泉鏡花の生涯と作品年表|神秘的な世界を生んだ文豪

泉鏡花といえば、幻想的な作品を数々生み出した事でも知られています。
その不思議で美しい世界が生まれた背景には、鏡花が育った環境や出来事が深く関係しています。

そこで今回は、泉鏡花の生涯と作品についてご紹介します。

泉鏡花の誕生

泉鏡花(鏡太郎)は明治6年(1873年)、現在の石川県金沢市に生まれました。
父はの清次は彫金師、母の鈴は加賀藩お抱えの能楽の大鼓師(おおかわし)の娘で、鏡花の下には妹2人と弟1人も生まれています。

鏡花が満9歳の時、最愛の母が亡くなってしまいます。
次女を生んだ時の産褥熱、または天然痘が死因だったという説がありますが、いずれにせよこの出来事に鏡花は衝撃を受け、後に生み出す文学作品にも強い影響を与え続けました。

母の死後、妹2人は養女に出されます。
父は間もなく後妻を迎えますが、鏡花が馴染むことが出来ずにすぐに離縁してしまいます。

その後鏡花は小学校のあとに通った真愛学校というミッションスクールで、ある女性と出会います。
その女性はアメリカ人校長の妹で、鏡花の自伝小説にも登場したミリヤアドのモデルにもなっています。
何かと目をかけてくれるこの女性に対し、鏡花も母を失った悲しみを埋める存在としてこの女性を慕っていったのです。

CHECK
【鏡花とうさぎ】
自分の干支から数えて7番目のものを持つとお守りになる、という事で酉年の鏡花はウサギに強い思い入れを持っていました。
母にもらった水晶で出来たウサギの置物も生涯の宝物としています。

文学の道へ

明治20年、鏡花はミッションスクール(後に北陸英和学校となる)を中退し、第四高等中学校(現在の金沢大学)を受験します。
しかし結果は不合格。
失意の鏡花でしたが、この頃尾崎紅葉の小説「二人比丘尼色懺悔」を読み、小説家への道を志します。

そして明治23年、鏡花は尾崎紅葉のもとへ入門するべく、上京します。

しかしなんの縁もない紅葉の元をいきなり訪れる勇気がなかなか出ず、1年ほど友人の下宿を転々とすることに。
ようやく紹介状を手にする事ができ、決心し紅葉のもとを訪れた鏡花に対して紅葉も「明日からこい」と答えます。
早速内弟子としての生活がはじまり、接客や掃除、清書などを手伝いはじめました。

翌年には鏡花の処女作である「冠弥左衛門」を京都の日出新聞に連載させますが、評判はよくありませんでした。
しかし紅葉は批判から鏡花をかばって連載を続けさせます。
このお陰で父の清次にも鏡花の作品を見せる事が出来たのです。

間もなく生家が火事で全焼、更に父清次も亡くなるという不幸が続き、一家も貧しくなっていきます。
鏡花にとってもこの頃は何度も自殺を考える程の苦しみでした。
しかしこの苦境を脱するには文筆しかないと、実家に戻っていた鏡花は再上京し、再び紅葉のもとへ向かいます。

文壇で異彩を放つ天才、鏡花

明治27年には「予備兵」、「義血侠血」を発表。
そして紅葉の家を出た鏡花は「夜行巡査」を発表、これが文壇での出世作となりました。

続けて発表した「外科室」も称賛され、新進作家としての道を歩み始めます。
実家の弟と祖母も東京へ呼び寄せ、大黒柱として一家を支えます。

明治32年、鏡花は紅葉らの文学結社「硯友社」の新年会の場で芸妓の桃太郎と出会います。
この桃太郎(本名:すず)が4年後に生涯の伴侶となるのです。

この頃「湯島詣」、「高野聖」を発表。
文壇での名声を更に高めていきます。
時代は島崎藤村の「破戒」や田山花袋の「布団」など、自然主義文学の全盛期。
そんな時代に神秘的な作品で異彩を放った鏡花は注目の的だったのです。

すずと紅葉

鏡花がすずと同棲を始めた事を知った紅葉は激怒。すずに手切れ金を渡して別れさせます。
この頃の紅葉は胃癌を患っており、死期も迫っていました。
鏡花は師匠の言いつけを守りますが、紅葉が亡くなった後にすずと結婚します。
この出来事は「婦系図」のモチーフとなりました。

CHECK
【神経質な鏡花】
鏡花といえば異常な程神経質だったことも有名です。
ばい菌を極端に恐れ、食べものは熱を通したものしか食べない、旅先でも自分でアルコールランプで熱してからうどんを食べるなど徹底していました。
また文字に対しても、”豆腐”の腐るという文字を嫌い”豆府”に直したり、葉書や箸袋など文字の書いてあるものは全て大切に保管する程でした。

再びの試練と晩年

明治39年、祖母が亡くなると鏡花も体調を崩します。
静養の為、逗子に家を借りてこの場所で過ごすことに。
この頃妹を亡くし、心身ともに病んでいた鏡花でしたが、「春昼」や「草迷宮」など創作には打ち込み続けました。

明治42年、東京に戻った鏡花は登張竹風・後藤宙外・笹川臨風らが結成した「文芸革新会」へ参加します。
このメンバーでの地方講演にも参加した鏡花でしたが、人前に立つのが苦手だった為に挨拶だけして壇上から降りてしまう程でした。
しかしこの講演旅行の中で伊勢・桑名に行った事が「歌行燈」のモチーフとなるなど、貴重な体験にもなりました。

大正時代に入ると鏡花は50冊もの著書を刊行。
中でも小村雪岱が装丁を担当した「日本橋」などの本はその美しさも話題となりました。

昭和14年9月7日、数多くの名作文学を残して泉鏡花はこの世を去ります。
辞世の句は「露草や赤のまんまもなつかしき」でした。

泉鏡花の代表作品とあらすじ

この章では、泉鏡花の主な有名作品とあらすじを一覧でまとめてご紹介します。

外科室


【内容あらすじ】
貴船伯爵夫人は、うわごとで秘めた思いを吐露することを恐れ、手術の麻酔を拒む。執刀医・高峰と彼女の間にある秘密とは。

高野聖


【内容あらすじ】
旅する修行僧は、飛騨の奥深い森をぬけ、一軒家に辿り着いた。そこで出会った艶かしい婦人の、不思議な魅力に惹かれていく。

草迷宮


【内容あらすじ】
幼な子の昔、亡き母が唄ってくれた手毬唄。耳底に残るあの懐かしい唄がもう一度聞きたい。母への憧憬を胸に唄を捜し求めて彷徨する青年がたどりついたのは、妖怪に護られた美女の棲む荒屋敷だった。

歌行燈


【内容あらすじ】
「私はね……お仲間の按摩を一人殺しているんだ」。月冴えわたる桑名の夜、流しの若き旅芸人が酒をあおりつ語り始めたのは、芸への驕りが招いたある出来事。同刻、近くの旅宿では、二人の老客が薄幸な芸妓の身の上話に耳を傾ける。揺らめく町の行燈。交錯する二つの場の語り。それらが混然と融合した時、新たな世界が立ち現れる。

夜叉ヶ池


【内容あらすじ】
その昔竜神が封じこめられた夜叉ケ池。萩原はただ一人、その言伝えを守り日に三度の鐘撞きを続けるが…。

小説作品年表

西暦作品名
1893冠彌左衛門、活人形、金時計
1894大和心、予備兵、海戦の余波、譬喩談、義血侠血、乱菊、鬼の角
1895取舵、聾の一心、秘妾伝、夜行巡査、旅僧、外科室、妙の宮、鐘声夜半録、貧民倶楽部、黒猫、ねむり看守、八万六千四百回
1896化銀杏、一之巻〜六之巻、蓑谷、五の君、紫陽花、琵琶伝、海城発電、毬栗、龍潭譚、照葉狂言
1897誓之巻、化鳥
1898辰巳巷談、笈ずる草紙
1899通夜物語、湯島詣
1900高野聖
1901註文帳、柚屏風
1902起誓文
1903風流線
1904紅雪録
1905銀短冊
1906春昼、春昼後刻
1907婦系図
1908草迷宮
1909白鷺
1910歌行燈、三味線掘
1911
1912三人の盲の話、稽古扇
1913夜叉ヶ池、海神別荘
1914日本橋
1915夕顔
1916
1917天守物語
1918
1919由縁の女
1924眉かくしの霊
1930木の子説法
1931貝の穴に河童が居る
1932菊あはせ
1933
1934斧琴菊
1935
1936お忍び
1937薄紅梅、雪柳
1938
1939縷紅新草

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は泉鏡花の人生と作品についてご紹介しました。
その他の記事は下記の関連記事をご覧下さい。

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