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百人一首の恋の歌一覧!恋愛が題材の和歌まとめ

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39番歌

浅茅生の小野の篠原忍ぶれど
あまりてなどか人の恋しき

参議等

【読み】
あさぢふのをののしのはらしのぶれど
あまりてなどかひとのこひしき
【意味】
浅茅の生えた小野の篠原、その「しの」のように貴方への思いを忍びこらえているけれど、忍びきれない。どうしてこんなに恋しいのだろう。
【解説】
”浅茅生”:竹の低い茅萱が生えているところ。
”小野”:野のこと。
”篠原”:篠の生えている原。篠は短い竹。
”忍ぶれど”:我慢しているけれど。
”あまりて”:忍ぶにあまって。忍びきれずに。
”などか”:どうしてか。
”人”:貴方。

作者は参議等(さんぎひとし)。名は源等(みなもとのひとし)といいます。
平安前期から中期にかけての公家で、嵯峨天皇のひ孫にあたります。

40番歌

忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで

平兼盛

【読み】
しのぶれどいろにいでにけりわがこひは
ものやおもふとひとのとふまで
【意味】
忍びこらえていたけれど、とうとうその素振りに出てしまった。何か物思いをしているのですかと人が尋ねる程に。
【解説】
”色”:顔色。素振り。
”ものや思ふと”:「何か物思いをしているのですか」と。

包み隠している恋心が、ついつい表に出てしまった様子を詠んだ歌です。
作者は平兼盛(たいらのかねもり)。平安中期の歌人、貴族で、三十六歌仙の一人です。

【天徳四年内裏歌合】
この40番歌「忍ぶれど」と、次の41番歌「恋すてふ」は、天徳四年三月三十日に村上天皇が主催した歌合、二十番勝負の最後に優劣が競われた歌です。
どちらも優れた歌だった為、判者の藤原実頼も迷いました。
大納言の源高明に意見を聞くと、「お任せします」と返されます。
そして天皇の顔をうかがい見た所、「忍ぶれど」の歌を口ずさんだ為、最終的に「忍ぶれど」の歌を勝利としました。

41番歌

恋すてふわが名はまだき立ちにけり
人知れずこそ思ひそめしか

壬生忠見

【読み】
こひすてふわがなはまだきたちにけり
ひとしれずこそおもひそめしか
【意味】
私が恋をしているという評判は、早くも広まってしまった。誰にも知られないようにひそかに思いはじめたのだけれど。
【解説】
”恋すてふ”:恋をしているという。
”わが名”:わたしの評判。
”まだき”:早くも。
”立ちにけり”:広まってしまった。
”人知れずこそ”:他人に知られないように。
”思ひそめしか”:思い始めたのだけれど。

作者は壬生忠見(みぶのただみ)。平安中期の歌人で、三十六歌仙の一人です。壬生忠岑(30番歌)の子です。

42番歌

契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは

清原元輔

【読み】
ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつ
すゑのまつやまなみこさじとは
【意味】
約束しましたね。互いに涙で濡れた袖を何度もしぼっては、あの末の松山を波が決して越さないように、二人の中も末永く変わるまいと。
【解説】
”契りきな”:約束しましたね。
”かたみに”:互いに。
”袖を絞りつつ”:涙で濡れた袖を絞りながら。
”末の松山”:現在の宮城県の海岸にあったという山。絶対に浪の越さない位置にあったので、比喩として使われた。
”浪こさじとは”:浪が超えないように絶対に変わりますまい。

後拾遺集の詞書に、「心かはりてはべりける女に、人に代はりて」とある歌。
つまり作者の清原元輔(きよはらのもとすけ)が、心変わりした女性宛の歌を失恋した男性に代わって詠んだ歌です。
清原元輔は平安中期の歌人・貴族で、三十六歌仙の一人。清原深養父(36番歌)の孫で、清少納言(62番歌)の父です。

43番歌

逢ひ見てののちの心にくらぶれば
昔はものを思はざりけり

権中納言敦忠

【読み】
あひみてののちのこころにくらぶれば
むかしはものをおもはざりけり
【意味】
貴方と逢って愛しあった後の心に比べれば、それ以前の物思いなど無かったようなものだ。
【解説】
”逢ひ見て”:逢って契りを結んで。
”のちの心”:後の恋しくて切ない心。
”昔は”:逢う以前は。

恋が成就した後も、さらに思いが募っていく様子を詠んだ歌です。
作者は権中納言敦忠。藤原敦忠(ふじわらのあつただ)として知られる、平安中期の歌人・公家で、三十六歌仙の一人でもあります。琵琶の名手でもありました。
恋多き貴公子で、右近との恋愛が「大和物語」にも描かれています。

44番歌

逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし

中納言朝忠

【読み】
あふことのたえてしなくはなかなかに
ひとをもみをもうらみざらまし
【意味】
もしも逢うことが全く無いのなら、かえってあの人のつれなさも我が身も恨まなくて済むのに。
【解説】
”逢ふことの”:逢って契りを交わすこと。
”絶えて”:まったく。絶対に。
”なかなかに”:かえって。

作者は中納言朝忠。藤原朝忠(ふじわらのあさただ)として知られる、平安中期の歌人、公家で三十六歌仙の一人です。三条右大臣定方(25番歌)の五男です。

45番歌

あはれともいふべき人は思ほえで
身のいたずらになりぬべきかな

謙徳公

【読み】
あはれともいふべきひとはおもほえで
みのいたづらになりぬべきかな
【意味】
「かわいそうに」と言ってくれるはずの人も思い当たらないまま、私はこのままむなしく死んでしまうでしょう。
【解説】
”あはれとも”:かわいそうにとも。
”いふべき人”:言ってくれるはずの人。
”思ほえで”:思われないで。
”いたづらに”:むだ死にに。
”なりぬべき”:なってしまうでしょう。

拾遣集の詞書に「物いひ侍りける女の後につれなく侍りて更にあはず侍りければ」とある歌。
交際していた女性がいっこうに逢ってくれなくなったので贈った歌です。
作者は謙徳公。藤原伊尹(ふじわらのこれただ/これまさ)として知られる、平安中期の公卿です。
藤原義孝(50番歌)の父で、藤原忠平(26番歌)の孫にあたります。

46番歌

由良の門を渡る舟人かぢを絶え
ゆくへも知らぬ恋のみちかな

曾禰好忠

【読み】
ゆらのとをわたるふなびとかぢをたえ
ゆくへもしらぬこひのみちかな
【意味】
由良の海峡を漕ぎ渡る船人が、櫂がなくなって行方もしらず漂うように、どうなるかわからない恋の道であることよ。
【解説】
”由良の門”:現在の京都府宮津市由良の由良川が若狭湾へ注ぐあたり。
”かぢ”:櫓(ろ)や櫂(かい)の総称。
”絶え”:無くす。
”ゆくへも知らぬ”:行く先も分からない。

櫂を失って漂う船と、自分の恋の成り行きとを重ねた歌です。
作者は曾禰好忠(そねのよしただ)。平安中期の歌人で、中古三十六歌仙の一人です。

48番歌

風をいたみ岩打つ波のおのれのみ
くだけてものを思ふころかな

源重之

【読み】
かぜをいたみいはうつなみのおのれのみ
くだけてものをおもふころかな
【意味】
風が烈しいので、岩に打ち寄せる波が自分だけ砕けて散るように、つれないあの人の為に私の心も砕ける程に思い悩むこの頃である。
【解説】
”風をいたみ”:風が強いために。
”おのれのみ”:自分だけが。
”くだけて”:千々にくだけて。
”ころかな”:この頃であるよ。

高波が岩に打ち寄せて白く砕け散る様を、自分の恋心に重ねて詠んだ歌です。
作者は源重之(みなもとのしげゆき)。平安中期の歌人・貴族で、三十六歌仙の一人です。
清和天皇の曾孫にあたります。

49番歌

御垣守衛士のたく火の夜は燃え
昼は消えつつものをこそ思へ

大中臣能宣朝臣

【読み】
みかきもりゑじのたくひのよるはもえ
ひるはきえつつものをこそおもへ
【意味】
宮中の御門を守る兵士の焚く火が夜は燃え、昼は消えているように、私も夜は恋しさに燃え、昼は身も消え入るばかりに恋の物思いに悩んでいるのです。
【解説】
”御垣守”:宮中の御門を守る人。
”衛士”:諸国の軍団から毎年交代で京都へ上り、衛門府に配属された兵士。
”たく火”:焚いている火のこと。火を焚いて門を守るのが衛士の職務だった。
”物をこそ思へ”:物を思う。

作者は大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶ)。平安中期の歌人、貴族で、三十六歌仙の一人です。伊勢大輔(61番歌)の祖父にあたります。

50番歌

君がため惜しからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな

藤原義孝

【読み】
きみがためおしからざりしいのちさへ
ながくもがなとおもひけるかな
【意味】
貴方に逢う為ならば惜しくないと思っていたこの命までもが、お逢いできた今となっては長くあって欲しいと思うようになりました。
【解説】
”君がため”:貴方に逢う為。
”長くもがな”:長く有って欲しい。

詞書に「女の許より帰りて遣はしける」とあり、意中の女性と逢った翌朝に贈る「後朝(きぬぎぬ)の歌」であることが分かります。
作者は藤原義孝(ふじわらのよしたか)。中古三十六歌仙の一人で、藤原伊尹(45番歌)の三男です。この和歌を詠んだ後、21歳の若さでこの世を去っています。

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