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百人一首の恋の歌一覧!恋愛が題材の和歌まとめ

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77番歌

瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
われても末に逢はむとぞ思ふ

崇徳院

【読み】
せをはやみいわにせかるるたきがはの
われてもすゑにあはむとぞおもふ
【意味】
川瀬の流れが早いので、岩にせき止められた急流が二つにわかれてもまた一つになるように、貴方と別れてもいつかはきっと逢おうと思う。
【解説】
”瀬をはやみ”:川瀬の流れが早い為に。「瀬」は川の流れが浅くて早いところ。
”せかるる”:堰きとめられる。
”滝川”:滝のように流れる川。
”われても”:わかれても。「別れて」と「分かれて」の二つの意味が掛かっている。

作者である崇徳院(すとくいん)自身が編纂を命じた久安百首の為に作られた歌です。
五歳で即位するも、父である鳥羽天皇と不仲だった為その後退位させられます。
保元の乱に破れ、讃岐国に流されました。詞花集の勅撰下命者でもあります。

80番歌

ながからむ心も知らず黒髪の
乱れてけさはものをこそ思へ

待賢門院堀河

【読み】
ながからむこころもしらずくろかみの
みだれてけさはものをこそおもへ
【意味】
貴方の愛情が長続きするかどうかわかりませんが、寝乱れたこの黒髪のように心も乱れている今朝は、物思いに沈んでおります。
【解説】
”長からむ心も知らず”:長く変わらない心か知らないけれど。
”黒髪の”:黒髪のごとく。
”乱れて”:心が乱れて。
”けさは”:恋人と共に過ごした翌朝。

崇徳院主催の「久安百首」で後朝の歌への返歌という趣向で詠まれた歌です。
作者は待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)。平安後期の歌人で、女房三十六歌仙・中古六歌仙の一人です。

82番歌

思ひわびさても命はあるものを
憂きに堪へぬは涙なりけり

道因法師

【読み】
おもひわびさてもいのちはあるものを
うきにたへぬはなみだなりけり
【意味】
つれない人を思い、悩み悲しんでもやはり命は長らえているのに、つらさに耐えきれずに流れ落ちるのは涙であった。
【解説】
”思ひわび”:思い嘆いて、気力を失った状態をいう。
”さても”:それでも。
”あるものを”:あるのに。
”涙なりけり”:涙であるよ。

作者は道因法師。藤原敦頼(ふじわらのあつより)として知られる、平安後期の歌人です。

85番歌

夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ
ねやのひまさへつれなかりけり

俊恵法師

【読み】
よもすがらものおもふころはあけやらぬ
ねやのひまさへつれなかりけり
【意味】
一晩中つれない人を思って物思いをしているこの頃は、なかなか世が明けずに寝室の隙間までも無情に感じられる。
【解説】
”夜もすがら”:夜通し。
”物思ふころは”:物思いをしているこの頃は。
”明けやらで”:明けないで。
”ねや”:寝室。
”ひま”:隙間。
”さへ”:までが。

作者の自邸「歌林苑」で開かれた歌合で恋を題に詠まれた歌です。
作者が女性の立場に立って詠んだ歌で、恋人のことで夜通し思い悩み、いっそのこと夜が明けて隙間から夜明けの光が差し込んで欲しいと詠んでいます。
作者は俊恵法師(しゅんえほうし)。平安末期の歌人・僧です。源俊頼(74番歌)の子で、源経信(71番歌)の孫にあたります。

86番歌

嘆けとて月やはものを思はする
かこちがほなるわが涙かな

西行法師

【読み】
なげけとてつきやはものをおもはする
かこちがほなるわがなみだかな
【意味】
嘆けといって月は私に物思いをさせるのであろうか。そんな訳もないのに、かこつげがましくこぼれる私の涙よ。
【解説】
”月やは物を思はする”:月が物を思わせるのか。いやそうではない。「やは」は反語。
”かこちがほ”:かこつけがましい様子。

千載集の詞書に「月前恋といへる心をよめる」とある歌で、月の前の恋を題に詠まれました。
作者は平安末期を代表する天才歌人、西行法師(さいぎょうほうし)。俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)です。
23歳で出家。西行上人集や山家集などの歌集を残しています。

88番歌

難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ
身を尽くしてや恋ひわたるべき

皇嘉門院別当

【読み】
なにはえのあしのかりねのひとよゆゑ
みをつくしてやこひわたるべき
【意味】
難波の入江に生えている蘆の刈根の一節のように、一夜の契りのためにわが身をつくして、これからずっと貴方を恋い続けなければならないのでしょうか。
【解説】
”難波江”:難波の入江。
”かりね”:刈根と仮寝をかけている。
”ひとよゆゑ”:一節(ひとよ)と一夜をかけている。
”みをつくしてや”:「澪標」と「身を尽くし」をかけている。
”恋ひわかるべき”:恋いつづけなければならないのでしょうか。

九条兼実主催の歌合において「旅宿に逢う恋」という題で詠まれた歌です。
当時の貴族の女性は旅をせず、外出しても従者を引き連れていたので旅先での恋という歌は難題でした。
作者は皇嘉門院別当(こうかもんいんのべっとう)。平安末期の女流歌人です。

89番歌

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする

式子内親王

【読み】
たまのをよたえなばたえねながらへば
しのぶることのよはりもぞする
【意味】
私の命よ、絶えるならばいっそ絶えてしまってくれ。このまま生き長らえていると、耐え忍ぶ力が弱って人に知られてしまうから。
【解説】
”玉の緒”:命。
”絶えね”:絶えてしまえ。
”忍ぶること”:耐え忍ぶこと。
”弱りもぞする”:弱りもする。

「忍ぶる恋」を題に詠まれた歌です。
作者は式子内親王(しょくしないしんのう)。平安末期の皇女で、新三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人です。
10代を賀茂斎院として過ごし、退下後も生涯独身で過ごしました。

90番歌

見せばやな雄島の海人の袖だにも
濡れにぞ濡れし色は変はらず

殷富門院大輔

【読み】
みせばやなをじまのあまのそでだにも
ぬれにぞぬれしいろはかはらず
【意味】
貴方にお見せしたいものですね、この血の涙のために色の変わった私の袖を。あの雄島の漁夫の袖でさえ、ひどくぬれはしましたが色は変わりませんでした。
【解説】
”見せばやな”:見せたいものですね。
”雄島のあま”:雄島の漁夫。
”袖だにも”:袖でさえも。
”ぬれにぞぬれし”:ぬれにぬれた。
”色は変はらず”:漁師の袖の色は変わらないという意。私の袖の色は血の涙のせいで赤く変わってしまったという意味も込める。

源重之の「松島や雄島の磯にあさりせし あまの袖こそかくはぬれしか」を本歌とした歌です。
作者は殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)。平安末期の歌人で、女房三十六歌仙の一人です。

92番歌

わが袖は潮干に見えぬ沖の石の
人こそ知らねかわく間もなし

二条院讃岐

【読み】
わがそではしほひにみえぬおきのいしの
ひとこそしらねかわくまもなし
【意味】
私の袖は引き潮の時にも見えない沖の石のように、人は知らないけれどもいつも涙にぬれて、乾くひまもないのでございます。
【解説】
”潮干”:引き潮の状態をいう。
”沖の石の”:沖の石のごとく。
”人こそ知らね”:人は知らないが。

「石に寄する恋」という題で詠まれた歌です。
和泉式部の「わが袖は水の下なる石なれや 人に知られでかわく間もなし」を本歌取りしています。
作者は二条院讃岐(にじょういんのさぬき)。平安末期から鎌倉前期にかけての歌人で、女房三十六歌仙の一人です。

97番歌

来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くや藻塩の身もこがれつつ

権中納言定家

【読み】
こぬひとをまつほのうらのゆふなぎに
やくやもしほのみもこがれつつ
【意味】
来ない人を待つ、その松帆の浦の夕なぎの時に焼く藻塩のように、わが身は恋心に焦がれている。
【解説】
”まつほの浦”:淡路島の北端、明石海峡を隔てて明石と対する場所。
”夕なぎ”:夕凪。夕方、海の風も波もなくなること。
”藻塩”:海藻に海水をかけて、その海藻を焼いて水に溶かし、上澄みを煮詰めて作った塩のこと。

この歌は健保四年(一二一六年)に行われた「内裏歌合」で詠まれました。
作者は権中納言定家。藤原定家(ふじわらのさだいえ/ていか)として知られる鎌倉時代初期の歌人・公家で、小倉百人一首の撰者です。
藤原俊成(83番歌)の子です。56年間書き続けた日記「明月記」も有名です。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は百人一首の中でも、恋愛を題材にした和歌一覧をまとめてご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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