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方丈記「養和の飢饉」原文と現代語訳・解説・問題|高校古典

フジバカマ
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方丈記(ほうじょうき)は鴨長明が書いた随筆で、鎌倉時代初期に書かれました。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる方丈記の中から「養和の飢饉」について詳しく解説していきます。

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方丈記「養和の飢饉」の解説

方丈記でも有名な、「養和の飢饉」について解説していきます。

方丈記「養和の飢饉」の原文

また、養和の頃とか、久しくなりておぼえず。
二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。

あるいは春・夏ひでり、あるいは秋大風・洪水など、よからぬことどもうち続きて、五穀ことごとく生らず。
むなしく春返し、夏植うる営みありて、秋刈り、冬収むるぞめきはなし。

これによりて、国々の民、あるいは地を捨てて境を出で、あるいは家を忘れて山に住む。
さまざまの御祈り始まりて、なべてならぬ法ども行はるれど、さらにその験なし。

京の慣らひ、何わざにつけても、みなもとは田舎をこそ頼めるに、たえて上がるものなければ、さのみやは操も作りあへん。
念じわびつつ、さまざまの財物かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目見立つる人なし。

たまたま換ふるものは、金を軽くし、粟を重くす。
乞食、路のほとりに多く、憂へ悲しむ声、耳に満てり。

前の年、かくのごとくからうじて暮れぬ。
明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘うち添ひて、まさざまに、跡形なし。

世人皆けいしぬれば、日を経つつ窮まりゆくさま、少水の魚のたとへにかなへり。
果てには、笠うち着、足引き包み、よろしき姿したる者、ひたすらに家ごとに乞ひ歩く。

かくわびしれたる者どもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。
築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬる者たぐひ、数も知らず。

取り捨つるわざも知らねば、臭き香世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。
いはむや、河原などには、馬・草の行き交う道だになし。

あやしき賤・山賤も力尽きて、薪さへ乏しくなりゆけば、頼む方なき人は、みづからが家を毀ちて、市に出でて売る。
一人が持ちて出でたる価(*)、一日が命にだに及ばずとぞ。

あやしきことは、薪の中に、赤い丹つき、箔など所々に見ゆる木、あひ交じはりけるを尋ぬれば、すべき方なき者、古寺に至りて仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り砕けるなりけり。
濁悪世にしも生まれ合ひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし。

方丈記「養和の飢饉」の現代語訳

また、養和年間の間頃であっただろうか、長い年月を経てしまったのではっきり思い出せない。
二年間、世間では飢餓で食糧が欠乏して(飢え苦しみ)、何とも言いようのないひどい事態がありました。

ある場合は、春・夏の間はかんばつ、ある場合は大風・洪水などと、不幸なことがいろいろ続いて、穀物も全く実らない。
むなしく春に耕し、夏に植えるという骨折りだけがあって、秋に刈り取り、冬に倉へ納めるというにぎわいはない。

このために、国々の民衆は、ある者は(住み慣れた)土地を捨てて国境を越え、ある者は家を捨てて山に住む。
(朝廷では)いろいろの祈禱が始まり、なみひととおりでない特別の修法も行われるが、全然その効果はない。

京の都の常(習慣)として、何事につけても、生活の根源はみな田舎を頼りにしているのに、全く(田舎から)京の都へ上ってくる食物がないので、(都の人々も)そんなふうに体裁をつくろってばかりいられようか(、いや、いられない)。
我慢しきれず、いろいろな財物を片っ端から捨て売りするように(して穀物と交換しようと)するのだが、その財物に目をとめる人も全然いない。

たまたま交換する人があると、金銀財宝を軽くみて、穀物の価値のほうを重く考える(といった状態である)。
乞食が、道端に多く(おり)、嘆き悲しむ声が、あたり一面に満ちていた。

前年は、このようにしてやっとのことで年が暮れた。
翌年は(平常の状態に)立ち直るだろうかと思っていたが、(立ち直るどころか)そのうえに悪性の流行病まで加わって、惨状は更にひどく、立ち直る兆候は少しもない。

世の人はみな飢えてしまったので、日が経つにつれてその惨状が窮まっていく様子は、(『行生要集』などの仏典にある)「少水の魚」のたとえそのままである。
ついには、笠をかぶり、足を(布で)包んで、相当の身なりをした者が、懸命に家から家へと物乞いをして、歩く。

このように生活に困窮し待てた者たちは、歩いているかと見ていると、たちまち倒れ伏してしまう。

土塀の前や、道ばたに、餓死する者の類は、数知れない。
(死骸を)片づける方法もわからないので、臭気があたり一面に満ち満ちて、(腐敗して)崩れ替わっていく顔や(身体の)様子は、まともに見ることもできないことが多い。

まして、鴨川の河原などでは、(死骸が一面に散乱しており)馬や車の行き交う道さえもない。
身分の低い卑しい者や木こりも(飢えのため)体力が尽きて、(木を伐り出さないため)、薪までが欠乏してきたので、(生計の)あてにする方法がない人は、自分の家を壊して、市場に出て売る。

(ところが、)一人持って出た薪の値段が、一日の命(をつなぐ穀物の代金)にさえ及ばないということである。
不思議なことは、(市場で売られている)薪の中に、赤色の塗料が着き、金箔や銀箔などが所々に見える木が、混じっていた(その)訳を調べてみると、どうにも生きる手段の尽きた者が、古寺に行って仏像を盗み、お堂の仏具を壊し取って、割り砕い(て薪とし)たのであった。

種々の汚れや罪悪に満ちあふれた末法の世にちょうど生まれ合わせて、このような情けないしわざを見たことでした。

方丈記「養和の飢饉」の単語・語句解説

[おぼえず]
覚えていない。

[二年が間]
二年間。

[あさましきこと]
あきれるほどの惨状を呈したこと。

[侍りき]
ありました。

[ことごとく生ならず]
全く実らない。

[むなしく]
無益に。むだに。

[営み]
仕事。つとめ。

[あるいは地を捨てて境を出で]
ある者は土地を捨てて国境を越え。

[行はるれど]
行われるけれども。

[さらにその験なし]
全く効果がない。

[みなもと]
物事の起源。根源。

[たえて上るものなければ]
ちっとも京に上ってくる食べ物がないので。

[さのみやは操も作りあへん]
そんなふうに体裁をつくろっていられようか(、いや、いられない)。

[念じわびつつ]
我慢しきれずに。

[金を軽くし、粟を重くす]
金(財物)の価値を軽くみて、穀物の価値を重く考える。

[立ちなるべきかと思ふほどに]
立ちなるだろうかと思っていたが。

[よろしき]
悪くない。相当の。かなりの。

[いはむや]
ましてや。まして言うまでもなく。

[道だになし]
道すらない。

[あやしき賤・山賤]
身分の引き卑しい者や木こり。

[頼む方なき人]
(生計の)あてにする方法がない人。

[毀ちて]
壊して。

[一日が命にだに及ばずとぞ]
一日の命にさえ及ばないということだ。

[すべき方なき者]
生きるための方策がない者。

[心憂きわざをなん見侍りし]
情けないしわざを見たことでした。

*方丈記「養和の飢饉」でテストによく出る問題

○問題:「持ちて出でたる価(*)」とはなんの価か。
答え:背負って持ち出せるだけの量の、薪の値段。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は方丈記でも有名な、「養和の飢饉」についてご紹介しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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