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建礼門院右京大夫集「資盛との思ひ出」原文と現代語訳・解説・問題

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建礼門院右京大夫集(けんれいもんいんのうきょうのだいぶしゅう)は1232年(貞永元年)頃に書かれた歌集です。

今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる建礼門院右京大夫集の中から「資盛との思ひ出(すけもりとのおもいで)」について詳しく解説していきます。

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建礼門院右京大夫集「資盛との思ひ出」の解説

建礼門院右京大夫集でも有名な、「資盛との思ひ出」について解説していきます。

建礼門院右京大夫集「資盛との思ひ出」の原文

おほかたの世騒がしく、心細きやうに聞こえしころなどは、蔵人頭にて、ことに心のひまなげなりしうへ、あたりなりし人も、

「あいなきことなり。」

など言ふこともありて、さらにまた、ありしよりけに忍びなどして、おのづからとかくためらひてぞ、もの言ひなどせし折々も、ただおほかたの言いぐさも、

「かかる世の騒ぎになりぬれば、はかなき数にならんことは、疑ひなきことなり。さらば、さすがにつゆばかりのあはれはかけてんや。
たとひ何もとも思はずとも、かやうに聞こえ慣れても、年月といふばかりになりぬる情けに、道の光も必ず思ひやれ。
また、もし命たとひ今しばしなどありとも、すべて今は、心を、昔の身とは思はじと、思ひしたためてなんある。
そのゆゑは、ものをあはれとも、何の名残、その人のことなど思ひ立ちなば、思ふ限りも及ぶまじ。
心弱さもいかなるべしとも、身ながらおぼえねば、何事も思ひ捨てて、人のもとへ、『さても。』など言ひて文やることなども、いづくの浦よりもせじと思ひとりたるを、なほざりにて聞こえぬなど、なおぼしそ。
よろづ、ただ今より、身を変へたる身と思ひなりぬるを、なほともすれば、もとの心(*)になりぬべきなん、いとくちをしき。」

と言ひしことの、げにさることと聞きしも、何とか言はれん。
涙のほかは、言の葉もなかりしを、つひに、秋の初めつ方の、夢のうちの夢を聞きし心地、何にかはたとへん。

さすが心ある限り、このあはれを言ひ思はぬひとはなけれど、かつ見る人々も、わが心の友はたれかはあらんとおぼえしかば、人にもものも言はれず。

つくづくと思ひ続けて、胸にも余れば、仏に向かひ奉りて、泣き暮らすほかのことなし。
されど、げに、命は限りあるのみにあらず、さま変ふることだにも心に任せで、一人走り出でなんどは、えせぬままに、さてあらるるが心憂くて、

またためしたぐひも知らぬ憂きことを 見てもさてある身ぞうとましき

建礼門院右京大夫集「資盛との思ひ出」の現代語訳

世間全体が騒然として、(行く末が)心細いようにうわさされたころなどは、(資盛は)蔵人頭であって、特に心の余裕がなさそうだったうえ、(私の)周囲にいた人も、

「(資盛との交際は)よくないことだ。」

などと言うこともあって、さらにまた、以前よりいっそう(人の目を)忍びなどして、自然に何かと遠慮がちになって、話をするなどした折々も、ただふだんの(資盛の)口癖も、

「このような世間の騒乱になってしまったので、亡き人の数に入るようなことは、疑いないことです。
そうなったら、(あなたは私のような者にでも)やはりすこしばかりはふびんだと思う気持ちを感じてくれないでしょうか。
たとえ何とも思わないとしても、このように(あなたにお話を)申し上げ慣れて、長い年月というほどになった愛なのだから、後世の供養も必ず考えてください。
また、もし命がたとえ今しばらくあるようだとしても、全く今は、(自分の)心を、昔の自分とは思うまいと、心を決めて覚悟しているのです。
そのわけは、物事をふびんだとか、何かが名残惜しいとか、あの人のことがとか思い始めてしまったとしたら、思ってもきりがないでしょう。
意志の弱さもどの程度だろうとも、我ながらわからないので、すべてのことを放念して、あなたのところへ、『ところで。』などと言って手紙を送ることなども、どこの海辺からもするまいと決心していますので、(あなたを)おろそかにして手紙を差し上げないなどと、決してお思いにならないでください。
万事、ただ今から、別人となった身と決心してしまったのに、やはりどうかすると、元の心になってしまいそうなのが、とても残念です。」

と言った言葉が、本当にもっともなことだと(私が)聞いたのも、何と言うことができようか。
(いや、できない。)涙のほかは、言葉もなかったのだが、とうとう秋の初めのころの、夢の中の夢(のような出来事)を聞いた時の気持ちは、何にたとえることができようか。(いや、できない。)

やはり人情のある人は昔、この悲哀を言ったり思ったりしない人はいないけれども、一方、身近で顔を合わせる人々にも、私の心の友は誰かいるだろうか(いや、いない)と思われたので、人に話をすることもできない。

しみじみと思い続けて、胸にも余るので、仏に向かい申し上げて、泣き暮らすほかのことはない。
しかし、本当に、寿命がある(から勝手に死ねない)ばかりでなく、出家することさえも思うようにならず、一人出奔したりなどは、できないままに、そういう状態で生きてしまうのがつらくて、

ほかに先例も類例も知らないつらい目を見ても、そのままで生きている自分がうとましい。

建礼門院右京大夫集「資盛との思ひ出」の単語・語句解説

[けに]
いっそう。

[はかなき数]
亡き人の数。

[また、もし命たとひ今しばしなどありとも]
また、もし命がたとえ今しばらくあるようだとしても。

[思ひしたためてなんある]
心を決めて覚悟しているのです。

[思ひ立ちなば]
思い始めてしまったとしたら。

[身ながらおぼえねば]
我ながらわからないので。

[なおぼしそ]
決してお思いにならないでください。

[げにさることと]
本当にもっともなことだと。

[心ある限り]
人情ある人は皆

[たれかはらんとおぼえしかば]
誰かいるだろうか(いや、いない)と思われたので。

[さま変ふることだにも心任せで]
出家することさえも思うようにならず。

[えせぬままに]
できないままに。

[憂きことを見ても]
つらい目を見ても。

*建礼門院右京大夫集「資盛との思ひ出」でテストによく出る問題

○問題:「もとの心(*)」とはどのような心か。
答え:作者や様々な事が気にかかり、思いきれないでいる弱い心。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は建礼門院右京大夫集でも有名な、「資盛との思ひ出」についてご紹介しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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