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葛飾北斎の人生とは|画狂の生涯と有名な作品|浮世絵師

富嶽三十六景 神奈川沖波裏
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富嶽三十六景 神奈川沖波裏
葛飾北斎といえば、日本だけでなく世界的に有名な絵師です。
浮世絵師で一番人気なのは誰?ランキングを大発表!という記事でも見事1位を獲得しています。

今回はそんな葛飾北斎の生涯をご紹介します。

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葛飾北斎の誕生

画人・葛飾北斎が誕生したのは、宝暦10年9月23日。
出生地は下総国本所割下水でした。
幼名は時太郎といい、のちに鉄蔵に改名します。

北斎が画に対して興味を持ち始めたのは、6歳の頃。
この頃(1765年)は木版技術が発達し、多色摺の錦絵が出回り始めていました。

その後北斎が12歳頃になると貸本屋の小僧として働き、仕事の合間に本の挿絵をみては画の勉強をしていたといいます。
15歳になると彫刻家の元で働き、版木を彫る仕事をはじめましたが、長くは続きませんでした。

そして1778年、19歳になると浮世絵師である勝川春章(かつかわしゅんしょう)の元に入門し、北斎の画人人生がスタートしたのです。

葛飾北斎のデビュー

入門の翌年、葛飾北斎は20歳ながら3枚の役者絵を発表し、画界デビューを果たします。
この時の画名は勝川春朗(かつかわしゅんろう)。
師匠の名前から付けたものでした。

北斎はその後15年間、春章の元で修行を続けます。
その間の作品は確認出来るだけでも浮世絵が200点以上、黄表紙などの挿絵本が50種類以上という膨大な数でした。

若くしてデビューを果たし、順風満帆の人生かと思いきや、生活は苦しかったそうです。
時には七味唐辛子などを売り歩き、生活費の足しにする程でした。

CHECK
【師匠、勝川春章】
北斎の師匠である勝川春章は、役者絵に革命を起こした天才絵師でした。
それまでの役者絵とは違って個性を明確に打ち出し、肉筆画・美人風俗画でも高い評価を受けています。

師匠の元を離れる

寛政7年、北斎は勝川派を離れ、宗理(そうり)という名前で作品を発表していきます。
その作品は、これまでとは全く違う作風でした。

しかし北斎は圧倒的な努力によって新しい世界を切り開き、摺物(すりもの)や狂歌絵本の世界で評判を得ていきます。
この頃の北斎は「造化のみを師とする」、つまり森羅万象こそ唯一の師と仰いでいました。

CHECK
【宗理の由来】
桃山時代末期、俵屋宗達や本阿弥光悦らが開いた一門の受領が用いた画号でした。
この一門は琳派の絵画様式を目指しており、北斎がこの名を選んだ事から全く違う画派への決意が伺えます。

新たな挑戦と、北斎という名前

文化年間に入り、葛飾北斎は読本の挿絵や肉筆画といった新たなジャンルへの挑戦を始めます。
10年間で関わった読本は190冊程。
ここでも膨大な量の仕事をこなしていきます。
この頃使っていた画号の一つに、葛飾北斎が使われ始めました。

CHECK
【北斎の由来】
北斎という名は、柳嶋妙見(やなぎしまみょうけん)=法性寺(ほっしょうじ)というお寺から取っています。
全てを見通す力を持った妙見菩薩は北斗七星の化身とされていました。
その北斗七星に「北辰」「七政」の別称があり、そこから北斎辰政を名乗り、後に北斎となったのです。

北斎漫画の誕生

読本の挿絵の仕事が一段落すると、北斎は名古屋に数ヶ月滞在し、数多くの図を収めた版下絵を製作します。
これがあの、近代漫画のルーツともいわれる北斎漫画でした。

続けて様々な絵手本を制作し、出版していきます。
そして画だけではなく、卍や万字という号で川柳句集に投句したり、様々な創作活動を行います。
この頃は娘の一人を亡くし、妻を亡くしと私生活は辛く厳しいものでしたが、創作に打ち込むによって北斎自身も救われていたのかもしれません。

葛飾北斎伝説

北斎は”画狂老人”=画に狂った老人と自らも名乗る程、変わった性格の持ち主でした。
数々のエピソードが残されています。

上を目指し続ける北斎

ある時、絵が少しも上達しないと嘆く門人に対して、北斎の娘である阿栄(おえい)はこう言いました。
「父を見てみなさい。80歳を過ぎてなお筆をとらない日はないというのに、先日も”猫1匹上手に描けやしない”と涙を流していた。何事も限界を悟って素直になれば、その時にこそ道は上達するのですよ。」

北斎の反骨精神

修行時代に兄弟子である春好に作品の出来を罵倒され、画を破り捨てられてしまいます。
”いつか日本一の絵師になって見返してやる”その想いを胸に、北斎は修行に励みます。
晩年になり、北斎は言います。
「画が上達したのは、兄弟子に辱めを受けたお陰だよ」

画以外は無頓着

酒も飲まず、煙草なども一切嗜まず、衣服や食事にも関心が全く無かったという北斎。
売れてからは稼ぎはあったはずですが、お金にも無頓着で私生活は常に貧しかったといいます。
そして生涯で引越した回数はなんと93回。
これは創作活動で部屋が散らかる度に引越しをしていたからでした。

葛飾北斎の主な有名作品

ここで、葛飾北斎の主な有名作品をご紹介します。

富嶽三十六景 神奈川沖波裏

富嶽三十六景 神奈川沖波裏
なんといっても北斎の作品で1番有名な画といえば、「富嶽三十六景 神奈川沖波裏」です。
躍動感溢れる波の描写は、世界を驚かせました。

北斎漫画

海外では「ホクサイスケッチ」としても名高い、この北斎漫画。
絵手本として発行された、スケッチ画集です。

冨嶽三十六景 駿州江尻

冨嶽三十六景 駿州江尻
本来は風は見えないはずなのに、画から風を感じる事が出来る作品です。

まとめ

葛飾北斎は現状に満足することなく、常に挑戦することを辞めませんでした。
90歳で亡くなる直前、「あと10年、せめて5年でも生かしてくれたら、まことの絵描きになってみせる!」と北斎らしい言葉を遺します。

それ以前、75歳の時にもこんな言葉を残しています。

「70歳以前に描いたものは取るに足らないものばかりであった。73歳で多少は鳥獣虫魚の骨格や草木のなんたるかを悟り、90歳で奥義を極め、100歳で神妙の域を超えるのではないだろうか。」

参考/おすすめ書籍

浮世絵
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