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義経記「忠信、吉野山の合戦の事」原文と現代語訳・解説・問題|高校古典

サルビア
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義経記(ぎけいき)は室町時代初期に書かれた軍記物語で、作者は分かっていません。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる義経記(ぎけいき)の中から「忠信、吉野山の合戦の事」について詳しく解説していきます。

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義経記「忠信、吉野山の合戦の事」の解説

義経記でも有名な、「忠信、吉野山の合戦の事」について解説していきます。

義経記「忠信、吉野山の合戦の事」の原文

山科法眼申しけるは、

「落人を入れ添へて、夜を明かさんことも心得ず。我ら世にだにもあらば、これほどの家、一日に一つづつも造りてん。ただ焼き出だして射殺せ。」

とぞ申しける。忠信これを聞き、

「敵に焼き殺されたりと言はれんずるは、念もなき(*)ことなり。手づから焼き死にしけりと言はればや。」

と思ひて、屏風一具に火をつけて、天井へ投げ上げたり。
大衆どもこれを見て、

「あはや、内より火を出だしたるは。出で給はんところを射殺せ。」

とて、矢を矧げ、太刀、長刀の鞘を外して待ちかけたり。
忠信は思ふほどに焼き上げて、広縁に立ちて申しけるは、

「大衆ども、万事を鎮めてこれを聞け。まことに九郎判官殿と思ひ参らするかや。君はいづ方へか落ちさせ給ひけん。これは九郎判官にては渡らせ給はぬぞ。
御内に佐藤四郎兵衛藤原忠信といふ者なり。わが討ち取りたる、人の討ち取りたりと言ふべからず。腹切るぞ。
首をば取りて、鎌倉殿の見参に入れよや。」

と申して、刀を抜き、左の脇の下を刺し貫くやうにして、刀をば鞘に刺して、坊の内へ跳んで返り、走り入り、内殿の引き梯より天井に上りて見ければ、東の鵄尾は、いまだ焼けざりけり。

関板をがばと踏み放し、跳んで出で見ければ、煙と炎は上がりけり。
山を切りて崖造りにしたる坊なれば、山と坊の間、一丈ばかりには過ぎざりけり。

「これほどの所を跳ね損じて死ぬるほどの業になりては、力及ばぬことなり。八幡大菩薩、知見を垂れ給へ。」

と祈誓して、えい声を出だして跳ねたりければ、後ろの山へ相違なく飛びつきて、上の山にさし上がり、松の一むらありける所に鎧脱ぎ、うち敷きて、兜の鉢枕にして、かたきのあわてふためくありさまを、心静かに見澄ましてぞゐたりける。
大衆申しけるは、

「あな、恐ろしや。九郎判官かと思ひたれば、四郎兵衛にてありけるものを。たばかられて多くの人を討たせつるこそやすからね。
大将軍ならばこそ、首を取りて鎌倉殿の見参にも入れめ。憎し。ただ置きて焼き殺せや。」

とぞ言ひける。
火も消え、炎も鎮まりてのち、

「焼けたる首なりとも、六波羅の見参に入れよ。」

とて、手々に探せども、まことに自害もせざりければ、焼けたる首もなし。
さてこそ大衆は、

「人の心の、剛にても剛なるべきものかな。死にてののちまでも、かばねの上の恥を見えじとてこそ、塵灰に焼け失せたるらめ。」

と申して、寺中へぞ帰りける。
忠信、その夜は蔵王権現の御前にて夜を明かし、鎧をば権現の御前に差し置いて、二十一日のあけぼのに御岳を出でて、二十三日の暮れほどに、からき命生きて、ふたたび都へぞ入りにける。

義経記「忠信、吉野山の合戦の事」の現代語訳

山科法眼が申したことには、

「落人を(家に)入れたまま、夜を明かすようなことは承知できない。我々が世に栄えてさえいたら、この程度の家なら、一日一軒ずつでも造ることができるだろう。ただ焼き出して(家から追い出して、そこを)射殺せ。」

と申した。
忠信はこれを聞き、

「敵に焼き殺されたと言われたとしたら、残念なことだ。自分の手で(火をつけて)焼け死んだといわれたい。」

と思って、屏風一双に火をつけて、天井へ投げ上げた。
(多くの武装した)法師たちはこれを見て、

「あっ、中から火をつけたぞ。出てこられるところを射殺せ。」

と言って、矢をつがえ、太刀や長刀の鞘を外して、待ち構えた。
忠信は思う限りまで燃え上がらせて、幅の広い縁側に立って申したことは、

「法師ども、すべての騒ぎを鎮めてこれから言うことを聞け。本当に(この私を)九郎判官殿と思い申しているのか。ご主君はどこへお落ちなさったのだろうか。この私は給郎判官ではいらっしゃらないぞ。
判官殿のご家来の中で佐藤四郎兵衛藤原忠信という者だ。私が討ち取ったなどと言ってはならない。(私は自分で)腹を切るぞ。首を取って、鎌倉殿(=頼朝)のお目にかけよ。」

と申して、刀を抜き、左の脇の下を刺し貫くようにして、刀を(もとのように)鞘に差して、宿坊の中へ跳んで返り、走り込み、奥の部屋の梯子から天井に上がって見ると、東の鵄尾は、まだ焼けていなかった。
関板をがばっと踏みつけてこわし、(屋根の外に)跳んで出て見てみると、煙と炎が上がっていた。
山を切り開いて崖造りにしている宿坊なので、山と宿坊の間は、一丈ほどに過ぎなかった。

「この程度の所を跳び損なって死ぬようなめぐりあわせならば、どうにもしかたがないことだ。八幡大臣菩薩、御覧になってお助けください。」

と祈って、

「えい」

という掛け声を出して跳んだところ、背後の山に無事飛びついて、上の山によじ上り、松が一むら生えている所に鎧を脱ぎ、下に敷いて、兜の鉢を枕にして、敵のあわてふためいている様子を、落ち着いてじっと眺めて座っていた。
法師たちが申したことには、

「ああ、驚いたことよ。九郎判官かと思っていたら、四郎兵衛であったとは。だまされて多くの人を(忠信に)討たせてしまったことが心外だ。
大将軍(=義経)であれば、首を取って鎌倉殿(=頼朝)のお目にかけように。憎い。そのまま閉じこめておいて焼き殺せ。」

と言った。
火も消え、炎も静まってから後、

「焼けた首であっても、六波羅のお目にかけよ。」

と言って、めいめいに探したけれども、本当に自害もしなかったので、焼けた首もない。
そんなわけで法師たちは、

「人の心は、剛勇であれるものだなぁ。死んだあとまでも、屍の恥をさらすまいということで、塵や灰になって焼け失せてしまったのであろう。」

と申して、寺の方へ帰って行った。
忠信は、その夜は、蔵王権現の御前で夜を明かし、鎧を権現の神前に脱ぎおいて、二十一日の明け方に御岳を出て、二十三日の夕暮れ近くに、危なかった命をかろうじて生き延びて、再び都へ入ったのであった。

義経記「忠信、吉野山の合戦の事」の単語・語句解説

[落人]
戦いに敗れて落ちのびていく人。敗残者。

[入れ添へて]
(家に)入れたまま。

[夜を明かさんことも心得ず]
夜を明かすようなことは承知できない。

[造りてん]
造ることができるだろう。

[出で給はん]
出てこられる。出ていらっしゃる。

[矢を矧げ]
矢をつがえ。

[これを聞け]
これから言うことを聞け。

[思ひ参らするかや]
思い出しているのか。

[君はいづ方へか落ちさ給ひけん]
ご主君はどこへお落ちなさったのだろうか。

[九郎判官にては渡らせ給はぬぞ]
九郎判官ではいらっしゃらないぞ。

[見参に入れよや]
お目にかけよ。

[踏み放し]
踏みつけて壊し。

[これほどの所]
この程度の所。

[力及ばぬことなり]
どうにもしかたがないことだ。

[見澄まして]
じっと眺めて。

[あな、恐ろしや]
ああ、驚いたことよ。

[討たせつるこそやすからね]
討たせてしまったことが心外だ。

[手々に]
めいめいに。

[さてこそ]
そんなわけで。

[焼け失せたるらめ]
焼け失せてしまったのであろう。

[権現の御前に差し置いて]
権現の神前に脱ぎおいて。

*義経記「忠信、吉野山の合戦の事」でテストによく出る問題

○問題:「念もなき(*)」とはどういう意味か。
答え:残念だ、無念だ、の意味。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は義経記でも有名な、「忠信、吉野山の合戦の事」についてご紹介しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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