鰭崎英朋の生涯と有名作品|美人画から相撲絵まで描く挿絵画家

鰭崎英朋の美人画
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鰭崎英朋(ひれざきえいほう)は浮世絵から日本画、そして雑誌や書籍に挿入する絵を描く挿絵画家です。
明治から昭和にかけて活躍しました。

挿絵画家は表に名前が出る事はあまり無いですが、英朋が描いた作品は現代の私たちが見ても全く色あせていません。
今回はそんな鰭崎英朋の生涯と主な有名作品をご紹介します。

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鰭崎英朋の生涯

鰭崎英朋は明治13年(1880年)、東京に生まれました。
飾り職人であった父は既に行方不明となっており、母も幼い英朋を祖父母に預けて他の家に嫁いでしまいます。

絵師を志したのは英朋が17歳の時で、浮世絵師である月岡芳年門下の右田年英に入門しました。
その後は日本画家や挿絵画家として活躍の場を広げていきますが、後年は挿絵に専念していく事になります。

そして明治34年、英朋は日本が研究団体の「烏合会(うごうかい)」結成に参加します。
春と秋の年2回開催される展覧会に参加する他、月に1度の「十日会」という研究会を主な活動としていました。

この「烏合会」には鏑木清方も在籍しており、挿絵画家としてのライバルとして切磋琢磨していく事になります。
大阪毎日新聞と東京日日新聞ではこの2人を新聞小説の挿絵画家として交互に起用し、ライバル関係を盛り上げていったのです。

そんな英朋が亡くなったのは昭和43年(1968年)のこと。
娘たちに看取られながら、88年の生涯を終えました。
英朋の晩年は息子たちや妻を相次いで亡くし、深い悲しみの中で生活していました。

幼い頃に両親と離れ、不幸もあった英朋の人生でしたが、その作品の数々は今でも多くの人の心を動かし続けています。

鰭崎英朋と相撲絵


英朋が生きた時代、相撲は大衆の娯楽として人気を博していました。
実況中継など無い時代、相撲を見に行けない人々の為に新聞各紙は取り組みの様子を描いた”取組挿絵”に力を入れます。

その挿絵を描く画家の中でも、英朋は飛び抜けた才能を発揮していました。
コマ送りのような「分解挿絵」も英朋が考案しています。
力士の個性を描き、臨場感溢れる挿絵は英朋の画家としての地位を押し上げたのです。

鰭崎英朋の有名作品

鰭崎英朋の作品の中でも、特に有名な作品をピックアップしてご紹介します。

「続風流絵」口絵


作家・泉鏡花の本は”鏡花本”と呼ばれて様々な画家が装丁や挿絵を描いた事でも知られています。
その鏡花本の中でも最高傑作の一つといわれているのが、鰭崎英朋が描いた「続風流絵」の口絵です。
竜巻に襲われて湖に落ちた女性を救助するシーンは、見る者を圧倒しました。

蚊帳の前の幽霊


「牡丹灯籠」という怪談に出てくるお露の幽霊を描いた作品です。

美人画


鰭崎英朋は美人画の名手としても知られていました。
上記の作品は雑誌の口絵として描かれたもので、タイトル不明・個人蔵となっています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は鰭崎英朋の生涯と有名作品をご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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