風姿花伝のわかりやすい解説と世阿弥の生涯|原文内容と現代語訳

能楽
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風姿花伝(ふうしかでん)は室町中期(1400年頃)に成立した能楽書です。
全七巻からなり、作者は能役者の世阿弥(ぜあみ)です。

その高度な芸能論は現代のアーティスト達にも根強く愛されています。

今回はそんな世阿弥の風姿花伝についてご紹介したいと思います。

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風姿花伝とは

能楽
風姿花伝は世阿弥が書いた能楽書で、室町中期(1400年頃)に成立しました。
略称を”花伝””花伝書”ともいいます。

世阿弥の父である観阿弥(かんあみ)の教訓をもとに書かれたもので、下記の七巻の伝書からなります。

【風姿花伝の構成】

1.風姿花伝第一 「年来稽古条々(ねんらいのけいこのじようじよう)」
2.風姿花伝第二 「物学条々(ものまねのじようじよう)」
3.風姿花伝第三 「問答条々(もんどうのじようじよう)」
4.風姿花伝第四 「神儀云(じんぎにいわく)」
5.第五 「奥義云(おうぎにいわく)」
6.花伝第六 「花修云(かしゆにいわく)」
7.花伝第七 「別紙口伝(べつしのくでん)」 

「年来稽古条々」では7歳から50歳過ぎまでの年齢に応じた稽古の心得と説き、「物学条々」では男女の演じ分けや鬼の演じ方などが延べられています。

「問答条々」ではその名の通り芸道上の心得が問答体で書かれているなど、芸道に通じる様々な事が全七巻に記されています。

世阿弥の生涯

風姿花伝を書いた世阿弥は、猿楽師である太夫観阿弥清次(たゆうかんあみきよつぐ)の長男として生まれました。
幼名は鬼夜叉(おにやしゃ)と付けられましたが、たいそう美しい顔立ちだったそうです。

早くから芸の才能を開花していった世阿弥でしたが、22歳の時に父が亡くなってしまいます。
この難局の中でも激しい稽古と研究によって芸を磨き続け、一躍スターの座に登り詰めていきます。

風姿花伝の1〜3巻まではこの頃(30代)に書かれたといわれています。

その後40代になり、世阿弥の理解者であった足利義満が亡くなると、徐々に人気にも陰りがみえはじめます。

60代になると世阿弥は家督を長男に譲り、自身は出家してしまいます。
後年は禅宗に傾倒していった世阿弥でしたが、後にその長男も亡くなった事もあり一座は破滅。
自身もなんらかの罪によって佐渡に流されてしまいます。

その後の詳細はわかっていませんが、芸の道を極めた世阿弥の最期は、暗いものであったといわれています。

風姿花伝の内容

この章では、風姿花伝の内容をピックアップしてご紹介します。

秘すれば花

高校古典の教科書にも出てくる「秘すれば花」の解説です。

原文
秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず、となり。
この分け目を知ること、肝要の花なり。

そもそも一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるがゆゑなり。
しかれば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。
これを、「させることにてもなし。」と言ふ人は、いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり。

まづ、この花の口伝におきても、ただ珍しきが花ぞと、みな人知るならば、「さては珍しきことあるべし。」と思ひまうけたらん見物衆の前にては、たとひ珍しきことをするとも、見手の心に珍しき感はあるべからず。
見る人のため、花ぞとも知らでこそ、為手の花にはなるべけれ。
されば、見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。
さるほどに、人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立て、これ花なり。

現代語訳

秘密にする(ことで生まれる)花を知ること。秘密にすれば花であり、秘密にしなければ花になることはできない、ということなのだ。
この(花となるか、ならないかの)分け目を知ることが、「花」について肝心・大切なところである。

ところで全てのこと、もろもろの芸道において、その(それぞれの専門の)家々に秘密のことと申しあげるのは、秘密にすることによって大きな効用があるからである。
だから、秘事ということを明らかにすると、大したことでもないものなのだ。
これを、「大したことでもない。」と言う人は、まだ秘事ということの大きな効用を知らないからである。

七歳

風姿花伝第一「年来稽古条々」の「七歳」です。

原文
一、この芸において、おほかた、七歳をもてはじめとす。
このころの能の稽古、必ず、その者、自然と為出だす事に、得たる風体あるべし。
舞・はたらききの間、音曲、もしくは怒れる事などにてもあれ、ふと為出ださんかかりを、うち任せて、心のままにせさすべし。
さのみに、よき、あしきとは教ふべからず。
あまりにいたく諫むれば、童は気を失ひて、能、ものくさくなりたちぬれば、やがて能は止まるなり。

ただ音曲・はたらき・舞などならではさせすべからず。
さのみの物まねは、たとひすべくとも、教ふまじきなり。
大場などの脇の申楽(さるがく)には立つべからず。
三番・四番の、時分のよからむずるに、得たらん風体をさせすべし。

現代語訳

一、能楽の稽古は、だいたい七歳の時分に始めるのが良い。
この頃の能の稽古というものは、ともかく自然に任せるという事が肝心である。
どんな子でも、それぞれがやりたいようにやらせておくと、その自然に出てくるやり方の中に、必ず個性的な有様が見えてくるものだ。

舞いや仕草の中に、また謡いにのせての所作はもとより、更には例えば怒気を含んだ鬼物の所作などの場合であっても、本人が何心もなく思いついて見せる動きなど、みなその子の好きなように、心のままにやらせておくのが良い。

この時分には、「こうすると良い」とか「そうしちゃいけない」とか、事細かに教えるのはかえってよくない。
あまり口うるさくあれこれと注意すると、子供というものはやる気をなくして、能なんて面倒くさいなぁと思って怠る心が出来るから、すなわちそこで能の進歩は行き止まりとなる。

そうして、子供には、謡い、しぐさ、舞い、という基礎的な事だけを教えて、それ以上のことはさせてはいけない。
子供の中には、もっと手の込んだ写実的演技などもさせれば出来る者もいるけれど、あえてさようなことは教えぬほうがよいのだ。

格の高い大きな場所での脇能(初番の神能)のようなものには出演させてはいけない。
三番目の女の舞いを主眼とした能か、四番目の世話物の能あたりの、ちょうどよさそうな時分に、その子のもっとも得意とする役柄で出してやるのがよろしい。

十二・三より

風姿花伝第一「年来稽古条々」の「十二・三より」です。

原文
この年の頃よりは、はや、やうやう声も調子にかかり、能も心づく頃なれば、次第次第に物数(ものかず)をも教ふべし。
まづ童形なれば、なにとしたるも幽玄なり。
声も立つ頃なり。二つのたよりあれば、わろき事は隠れ、よき事はいよいよ花めけり。
おほかた、児(ちご)の申楽(さるがく)に、さのみに細かなる物まねなどはせさすべからず。

当座も似合はず、能も上らぬ相なり。
ただし堪能(かんのう)になりぬれば、何としたるもよかるべし。
児といひ、声といひ、しかも上手ならば、なにかはわろかるべき。

さりながらこの花は、まことの花にあらず。ただ時分の花なり。
さればこの時分の稽古、すべてすべてやすきなり。
さるほどに一期(いちご)の能の定めにはなるまじきなり。

この頃の稽古、やすき所を花に当てて、わざをば大事にすべし。
はたらきをもたしやかに、音曲をも文字にさはさはと当たり、舞をも手を定めて、大事にして稽古すべし。

現代語訳

このくらいの年齢になれば、謡う声もだんだんと能の音階に合わせられるようになり、もう内容的な事もちゃんと理解出来る頃であるから、謡い、舞い、演技とも、順々に少しずつ数多くのことがらを教えてよい。

なにぶんにも、華やかな稚児姿なので、何をどのように演じようとも華やいだ美しさがある。
しかも、声もよく通るようになっている。

この二つの美点があるのだから、欠点は目立たず、良いところはますます華やかに見えてくる。
とはいえ、概してこうした稚児たちの申楽には、あんまり細密な写実演技などさせるものではない。

そういうのは、目の当たりに見ていてもいっこうに似つかわしいとは思えないものだし、また将来上達がとまるもといである。
ただし、この年代の子供の中には、どうかするととても達者になんでも出来る者がある。

そういう稚児は、何をどう演じてもよろしかろう。
なにしろ、姿はお稚児の華やかさ、声も朗々と響く、しかも上手に演ずる子とくれば、そりゃ何をやっても悪かろうはずがない。

とはいいながら、この花は本物の花ではない。
言ってみれば、ちょうど良い年齢ゆえの花であるに過ぎないのだ。

かかる花が備わっているからして、この時分の稽古はなんでも容易に出来てしまうところがある。
だからといって、この時分の稽古で達成したことが一生の芸の格として身につくというわけでもない。

したがって、この時分の稽古は、年齢相応のやりやすいところを舞台で華やかに見せるようにして、一方、一つ一つの基礎的な技を丁寧に稽古することが肝心である。

すなわち、動作を確実にし、謡いは発音を正しく明瞭にするように心がけ、舞いも一つ一つの所作をきちんと守って、大事に大事に稽古しなくてはいけない。

十七・八より

風姿花伝第一「年来稽古条々」の「十七・八より」です。

原文
この頃は、またあまりの大事にて、稽古多からず。
まづ声変はりぬれば、第一の花、失せたり。
体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎし頃の、声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手だてはたと変はりぬれば、気を失ふ。
結句(けつく)見物衆(けんぶつしゆ)も、をかしげなるけしき見えぬれば、恥づかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。

この頃の稽古には、ただ指をさして人に笑はるるとも、それをば顧みず、内にては、声の届かんずる調子にて、宵・暁の声を使ひ、心中には願力を起こして、一期の境ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。
ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。

総じて調子は声によるといへども、黄鐘(おうしき)・盤渉(ばんしき)をもて用ふべし。
調子にさのみかかれば、身なりに癖出で来るものなり。
また声も、年寄りて損ずる相なり。

現代語訳

この年頃はまた、なんとしても難しい時期で、稽古をしすぎてはいけない。
まず声変わりということがある。
これによって少年期の艶めかしさは失せる。

また体つきも、手足が伸びて変に腰高な風情になるので、見ていて不安定な感じがする為に第一姿が悪くなる。

それまでは声も朗々として美しく、姿は華やかであってなんでも自在にできた時期であったけれど、そのあとでなにもかもがぱたっと一変してしまうわけだから、どうしてもここで気力が萎えてしまう。

その結果、見物の人たちも、ありゃ変だなあと思っているらしい様子がそれとなく分かるので、やっぱり恥ずかしいし、それやこれやでこの年齢の頃に挫折してしまう事が多い。

だから、この時期の稽古は、舞台では指さしして嘲られることがあろうとも、それは気にかけないこと、そして家に帰ってからは、あまり無理な高声など使わずに、そこそこ届く程度の高さの声で、宵には十分に声を出し、朝にはちょっと控えめにして発声を整える。

心の中に神仏かけての願力を奮い立たせて、おのれの一生の分かれ目はここだ、と覚悟し、これから先、生涯をかけて能を捨てずに精進するということの他には稽古の方法もないのである。

そうして、この時期に諦めてしまったら、もうそれっきり能は行き止まりとなる。

概して、声の高低は生まれつきで決まっているものだが、それでもおおかたの所を申すならば、この変声期の時期には「黄鐘(おうしき)・盤渉(ばんしき)」あたりまでの所の声を使うのがよろしい。

調子にこだわって無理に高い声などだそうとすると、その為に体つきに妙な癖がついてしまうことがある。
さらには、声帯を傷めて後に中年以後に声が出なくなるというようなことも出来(しゅったい)するので、くれぐれも無理は禁物である。

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