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養生訓の内容|貝原益軒による日本人の健康と精神の心得|原文と現代語訳

土用の丑の日、夏の日
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1712年(正徳2年)に福岡藩の儒学者、貝原益軒によって書かれた「養生訓」。
養生訓には、どうすれば「健康で長生き出来るか」「健やかに人生を送れるか」というのが具体的な方法と精神論を交えて紹介されている名著です。

今回はその養生訓の内容をご紹介したいと思います。

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養生訓の内容

全8巻から成る、養生訓。
その構成は以下の通りです。

【養生訓の構成】
巻第1 総論 上
巻第2 総論 下
巻第3 飲食 上
巻第4 飲食 下 飲酒 飲茶 慎色慾
巻第5 五官 二便 洗浴
巻第6 慎病 択医
巻第7 用薬
巻第8 養老 育幼 鍼 灸法

養生訓の内容

それではここで、養生訓の内容を抜粋してご紹介したいと思います。

からだは天地の賜物

原文

人の身は父母を本とし、天地を初とす。
天地父母のめぐみをうけて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。
天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。

現代語訳

人のからだは父母をもととし、天地をはじめとしたものである。
天地・父母の恵みを受けて生まれ、また養われた自分のからだであるから、私のもののようであるが、決して私だけのものではない。
天地の賜物であり、父母が残されたからだであるから、慎んでよく養い、いためたりこわしたりしないで、天寿を長くたもつようにしなければいけない。

人生で一番大事な事

原文

養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり。
人身は至りて貴とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。

然るにこれを養なふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふこと、愚なる至り也。
身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎しみ、私慾の危(あやうき)をおそるること、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、ついに殃(わざわい)なかるべし。豈(あに)、楽まざるべけんや。

現代語訳

養生の方法を学んで健康を保つこと、これこそが人生で一番大事な事である。
人のからだはきわめて貴重なもので、全世界(天下四海)の何物にもかえがたいものではないか。

それなのに養生の方法を知らないで、欲をほしいままにして身を滅ぼし、命を失うのはこれ以上愚かな事は無い。
身命と私欲とのどちらが大切かをよく考え、日々の生活を慎み、私欲の危ういことを、深い淵にのぞみ薄い氷をふむように細心の注意をして暮らしていけば、長生きしていつまでも災いをまぬがれるだろう。
そして、人生を楽しもうではないか。

大切な一字

原文

身をたもち生を養ふに、一字の至れる要訣あり。
これを行へば生命を長くたもちて病なし。
おやに孝あり、君に忠あり、家をたもち、身をたもつ、行なふとしてよろしからざる事なし。

その一字なんぞや。
畏(おそるる)の字これなり。
畏るるとは身を守る心法なり。
事ごとに心を小にして気にまかせず、過なからん事を求め、つねに天道をおそれて、つつしみしたがひ、人慾を畏れてつつしみ忍ぶにあり。

これ畏るるは、慎しみにおもむく初なり。
畏るれば、つつしみ生ず。
畏れざれば、つつしみなし。

現代語訳

からだをたもち養生するのに、きわめて大切な一字がある。
これを行えば命を長くたもち病がない。
親に考、君に忠、家をたもち、からだをたもつ。
何をやるにもかなっている。

その一字とは何か。
それは「畏(おそれる)」という字である。
畏れるということは、身を守る心構えである。
すべてに細心の注意を払い、気ままにしないで、過ちのないようにつとめ、いつも天道を畏れ敬い、天道に慎んでしたがい、人間の欲望を畏れ、慎んで我慢することである。
というのは、畏れることは慎みに向かう出発点だからである。
畏れるところから慎みの心がうまれる。
畏れないと慎みもないのである。

三つの楽しみ

原文

およそ人の楽しむべきこと三あり。

一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。
二には身に病なくして、快く楽むにあり。
三には命ながくして、久しくたのしむにあり。

富貴にしても、この三の楽なければ、真の楽なし。
故に富貴はこの三楽の内にあらず。
もし心に善を楽まず、また養生の道をしらずして、身に病多く、そのはては短命なる人は、この三楽を得ず。
人となりてこの三楽を得る計なくんばあるべからず。
この三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。

現代語訳

およそ人間には三つの楽しみがある。

一つ目は道を行い心得ちがいなく善を楽しむこと。
二つ目は病気がなく気持ちよく楽しむこと。
三つ目は長生きして久しく楽しむことである。

いくら富貴であっても、この三つの楽しみがなければ真の楽しみは得られない。
だから富貴はこの三楽に入らない。
もし善を楽しまず、また養生の道を知らないで、病気が多くて、最後に早死にする人は、この三楽を得られない。
人間であるからには、この三楽を得る工夫がなくてはならない。
この三楽がなければ、どのような富貴をきわめても、何の意味もない。

心を楽しませ、気を養う助け

原文

ひとり家に居て、閑(しずか)に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆これ心を楽ましめ、気を養ふ助なり。
貧賎の人もこの楽つねに得やすし。
もしよくこの楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。

現代語訳

ひとり家に居て、のどかに日を送り、古書を読み、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古い名筆を写した冊子を見て遊び、山水を眺め、月花を愛で、草木を愛し、四季の景色を楽しみ、酒を少したしなみ庭の野菜を煮るのも、みな心を楽しませ、気を養ふ助けとなる。
貧賤の人でも、この楽しみならいつでも出来る。
もしこの楽しみを知っていれば、富貴でもこの楽しみを知らない人よりは、はるかにまさっているといえよう。

気をめぐらす

原文

養生の術は、つとむべきことをよくつとめて、身をうごかし、気をめぐらすをよしとす。
つとむべきことをつとめずして、臥す事をこのみ、身をやすめ、おこたりて動かさざるは、はなはだ養生に害あり。
久しく安坐し、身をうごかさざれば、元気めぐらず、食気とどこほりて、病おこる。
ことにふす事をこのみ、眠り多きをいむ。
食後には必ず数百歩歩行して、気をめぐらし、食を消すべし。
眠りふすべからず。

現代語訳

養生の方法は、努めるべきことをよく努め、からだを動かし、気をめぐらすのが良い。
努めるべきことをしないで、寝ることを好み、からだを休めて怠けて動かないのは、養生にたいへん悪い。
長く気ままに坐り、からだを動かさないと、元気がめぐらず、食物の気がとどこおって病気になる。
とくに寝ることを好み、眠りの多いのはよくない。
食後には必ず数百歩歩いて気をめぐらし、食べたものを消化させるべきで、すぐに眠ってはいけない。

かぎりある元気

原文

人、毎日昼夜の間、元気を養ふことと元気をそこなふ事との、二の多少をくらべ見るべし。
衆人は一日の内、気を養ふことは常に少なく、気をそこなふことは常に多し。
養生の道は元気を養ふことのみにて、元気をそこなふことなかるべし。

もし養ふことは少なく、そこなふ事多く、日々つもりて久しければ、元気へりて病生じ、死にいたる。
この故に衆人は病多くして短命なり。
かぎりある元気をもちて、かぎりなき慾をほしいままにするは、あやうし。

現代語訳

人は誰でも、毎日その日の昼夜の中で、元気を養うことと元気をそこなうことの二つのうち、どちらが多いかを比べてみるのが良い。
多くの人は、一日のうち気を養うことは常に少なく、気をそこなう事が常に多い。
養生の道は、元気を養うことだけをつとめて、元気をそこなう事がないようにしなければならない。

もし元気を養う事が少なく、そこなう事が多く、それが日々つもりつもれば、元気が減って病気になり、ついに死ぬことになる。
だから多くの人は病気が多く短命に終わる。
限りある元気であるのに、限りない欲望を欲しいままにするのは、危ういことである。

気を養う大切な方法

原文

養生の術は先ず心気を養ふべし。
心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、を少なくし、心をくるしめず、気をそこなはず。
これ心気を養ふ要道なり。

現代語訳

養生の第一歩は心と気を養うことである。
心を和らかにし、気を平らかにし、怒りと欲を抑え、憂いと思い煩う事を少なくし、心を苦しめず、気を損なわない。
これが心と気を養う大切な方法である。

自分の体を可愛がり過ぎてはいけない

原文

心は楽しむべし、苦しむべからず。
身は労すべし、やすめ過すべからず。
凡そわが身を愛し過すべからず。

美味をくひ過し、ほううんをのみ過し、色をこのみ、身を安逸にして、おこたり臥すことを好む。
皆これ、わが身を愛し過す故に、かへつてわが身の害となる。
また、無病の人、補薬を妄に多くのんで病となるも、身を愛し過すなり。
子を愛し過して、子のわざはひとなるが如し。

現代語訳

心は楽しみ、苦しめてはいけない。
からだは動かし、休ませ過ぎてはいけない。
だいたい自分の体を可愛がり過ぎてはいけない。

美味しいものを食べ過ぎ、うまい酒を飲み過ぎ、色欲を好み、からだを楽にし、怠けて寝ているのが好きだというのは、みな自分のからだを可愛がり過ぎることで、かえってからだの害になる。
また病気でもないのに、強壮剤をやたらに飲んで、かえって病気になるのも、からだを可愛がりすぎることである。
子どもを可愛がり過ぎてかえって子どもの災いになるようなものである。

節度を守る

原文

酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべし。
食は半飽に食ひて、十分にみつべからず。酒食ともに限を定めて、節にこゆべからず。

現代語訳

酒はほろ酔い程度がよく、宴たけなわの半ばでやめるのがよい。
食事は満腹の半分がよく、腹いっぱい食べてはいけない。
酒食とも限度をきめて、節度をこえてはいけない。

良い食事

原文

凡(すべて)の食、淡薄なる物を好むべし。
肥濃油膩の物多く食ふべからず。
生冷・堅硬なる物を禁ずべし。

現代語訳

全ての食事はあっさりした物を好むのがよい。
味が濃く脂っこい物を多く食べてはいけない。
生もの、冷えた物、固い物は禁物である。

飲食と色欲の慎み

原文

わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜むべし。
精気を多くつひやせば、下部の気よはくなり、元気の根本たへて必ず命短かし。
もし飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補をなすとも、益なかるべし。

現代語訳

若いときから性欲を慎み、精気を惜しまなければいけない。
精気を多くつかうと、下半身の気が弱くなり、元気の根本が絶えて、かならず命が短くなる。
もし飲食と色欲の慎みがないと、毎日強壮剤を服用し、朝夕に食物で補いをしても、なんの役にも立たない。

交接の回数

原文

男女交接の期は、孫思邈が「千金方」曰く
「人、年二十者は四日に一たび泄す。
三十者は八日に一たび泄す。
四十者は十六日に一拙す。
五十者は二十日に一泄す。
六十者は精をとぢてもらさず。もし体力さかんならば、一月に一たび泄す。

気力すぐれて盛なる人、慾念をおさへ、こらへて、久しく泄さざれば、腫物を生ず。
六十を過て慾念おこらずば、とぢてもらすべからず。
わかくさかんなる人も、もしよく忍んで、一月に二度もらして、慾念おこらずば長生なるべし」

現代語訳

男女の交接の回数は、古代中国の医学者孫思邈の「千金方」に書いてある。
「人は年二十の者は四日に一回もらす。
三十の者は八日に一回もらす。
四十の者は十六日に一回もらす。
五十の者は二十日に一回もらす。
六十の者は精をとじてもらさない。もし(六十の人でも)体力がさかんであれば、一ヶ月に一回もらす。

気力がすぐれてさかんな人が欲情を抑えこらえて久しくもらさないと腫れ物を生ずる。
六十を過ぎて欲情がおこらなければ、とじてもらしてはいけない。
若くてさかんな人も、もしよく耐えて、もらすのを一ヶ月に二回にして、あとは欲情をおこさなければ、長生きできよう」
というのである。

心配しすぎない

原文

病ある人、養生の道をば、かたく慎しみて、病をば、うれひ苦しむべからず。
憂ひ苦しめば、気ふさがりて病くはゝる。
病おもくても、よく養ひて久しければ、おもひしより、病いえやすし。

病をうれひて益なし。只、慎むに益あり。
もし必死の症は、天命の定れる所、うれひても益なし。人をくるしむるは、おろかなり。

現代語訳

病人は養生の道をかたく守り、病気のことをくよくよ考えてはいけない。
くよくよすれば気がふさがり病気が重くなる。
病気が重くても、気長によく養生すれば、思ったよりも病気は早く癒えるものである。

病気をいくら心配しても益はない。
ひたすら病気を慎むことに益がある。
もし死ぬときまった病気なら、天命で定まったことであるから、憂えても益はない。
そのことで他人を苦しめるのは愚かなことである。

天命を受け入れる

原文

老ての後は、一日を以て十日として日々に楽しむべし。
常に日をおしみて、一日もあだにくらすべからず。
世のなかの人のありさま、わが心にかなはずとも、凡人なれば、さこそあらめ、と思ひて、わが子弟をはじめ、人の過悪を、なだめ、ゆるして、とがむべからず。
いかり、うらむべからず。

また、わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、うき世のならひ、かくこそあらめ、と思いひ、天命をやすんじて、うれふべからず。
つねに楽しみて日を送るべし。

人をうらみ、いかり、身をうれひなげきて、心をくるしめ、楽しまずして、むなしく過ぬるは、愚かなりと云べし。
たとひ家まどしく、幸なくしても、うへて死ぬとも、死ぬる時までは、楽しみて過すべし。
貧しきとて、人にむさぼりもとめ、不義にして命をおしむべからず。

現代語訳

年をとってからあとは、一日を十日として日々楽しむがよい。
つねに日を惜しんで、一日も無駄に暮らしていけない。
世の中の人のありさまが自分の心にかなわなくても、それは凡人だから仕方ないことと思い、自分の子どもをはじめ他人の過失をなだめ許し、とがめてはいけない。
起こったり恨んだりしてもいけない。

また自分が不幸で裕福でなく、他人が自分に対して道理に合わないことをしても、浮世のならいはこうしたものと思い、天命を受け入れ、憂い嘆いてはいけない。
つねに楽しんで日を送りなさい。

人を恨み怒り、からだを憂い嘆いて心を苦しめ、楽しまないで、はかなく年月を過ごすのは惜しいことである。
このように惜しむべき月日であるのを、一日も楽しまないでむなしく過ごすのは、愚かなことというほかない。
たとえ家が貧しく幸いがうすく、飢えて死ぬようなことになっても、死ぬときまでは楽しんで過ごすがよい。
貧しいからといって、人にむさぼり求めたり、不義の人間になって命を惜しんではならない。

導引の術

原文

導引の法を毎日行へば、気をめぐらし、食を消して、積聚(しゃくじゅ)を生ぜず。
朝いまだおきざる時、両足をのべ、濁気をはき出し、おきて坐し、頭を仰て、両手をくみ、向へ張出し、上に向ふべし。
歯をしばしばたゝき、左右の手にて、項(うなじ)をかはるがはるおす。
その次に両肩をあげ、くびを縮め、目をふさぎて、俄(にわか)に肩を下へさぐること、三度。

次に面(かお)を、両手にて、度々なで下ろし、目を、目がしらより目じりに、しばしばなで、鼻を、両手の中指にて六七度なで、耳輪(じりん)を、両手の両指にて挟み、なで下ろすこと六七度、両手の中指を両耳に入、さぐり、しばしふさぎて両へひらき、両手をくみ、左へ引ときは、かうべ右をかへり見、右へ引ときは、左へかへりみる。この如くすること各三度。
次に手の背にて、左右の腰の上、京門(けいもん)のあたりを、すぢかひに、下に十余度なで下し、次に両手を以て、腰を按す。

両手の掌にて、腰の上下をしばしばなで下す。
これ食気をめぐらし、気を下す。
次に手を以て、臀の上を、やはらかに打こと十余度。
次に股膝を撫くだし、両手をくんで、三里の辺をかゝえ、足を先へふみ出し、左右の手を前へ引、左右の足、ともに、この如くすることしばしばすべし。
次に左右の手を以て、左右のはぎの表裏を、なで下すこと数度。

次に足の心(うら)湧泉の穴と云、片足の五指を片手にてにぎり、湧泉の穴を左手にて右をなで、右手にて左をなづること、各数十度。
また、両足の大指をよく引、残る指をもひねる。
これ術者のする導引の術なり。閑暇ある人は日々かくの如くす。

現代語訳

導引というからだの屈伸や摩擦の健康法を毎日行えば、気がめぐり、食物を消化し、腹中に腫れ物を起こさない。
朝まだ起きないうちに、両足を伸ばし、濁った気を吐き出し、そのれから起きて坐り、頭を仰向かせて、両手を組み、前方へつき出し、上にあげる。
歯を何度もかちかちたたき、左右の手で首すじを交互に押す。
つぎに両肩をあげ、首をちぢめ、目をふさいで、急に首をさげる動作を三度する。
つぎに顔を両手でたびたび撫でおろし、目頭から目尻にかけて何回も撫で、鼻も両手の中指で六・七回撫で、耳たぶを両手の両指ではさんで撫でおろすこと六・七度、さらに両手の中指を両耳に入れてさぐるようにし、耳あなをふさいだり開いたりする。

そして両手を組み、左へ引くときは頭を右にまわし、右へ引くときは頭を左にまわす。
これを三度やる。
つぎに手の背で左右の腰の上やわき腹のあたりをななめ下へ十度あまり撫でおろす。
そのあと両手で腰を押す。
両手の掌で腰の上下を何度も撫で下ろす。
これは食物の気をめぐらし、気をおろす。

次に手で尻をかるく十度あまり打つ。
ついで股と膝を撫で下ろし、両手を組んで膝がしらの下をかかえ、足を前へふみ出すようにし、左右の手を手前に引く。
左右の足とも何度もやるとよい。

つぎに左右の手で左右のふくらはぎの表と裏を数度撫で下ろす。
そして足の裏の中心、ここは土踏まずのくぼみで湧泉の穴というが、片足の五指を片手で握り、この湧泉の穴を左手で右の穴を、右手で左の穴をそれぞれ十度ばかり撫でる。
また両足の親指をよく引き、残る指もひねっておく。
これが専門家のする導引の術である。
暇のある者は毎日これをやるとよい。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
養生訓は300年も前に書かれた書物ですが、現代の私たちにも参考になる普遍的な内容が書かれています。
現代の医療本でなく、古典に健康法を学んでみるのも面白いですよね。

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