十六夜日記(いざよいにっき)は藤原為家の側室である阿仏尼が書いた紀行文日記で、弘安5(1282)年頃に成立しました。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる十六夜日記の中から「駿河路」について詳しく解説していきます。
十六夜日記「駿河路」の解説
十六夜日記でも有名な、「駿河路」について解説していきます。
十六夜日記「駿河路」の原文
二十五日、菊川を出でて、今日は大井川といふ川を渡る。
水いとあせて、聞きしにはたがひて、わづらひなし。
川原幾里とかや、いとはるかなり。
水の出でたらん面影、おしはからる。
宇津の山越ゆるほどにしも、阿闍梨の見知りたる山伏、行き合ひたり。
「夢にも人を」など、昔をわざとまねびたらん心地して、いとめづらかに、をかしくも、あはれにも、やさしくもおぼゆ。
「急ぐ道なり。」と言へば、文もあまたはえ書かず、ただやんごとなき所一つにぞおとづれ聞ゆる。
今宵は手越といふ所にとどまる。
なにがしの僧正とかやの上りとて、いと人しげし。
宿りかねたりつれど、さすがに人のなき宿もありけり。
二十六日、藁科川とかや渡りて、興津の浜にうち出づ。
「なくなく出でしあとの月影」など、まづ思ひ出でらる。
昼立ち入りたる所に、あやしき黄楊の小枕あり。
いと苦しければ、うち臥したるに、硯も見ゆれば、枕の障子に臥しながら書きつけつ。
暮れかかるほど、清見が関を過ぐ。
岩越す波の、白き衣をうち着するやうに見ゆるもをかし。
ほどなく暮れて、そのわたりの海近き里にとどまりぬ。
十六夜日記「駿河路」の現代語訳
二十五日、菊川を出て、今日は大井川という川を渡る。
水はひどく枯れて、(川を渡るのが困難だと)聞いていたのとは違って、(渡るのに)苦労がない。
川原は何里とか、とても広い。
(川が増水して)大水が出ているような様子が、自然と想像される。
ちょうど宇津の山を越えるところで、(息子である)阿闍梨の見知っている山伏が、(私たちと)偶然出会った。
『伊勢物語』の「夢にも人を」など、昔(の歌の情景)をことさらにまねているような感じがして、たいへんめずらしく、おもしろくも、しみじみとあわれにも、優美にも思われる。
「急ぐ道中です。」
と言うので、(ことづけたい)手紙もたくさんは書くことができず、ただ高貴な方おひと方にだけ便りをし申し上げる。
今夜は手越という所に宿泊する。
なんとかの僧正とかいう人の上洛だということで、たいへん人が多い。
宿が取りにくかったが、そうは言ってもやはり人のいない宿もあっ(て、なんとか泊まれ)た。
二十六日、藁科川とかいうのを渡って、興津の浜に出る。
「なくなく出でしあとの月影」
などという歌が、まずは自然と思い出される。
昼に立ち寄った所に、粗末な黄楊の小さい枕がある。
大変苦しいので、ちょっと横になったところ、硯もあるので、枕もとの衝立障子に横になったままで書きつけた。
暮れかかるころに、清見が関を通る。
岩を越す波が、白い着物を(岩に)着せかけるように見えるのもおもしろい。
まもなく日が暮れて、その辺りの海に近い里に泊まった。
十六夜日記「駿河路」の単語・語句解説
自然と想像される。
[なにがしの僧正とかや]
なんとかの僧正とかいう人。
[宿りかねたりつれど]
宿が取りにくかったが。
[思ひ出でらる]
自然と思い出される。
[うち臥したるに]
ちょっと横になったところ。
*十六夜日記「駿河路」でテストによく出る問題
○問題:「おほゐ(*)」の掛詞は何か。
答え:「多(し)」と「大井川」
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は十六夜日記でも有名な、「駿河路」についてご紹介しました。
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