室町時代に書かれた作者不詳の軍記物語、義経記(ぎけいき)。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる義経記(ぎけいき)の中から「如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事」について詳しく解説していきます。
義経記「如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事」の解説
義経記でも有名な、「如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事」について解説していきます。
義経記「如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事」の原文
それより倶利伽羅を越え、平家亡びし所にて弔ひの経を読み、如意の渡りの舟に乗らんとし給ふところに、渡し守の権頭申しけるは、
「しばらく客僧御待ち候へ。山伏の五人三人なりとも、役所へ伺ひ申さで通すべからずとの御法にて候ふぞ。ことに十六人まで御入り候へば、尋ね申さでは私申すまじく候ふ。」
由、荒らかに申しければ、武蔵坊、渡し守をにらみつつ、
「さりとも、この北陸道にて、羽黒の讃岐阿闍梨見知らぬ者やあるべき。」
と言ひければ、中乗りしたる男、弁慶をつくづくとまぼり、
「げにげに見参らせたるやうに候ふ。一昨年も三十講の御幣とて、申し下し給ひし御坊にてましますや。」
と申しければ、弁慶力を得て、
「さてもかしこく見覚えられたり。あら恐ろしの人や。」
とほめける。
渡し守の権頭、
「小賢しきこと申すかな。さやうに見知りたらば、御辺渡し候へ。」
と申せば、弁慶、
「そもそも判官殿と知りたらば、確かに指してのたまへ。」
と言ひければ、
「まさしくあの客僧こそ判官殿にておはしけれ。」
と指してぞ申しける。
そのとき弁慶、
「あれは白山より連れたる御坊なり。年若きにより人怪しめ申す無念さよ。これより白山へ戻り候へ。」
とて、舟より引き下ろし、扇にて散々にこき伏せたり。
そのとき渡し守、
「羽黒山伏ほど情けなき者はなし。判官殿にてましまさずは、さにてこそあるべきよ。かほどいたはしげもなく、散々に当たり申されしこと、しかしながら私が打ち申したるなり。御いたはしくこそ候へ。」
とて、舟を寄せ、
「ここへ召し候へ。」
とて、楫取りのそばに乗せ奉る。
「さらば、船賃出だして渡り候へ。」
と申しければ、弁慶、
「いつの習ひに山伏の関船賃なることやある。」
と言ひければ、
「日ごろ取りたることなけれども、あまりに御坊の腹あしく渡り候へば。」
と申す。
弁慶、
「かやうに我らに当たらば、出羽の国へ今年明年にこの国の者越えぬことはよもあらじ、坂田の渡りは、このをさなき人(*)の父、坂田次郎殿の知行なり、ただ今この返礼すべきものを。」
とぞ脅しける。
あまりに言ひ立てられて渡しけり。
かくて六道寺の渡りをして、弁慶、判官殿の御袖をひかへ、
「いつまで君をかばひ申さんとて、現在の御主を打ち奉りつるぞ。天の恐れも恐ろしや。八幡大菩薩も許し御納受し給へ。」
とて、さしも猛き弁慶、さめざめと泣きけり。
余の人々も涙を流しけり。
義経記「如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事」の現代語訳
そこから倶利伽羅峠を越え、平家が滅んだ場所で(平家の死者の霊を)供養するお経を読み、如意の渡りの舟に乗ろうとなさったところに、渡し守の権頭が申したことには、
「少しの間旅の僧よ、お待ちください。山伏は五人や三人であっても、関所に指示を受けないで通してはならないというお定めでございます。とりわけ(あなた方は)十六人もの人数でいらっしゃるので(関所に)おうかがいを立てないではお渡し申すことはできません。」
ということを、荒々しく申したので、武蔵坊(弁慶)は、渡し守をにらみながら、
「それにしても、この北陸道で羽黒の讃岐阿闍梨を見知っていない者があろうか(いや誰もが見知っているはずだ。)」
と言ったところ、(舟の)中ほどに乗っている男が、弁慶をじっと見つめて、
「なるほど、お見かけしたような気がします。一昨日も三十講の法会に使った御幣といって、お授けくださった御坊でいらっしゃいますか。」
と申したので、弁慶は活気づいて、
「それにしてもまぁ、よく覚えていらっしゃった。あぁ、えらい人だなぁ。」
とほめた。
渡し守の権頭は、
「小生意気なことを申すなぁ。そのように見知っているのならば、あなたがお渡しなさい。」
と申すので、弁慶は、
「いったい判官殿とわかっているのなら、はっきりと指しておっしゃってください。」
と言ったところ、
「まさしくあの旅の僧が判官殿でいらっしゃる。」
と指して申した。
そのとき弁慶は、
「あれは白山から連れてきた御坊だ。年が若いことによって人が不審に思うのが残念だ。ここから白山に戻りなさい。」
と言って、(義経を)舟から引きずり下ろし、扇でひどく打ちのめした。
そのとき渡し守は、
「羽黒山伏ほど非情な者はいない。判官殿でいらっしゃらないのなら、確かにそうであるだろうよ。こんなにいたわる様子もなく、当たり申し上げなさったことは、つまりは私がお打ち申し上げたの(と同じこと)だ。お気の毒なことです。」
と言って、舟を寄せ、
「ここにお乗りください。」
と言って、船頭のそばにお乗せ申し上げた。
「それでは、船賃を出して渡ってください。」
と申したので、弁慶は、
「いつの習慣で山伏が関所の通行料や渡し舟の代金を払うことがあるのか(いや払わなくてもよいはずだ。)」
と言ったので、
「いつもは取ったことはないけれども、あまりにも御坊が意地が悪くていらっしゃるので(取るといったのです)。」
と申す。
弁慶は、
「このように我々に当たるのなら、出羽の国へ今年来年この国の者が越えないことはまさかあるまい、坂田の渡りは、この若い人の父、坂田次郎殿の支配地である、今すぐにでもこの仕返しをするのになぁ。」
と脅した。
あまりにも言い立てられたので(渡し守は、船賃を取らないで)渡した。
このようにして六道寺の渡りを超えた後、弁慶は、判官殿のお袖をおさえ、
「(私は)いつまであなた様をおかばい申し上げようとして、本当のご主君をお打ち申し上げるようなことをしてしまうのでしょうか。天のおとがめも恐ろしい。八幡大菩薩も許して(私の祈りを)お聞き届けください。」
と言って、あれほどの勇猛な弁慶がさめざめと泣いた。
ほかの人々も涙を流した。
義経記「如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事」の単語・語句解説
供養。
[乗らんとし給ふ]
乗ろうとなさる。
[申しけるは]
申したことには。
[しばらく]
少しの間。
[五人三人なりとも]
五人や三人であっても。
[通すべからず]
通してはならない。
[御入り候へば]
いらっしゃるので
[渡し申すまじく候ふ]
お渡し申すことはできません。
[さりとも]
それにしても。
[つくづくとまぼり]
じっと見つめて。
[げにげに]
なるほど。
[申し下し給ひし御坊にてましますや]
お授けくださった御坊でいらっしゃいますか。
[力を得て]
助けを得て。活気づいて。
[見覚えられたり]
覚えていらっしゃった。
[小賢しきこと申すかな]
小生意気なことを申すなぁ。
[御辺]
あなた。
[人怪しめ申す無念さよ]
人が不審に思うのが残念だ。
[散々にこき伏せたり]
ひどく打ちのめした。
[情けなき者はなし]
非常なものはない。
[さにてこそあるべきよ]
確かにそうであるのだろうよ。
[しかしながら]
つまりは。とりもなおさず。
[さらば]
それでは。
[いつの習ひに]
いつの習慣で
[知行]
支配している土地。
[ただ今この返礼すべきものを]
今すぐにでもこの仕返しをするのになぁ
[御袖をひかへ]
お袖をおさえ
[現在の御主]
本当のご主君を
[さしも]
あれほど。あんなにも。
[余の人々]
他の人々。
*義経記「如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事」でテストによく出る問題
○問題:「このをさなき人(*)」とは誰を指しているか。
答え:義経。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は義経記でも有名な、「如意の渡りにて義経を弁慶打ち奉る事」についてご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。
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