増鏡(ますかがみ)は南北朝時代の歴史物語で、作者は不明となっています。
鏡物と呼ばれる四つの歴史書である四鏡の一つです。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる増鏡の中から「後鳥羽院」について詳しく解説していきます。
(読み方は”ごとばいん”)
増鏡「後鳥羽院」の解説
増鏡でも有名な、「後鳥羽院」について解説していきます。
増鏡「後鳥羽院」の原文
このおはします所は、人離れ、里遠き島の中なり。
海づらよりは少しひき入りて、山陰にかたそへて、大きやかなる巌のそばだてるをたよりにて、松の柱に葦ふける廊など、けしきばかり、ことそぎたり。
まことに、「柴の庵のただしばし」と、かりそめに見えたる御宿りなれど、さる方に、なまめかしく、ゆゑづきてしなさせ給へり。
水無瀬殿おぼし出づるも夢のやうになん。
はるばると見やらるる海の眺望、二千里の外も残りなき心地する、いまさらめきたり。
潮風のいとこちたく吹き来るをきこしめして、
同じ世にまたすみの江の月や見ん 今日こそよそにおきの島守
年も返りぬ。
所々浦々、あはれなる事をのみおぼし嘆く。
佐渡院、明け暮れ御行ひをのみし給ひつつ、なほさりともとおぼさる。
隠岐には、浦より遠のはるばると霞みわたれる空をながめ入りて、御涙のみぞとどまらぬ。
夏になりて、茅ぶきの軒端に五月雨のしづくいと所狭きも、御覧じ慣れぬ御心地にさま変はりてめづらしくおぼさる。
増鏡「後鳥羽院」の現代語訳
この(後鳥羽上皇が)いらっしゃる場所は、人気がなく、人里遠い島の中である。
海辺からは少し引っ込んで、山陰に寄せて、大ぶりな巌がそびえたっているのをよりどころとして、松の柱に葦をふいてある渡り廊下などは、ほんの形ばかりで簡素に作ってある。
本当に、「柴の庵(を仮の宿として住む身)のようにほんのしばらく」と、間に合わせに見える御住居であるが、それはそれで、上品で由緒ありそうに作り上げていらっしゃる。
水無瀬殿を思い出しになるのも夢のようにお感じになる。
はるばると見渡される海の眺望は、二千里の彼方まで余すところなく見渡される気持ちがするのは、(白居易の詩の心が)今改めてしみじみと思われる。
潮風がたいそうひどく吹いてくるのをお聞きになって、
同じこの世でまた住江の澄んだ月を見ることがあるだろうか。今は都を遠く離れた場所に身を置き、隠岐の島守となっているが。
朝から晩まで勤行だけをなさりながら、やはりいくらなんでも(このままではあるまい)とお思いになる。
隠岐では(後鳥羽院が)海辺から遠くのはるばると一面に霞が広がっている空をすっかりもの思いにふけりながら御覧になって、過ぎてしまったころを、残りなくお思い出しになるにつけ、とめどなく流れる御涙が止まらない。
夏になって、芽吹きの軒先に五月雨のしずくがとてもいっぱいなのも、見慣れていらっしゃらないお気持で、様子が変わって新鮮にお思いになる。
増鏡「後鳥羽院」の単語・語句解説
作り上げていらっしゃる。
[夢のやうになん]
夢のようにお感じになる。
[見やらるる]
見渡される。
[おぼさる]
お思いになる。
[袖やほすらん]
袖を乾かしているのだろうか。
[めづらしくおぼさる]
新鮮にお思いになる。
*増鏡「後鳥羽院」でテストによく出る問題
○問題:「うらやまし(*)」というのはなぜか。
答え:涙が止まらない自分は涙をふく袖が乾く間もないのに対して、海人は濡れた袖を日差しで乾かす事が出来るから。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は増鏡でも有名な、「後鳥羽院」についてご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。
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