目の前も暗くなって悲しく思われる。
自分の部屋にいらっしゃって、ご自身の支度を念入りに整え、姫君の御方にあてた手紙をお書きになるが、涙がこぼれてきて、文字も見えない。
しのびね物語「偽りの別れ」の単語・語句解説
他の方々。
[候ひ給へば]
控えていらっしゃると。
[うらやましくこそ]
うらやましいなぁ。
[しろしめされぬ]
ご存じない。
[たたずみ暮らして]
たたずんで暮れるのを待って。
[目もくれて]
目がくもって。
[かやうにて候ひ給ふ]
このようにお仕えしていらっしゃる。
[おとなしくもならば]
成長したら。
[すかし給へば]
言いくるめなさると。
[すかし奉ることはあるまじ]
だまし申し上げることはいたしません。
[はしたなくならぬほどに]
みっともないことにならないうちに。
[さやうに]
そのつもりで。
[身もいたづらになりぬる]
わが身むなしくなってしまう。
[ひきつくろひ給へる]
着飾っていらっしゃる。
[つひには助け奉らん]
最後にはお助け申し上げることになるだろう。
[何心なく走りありき]
無邪気に走り回って。
*しのびね物語「偽りの別れ」でテストによく出る問題
○問題:「まことの道(*)」とは何か。
答え:仏の道のこと。(中納言は出家しようとしている)
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回はしのびね物語でも有名な、「偽りの別れ」についてご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。
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