百人一首全首一覧と意味、解説。小倉百人一首人気和歌ランキングベスト20も!

50番歌

君がため惜しからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな

藤原義孝

【読み】
きみがためおしからざりしいのちさへ
ながくもがなとおもひけるかな
【意味】
貴方に逢う為ならば惜しくないと思っていたこの命までもが、お逢いできた今となっては長くあって欲しいと思うようになりました。
【解説】
”君がため”:貴方に逢う為。
”長くもがな”:長く有って欲しい。

詞書に「女の許より帰りて遣はしける」とあり、意中の女性と逢った翌朝に贈る「後朝(きぬぎぬ)の歌」であることが分かります。
作者は藤原義孝(ふじわらのよしたか)。中古三十六歌仙の一人で、藤原伊尹(45番歌)の三男です。この和歌を詠んだ後、21歳の若さでこの世を去っています。

51番歌

かくとだにえやは伊吹のさしも草
さしも知らじな燃ゆる思ひを

藤原実方朝臣

【読み】
かくとだにえやはいぶきのさしもぐさ
さしもしらじなもゆるおもひを
【意味】
こんなにも貴方を思っていることを、口に出して言うことができるでしょうか。ましてや伊吹山のさしも草のように燃える様な思いを、貴方はご存じないでしょう。
【解説】
”かくとだに”:こんなであるとだけでも。
”えやはいぶきの”:「えやはいふ」の「言うことができようか」というものと伊吹山の「いふ」を掛けている。
”いぶきの”:伊吹山の。
”さしも草”:艾(もぐさ)のこと。「さし」は接頭語。
”さしも”:そうとも。
”知らじな”:知るまいな。
”もゆる思ひを”:燃える程の思いを。「もゆる」はさしも草の縁語。「ひ」には火を掛けている。

後拾遺集には「女にて始て遣しける」という詞書があることから、初恋の歌であることがわかります。
作者は藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)。平安中期の歌人・貴族で、中古三十六歌仙の一人です。藤原忠平(26番歌)のひ孫にあたります。清少納言の恋人だったともいわれています。

52番歌

明けぬれば暮るるものとは知りながら
なほ恨めしき朝ぼらけかな

藤原道信朝臣

【読み】
あけぬればくるるものとはしりながら
なほうらめしきあさぼらけかな
【意味】
夜が明けたらいずれ日は暮れる、そしてまた逢う事が出来るとはわかっていますが、貴方と別れなければならない夜明けは恨めしい。
【解説】
”朝ぼらけ”:夜がほんのり明けはじめた頃。

後拾遣集の詞書に「女のもとより雪ふり侍りける日かへりてつかはしける」とある歌。
雪の降る朝に女性と別れて帰った後に送った後朝(あとぎぬ)の歌です。
作者は藤原道信朝臣。平安中期の歌人、公家で中古三十六歌仙の一人です。23歳の若さで亡くなりました。

53番歌

嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は
いかに久しきものとかは知る

右大将道綱母

【読み】
なげきつつひとりぬるよのあくるまは
いかにひさしきものとかはしる
【意味】
貴方が居ないのを嘆きながら一人で寝る、夜が明けるまでの時間がどれほど長いものか、貴方はおわかりにならないでしょう。
【解説】
”嘆きつつ”:貴方がおいでにならないのを嘆きながら。
”ぬる”:寝る。
”明くるまは”:夜の明けるまでの間は。
”かは知る”:ご存じですか。

平安時代は男性が女性のもとを訪ねる通い婚が主流。
一夫多妻制でもあったので、結婚したとはいえ毎晩夫に逢えるというわけではなかったのです。

作者は右大将道綱母。藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)として知られる、平安中期の歌人です。蜻蛉日記の作者でもあります。摂政関白となる藤原兼家と結婚し、道綱をもうけています。

54番歌

忘れじのゆく末まではかたければ
今日を限りの命ともがな

儀同三司母

【読み】
わすれじのゆくすゑまではかたければ
けふをかぎりのいのちともがな
【意味】
貴方は「決して忘れまい」とおっしゃいますが、いつまでも心変わりしないなどありえないでしょうから、お逢いできた今日を最後とする私の命であって欲しいのです。
【解説】
”忘れじ”:忘れまい。
”ゆく末”:将来。
”かたければ”:困難であるから。
”けふを限りの”:今日限りで。今日を最後の。
”命ともがな”:命となればよい。

新古今集の詞書に「中関白かよひそめ侍りけるころ」とある歌です。
当時関白だった藤原道隆が作者のもとに通い始めた時に詠まれた歌です。
作者は儀同三司母。高階貴子(たかしなのきし/たかこ)として知られる平安時代の女流歌人で、女房三十六歌仙の一人です。

55番歌

滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ

大納言公任

【読み】
たきのおとはたえてひさしくなりぬれど
なこそながれてなほきこえけれ
【意味】
滝の音は聞こえなくなってから長い年月が経ってしまったけれど、その名声は今でも世間に流れ伝わり聞こえてくる。
【解説】
”滝”:嵯峨の大覚寺にあったと言われる滝。嵯峨天皇が作ったと伝えられる。
”たえて”:絶えてから。水がなくなり、滝がなくなった。
”名こそ流れて”:評判が世間に流れ伝わって。「流れ」は滝の縁語。
”聞こえけれ”:聞こえている。

作者は大納言公任。藤原公任(ふじわらのきんとう)として知られる、平安中期の歌人・公卿です。藤原定頼(64番歌)の父でもあります。

56番歌

あらざらむこの世のほかの思ひ出に
いまひとたびの逢ふこともがな

和泉式部

【読み】
あらざらむこのよのほかのおもひでに
いまひとたびのあふこともがな
【意味】
私はまもなく死んでしまうでしょうが、あの世への思い出として、せめてもう一度貴方にお逢いしとうございます。
【解説】
”あらざらむ”:死んでしまうであろう。
”この世のほか”:あの世。
”いまひとたびの”:もう一度。
”あふこともがな”:逢いたいものです。

後拾遣集の詞書に「ここち例ならず侍りけること、人のもとにつかはしける」とある歌。
病の床で、死ぬ前にもう一度愛する人に逢いたいという強い思いが込められた歌です。
作者は和泉式部(いずみしきぶ)。平安中期の女流歌人で、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人です。小式部内侍(60番歌)の母でもあります。

57番歌

めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月影

紫式部

【読み】
めぐりあひてみしやそれともわかぬまに
くもがくれにしよはのつきかげ
【意味】
久しぶりにめぐり逢い、見定めのつかないうちに雲間に隠れてしまった夜半の月のように、貴方はあわただしく姿を隠してしまい残念です。
【解説】
”めぐり逢ひて”:めぐり逢って。「月」は「めぐり」の縁語。
”見しやそれとも”:見たのがそれかとも。
”分かぬ”:別かぬ。

新古今集の詞書に「はやくより童友達に侍りける人の、年ごろ経てゆきあひたる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきほひて帰り侍りければ」とある歌。
作者が幼なじみの友人との束の間の再会の名残惜しさを詠んだ歌です。
作者は紫式部(むらさきしきぶ)。平安中期の女流歌人、作家で中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人です。源氏物語の作者としても知られています。大弐三位(57番歌)の母でもあります。

58番歌

有馬山猪名の篠原風吹けば
いでそよ人を忘れやはする

大弐三位

【読み】
ありまやまゐなのささはらかぜふけば
いでそよひとをわすれやはする
【意味】
有馬山に近い猪名の篠原に風が吹きおろすとそよそよと音を立ててゆらぎます。さあ、そのことですよ、私はあなたのことをどうして忘れましょうか。決して忘れません。
【解説】
”有馬山”:現在の神戸市兵庫区有馬町付近。
”猪名”:有馬山の近くの地名。
”いでそよ”:さあそれですよ。
”人を”:貴方を。
”忘れやはする”:忘れようか。忘れはしない。

作者は大弐三位(だいにのさんみ)。平安中期の女流歌人で、女房三十六歌仙の一人です。源氏物語の作者である紫式部(57番歌)の娘です。

59番歌

やすらはで寝なましものをさ夜更けて
かたぶくまでの月を見しかな

赤染衛門

【読み】
やすらはでねなましものをさよふけて
かたぶくまでのつきをみしかな
【意味】
ためらわずに寝てしまえばよかったのに貴方をお待ちして、夜明けが来て沈むまで月を見ておりました。
【解説】
”やすらはで”:躊躇せずに。ためらわずに。
”寝なましものを”:寝てしまえばよかったのに。
”さ夜”:夜に同じ。「さ」は接頭語。
”かたぶく”:かたむくの古形。

後に関白になる藤原道隆が作者の姉妹のもとに逢いに来ると約束していたのに来なかった為、作者が姉妹の気持ちになって詠んだ歌です。
作者は赤染衛門(あかぞめえもん)。平安中期の女流歌人で、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人です。

60番歌

大江山いく野の道の遠ければ
まだふみも見ず天の橋立

小式部内侍

【読み】
おほえやまいくののみちのとほければ
まだふみもみずあまのはしだて
【意味】
大江山や生野を超えて丹後へゆく道のりは遠いので、まだ天橋立の地を踏んだことはございませんし、丹後の母からの文もまだ届いておりません。
【解説】
”大江山”:山城国と丹波国の間にある山。
”いく野”:丹波国天田郡にある。「行く」という意味も掛かっている。
”まだふみも見ず”:天橋立の地へまだ訪れていないという意味と、手紙がまだ届いていないという二つの意味が掛かっている。
”天橋立”:丹後国にあり、日本三景の一つとしても有名。

和泉式部を母に持つ作者が、歌合で藤原定頼に「丹後にいる母上に人をやって代作を頼みましたか。手紙を持った使者はまだ帰ってきませんか」とからかわれた時に即興で詠んだ歌です。
この秀歌によって自身の才能を証明しました。
作者は小式部内侍(こしきぶのないし)。平安時代の女流歌人で、女房三十六歌仙の一人です。

61番歌

いにしへの奈良の都の八重桜
けふ九重に匂ひぬるかな

伊勢大輔

【読み】
いにしへのならのみやこのやへざくら
けふここのへににほひぬるかな
【意味】
昔栄えた奈良の都の八重桜が、今日はこの九重の宮中で色美しく咲き誇っております。
【解説】
”いにしへの”:昔の。昔栄えた。
”奈良の都”:かつて奈良に都が置かれていたことから。
”けふ”:「いにしへ」と対になっている。
”九重”:皇居のこと。
”にほひ”:「にほふ」は香りについてと、色について二通りの解釈があるが、ここでは色美しく咲いている意。

詞花集春の詞書に「一条院の御時、ならの八重桜を人の奉りけるを、其の折御前に侍りければ、その花を題にてよめとおほせごとありければ」とある歌。
つまり、奈良の興福寺から献上された八重桜を受け取るという大役を任された作者が即興で詠んだ歌で、この見事な歌によって作者は紀内侍、小式部内侍とともに三才女の一人とされるようになりました。
作者は伊勢大輔(いせのたいふ/いせのおおすけ)。平安中期の女流歌人で、中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人です。大中臣能宣(49番歌)の孫にあたります。

62番歌

夜をこめて鳥のそら音ははかるとも
よに逢坂の関は許さじ

清少納言

【読み】
よをこめてとりのそらねははかるとも
よにあふさかのせきはゆるさじ
【意味】
夜の明けぬうちに、鳥の鳴き声を真似て関守を騙して通ろうとしたとて、函谷官の関守ならいざしらず、私との逢坂の関を通る事は許しませんよ。
【解説】
”夜をこめて”:夜のあけないうちに。
”鳥のそらね”:鳥の鳴きまね。中国の孟嘗君が、鳥の鳴きまねが得意な食客の働きにより夜が明けないと人を通さない函谷関を通った故事による。
”よに”:けっして。下に打消の語を伴う。
”逢坂の関”:近江国と山城国との境にある逢坂山にあった関。男女の逢瀬に掛けられている。

作者が藤原行成と夜更けまで話した翌朝、行成が後朝めかして「昨夜はあなたとの逢坂の関で」と言ってきたので詠んだ歌です。
中国の故事を短い言葉に現している作者の博学さが伺える、男友達との戯れの歌です。
作者は清少納言(せいしょうなごん)。平安時代の女流作家・歌人で、枕草子の作者としても有名です。清原元輔(42番歌)の娘で、清原深養父(36番歌)のひ孫にあたります。

63番歌

今はただ思ひ絶えなむとばかりを
人づてならでいふよしもがな

左京大夫道雅

【読み】
いまはただおもひたえなむとばかりを
ひとづてならでいふよしもがな
【意味】
今となっては、ただもう諦めますという一言だけを、せめて人づてではなく、直接逢って言うすべがあって欲しいのです。
【解説】
”今は”:すべての望みが絶たれたいまとなっては。
”思ひ絶えなむ”:断念しよう。
”人づてならで”:人の伝言ではなく。直接。
”よし”:方法。
”もがな”:あってほしい。希望の助詞。

作者が三条院の皇女である当子内親王と恋に落ちて三条院の怒りに触れ、その後一切逢うことが出来なくなった悲痛な思いを詠んだ歌です。
作者は左京大夫道雅。藤原道雅(ふじわらのみちまさ)として知られる平安中期の歌人、公家です。

64番歌

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに
あらはれわたる瀬々の網代木

権中納言定頼

【読み】
あさぼらけうぢのかはぎりたえだえに
あらはれわたるせぜのあじろぎ
【意味】
夜が明けてくるころ、宇治川の川霧もところどころ途切れて、その間から瀬々に掛けられた網代木がだんだん現れてまいりました。
【解説】
”朝ぼらけ”:夜あけがた。
”宇治の川霧”:宇治川に立ち込める朝霧。
”たえだえに”:とぎれとぎれに。
”あらはれわたる”:一方からしだいに現れること。
”瀬々”:いくつもの浅瀬。
”網代木”:網代の杭木。杭を立てて木や竹を編みこんだものを渡して魚を獲る仕掛け。

作者は権中納言定頼。藤原定頼(ふじわらのさだより)として知られる平安中期の歌人・公家で、中古三十六歌仙の一人です。大納言公任(55番歌)の子です。

65番歌

恨みわび干さぬ袖だにあるものを
恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ

相模

【読み】
うらみわびほさぬそでだにあるものを
こひにくちなむなこそをしけれ
【意味】
つれない人を恨み嘆いて、涙にぬれて乾くひまもなく袖が朽ちてしまいそうなのに、この恋のために浮き名が立って私の名が朽ちてしまうのも残念でなりません。
【解説】
”恨みわび”:さんざん恨んで、もう気力もない程。
”ほさぬ袖だに”:涙を乾かしきれぬ袖さえあるのに。
”あるものを”:あるのに。
”名こそ惜しけれ”:名が惜しい。

作者は相模(さがみ)。平安後期の女流歌人で、中古三十六歌仙・房三十六歌仙の一人です。
恋多き女性で、藤原定頼(64番歌)の恋人でもありました。

66番歌

もろともにあはれと思え山桜
花よりほかに知る人もなし

大僧正行尊

【読み】
もろともにあはれとおもへやまざくら
はなよりほかにしるひともなし
【意味】
私が思うように、お前も私のことをしみじみとなつかしく思ってくれ、山桜よ。このような山奥では、桜の花より他に知る人も居ないのだ。
【解説】
”もろともに”:どちらもともに。
”あはれ”:色々な意味があるがここでは、しみじみとなつかしく思うこと。

金葉集の詞書に「大峰にて思ひがけず桜の花を見て詠める」とある歌。
修行に励んでいた作者が吉野郡にある大峰山で思いがけず山桜に出逢った時に詠んだ歌です。
作者は大僧正行尊(だいそうじょうぎょうそん)。平安後期の歌人で、天台宗の僧侶です。三条天皇(68番歌)の曾孫にあたります。

67番歌

春の夜の夢ばかりなる手枕に
かひなく立たむ名こそをしけれ

周防内侍

【読み】
はるのよのゆめばかりなるたまくらに
かひなくたたむなこそをしけれ
【意味】
春の夜の儚い夢のような戯れの手枕をして頂いた為に、つまらなく立つ浮き名が口惜しく思われます。
【解説】
”春の夜の”:季節が春であったのと、短い夜の意とを兼ねている。
”夢ばかりなる”:夢のような。
”手枕に”:手枕のために。
”かひなく”:なんのかいもなく。腕(かひな)とも掛けている。
”名”:浮き名。
”惜しけれ”:惜しい。

千載集の詞書は「二月ばかりの月のあかき夜、二条院にて、人々あまた居明して物語などし侍りけるに、内侍周防寄り臥して、枕もがなとしのびやかにいふを聞きて、大納言忠家、これを枕にとてかひなれば、よみ侍りける」。
陰暦二月の春の夜、二条院で女房たちが夜通し語り合っていた時に作者が「枕があればなぁ」とつぶやいた時に藤原忠家が「これを枕にどうぞ」と差し出してきた時に切り返した歌です。
作者は周防内侍(すおうのないし)。平仲子(たいらのちゅうし)として知られる平安後期の歌人で、女房三十六歌仙の一人です。

68番歌

心にもあらで憂き世に長らへば
恋しかるべき夜半の月かな

三条院

【読み】
こころにもあらでうきよにながらへば
こひしかるべきよはのつきかな
【意味】
私の気持ちに反してつらいこの世に生きながらえるのであるならば、今宵の月はきっと恋しく思い出されるに違いない。
【解説】
”心にあらで”:自分の本心とは違って。
”憂き世”:つらいことの多い世。
”恋しかるべき”:きっと恋しいに違いない。

後拾遣集の詞書に「例ならずおはしまして、位など去らむとおぼしめしけるころ、月のあかかりけるを御覧じて」とある歌。
病気により皇位を去ることが決まり、宮中で月を見て詠じた歌です。
作者は三条院。第六十七代天皇で、冷泉天皇の第二皇子です。
この歌を詠んだ一ヶ月後に譲位し、翌年失意のまま崩御しました。

69番歌

嵐吹く三室の山のもみぢ葉は
竜田の川の錦なりけり

能因法師

【読み】
あらしふくみむろのやまのもみぢばは
たつたのかはのにしきなりけり
【意味】
烈しい嵐が吹き散らした三室山の紅葉は、やがて竜田川に流れ入って川面は錦のように美しいことよ。
【解説】
”三室の山”:大和国生駒郡の神南山のこと。
”竜田の川”:三室山を流れる川。

後冷泉天皇主催の「永承四年内裏歌合」で紅葉を題に詠まれた歌です。
古今集の「竜田川もみぢ葉流る神なびの 三室の山にしぐれ降るらし」という詠み人知らずの歌を踏まえています。
作者は能因法師(のういんほうし)。俗名は橘永愷(たちばなのながやす)です。平安中期の歌人・僧侶で、中古三十六歌仙の一人です。歌枕に関心を持ち、諸国を行脚して「能因歌枕」を著しました。

70番歌

寂しさに宿を立ち出でてながむれば
いづくも同じ秋の夕暮

良暹法師

【読み】
さびしさにやどをたちいでてながむれば
いづくもおなじあきのゆふぐれ
【意味】
あまりの寂しさに耐えかねて庵を出てあたりを見渡すと、どこも同じように寂しい、秋の夕暮れである。
【解説】
”さびしさに”:さびしさの為に。
”宿”:庵。家のこと。
”立ち出でて”:出て。

修行を終え、人里離れた草庵に一人で暮らしていた作者が詠んだ歌です。
作者は良暹法師(りょうぜんほうし)。平安中期の歌人・僧です。

71番歌

夕されば門田の稲葉おとづれて
蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く

大納言経信

【読み】
ゆふさればかどたのいなばおとづれて
あしのまろやにあきかぜぞふく
【意味】
夕方になると門前の田の稲葉をそよそよと音をさせて、蘆葺きの田舎家に秋風が吹いてくる。
【解説】
”夕されば”:夕方になると。
”門田”:門前の田。
”おとづれて”:音をさせてたずねてくること。
”蘆のまろや”:茅葺きの家。

作者の血縁である源師賢の山荘で詠まれた歌です。
作者は大納言経信。源経信(みなもとのつねのぶ)として知られる、平安後期の歌人・公家です。源俊頼(74番歌)の父、俊恵法師(85番歌)の祖父にあたります。

72番歌

音に聞く高師の浜のあだ波は
かけじや袖のぬれもこそすれ

祐子内親王家紀伊

【読み】
おとにきくたかしのはまのあだなみは
かけじやそでのぬれもこそすれ
【意味】
噂に名高い高師の浜の、いたずらに立つ浪のように浮気者で有名なあなたのお言葉は心にかけますまい。うっかり心にかけては、涙で袖を濡らすことにもなりましょうか。
【解説】
”音にきく”:噂に高い。
”高師の浜”:現在の堺市浜寺の海浜。「音にたかし」と掛けている。
”あだ浪”:いたずらによせる波。
”かけじや”:かけまいよ。波と浮気な男性の心を共に受ける。
”ぬれもこそすれ”:ぬれもしよう。

堀河院主催の「艶書合(けそうぶみあわせ)」で詠まれた歌で、藤原俊忠の「人知れぬ思ひありその浦風に波のよるこそいはまほしけれ」という歌への返歌です。
言い寄られ、表向きは高師の浦の風景を詠みながら、裏に男の誘いを拒絶する意味を込めた歌です。
作者は祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)。平安時代の女流歌人で、女房三十六歌仙の一人です。

【艶書合】
男性が女性への恋歌を詠み、女性がそれに返すという形式の歌合のこと。

73番歌

高砂の尾の上の桜咲きにけり
外山のかすみ立たずもあらなむ

前権中納言匡房

【読み】
たかさごのをのへのさくらさきにけり
とやまのかすみたたずもあらなむ
【意味】
遥か遠くの高い山の峰の桜が咲いたなあ。里に近い山の霞はどうか立たないで欲しい。
【解説】
”高砂”:ここでは山を指す。
”尾上”:山の頂。
”さきにけり”:咲いたなあ。
”外山”:里に近い山。
”あらなむ”:あってほしい。

後拾遣集の詞書に「内大臣の家にて人々酒たうべて歌よみ侍りけるに、遥かに山桜を望むといふ心をよめる」とある歌。
内大臣の藤原師通の邸で開かれた宴席で「遥かに山桜を望む」という題で詠まれました。
作者は前権中納言匡房。大江匡房(おおえのまさふさ)として知られる、平安後期の歌人・公卿・儒学者です。幼少から学問に優れ、神童と呼ばれていました。

74番歌

憂かりける人を初瀬の山おろしよ
激しかれとは祈らぬものを

源俊頼朝臣

【読み】
うかりけるひとをはつせのやまおろしよ
はげしかれとはいのらぬものを
【意味】
つれなかった人を、私になびかせてくださいと初瀬の観音に祈ったけれど、初瀬の山おろしよ、あの人のつれなさがお前のように激しくなるようにとは祈らなかったのに。
【解説】
”憂かりける”:私につれなかった。
”人を”:恋人を。
”初瀬”:現在の奈良県磯城郡初瀬。ここには有名な長谷寺があり、恋のご利益がある。
”山おろし”:山から吹きおろす激しい風。
”激しかれ”:はげしくあれの意。山おろしと恋人の態度に掛けている。
”祈らぬものを”:祈らないのに。

千載集の詞書に「権中納言俊忠の家に、恋十首の歌よみ侍りける時、祈れども逢はざる恋といへる心を」とある歌。
藤原俊忠の邸で「祈れども逢はざる恋」という題で詠まれました。
作者は源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)。平安後期の歌人・官人です。大納言経信(71番歌)の三男で、俊恵法師(85番歌)の父です。金葉集の撰者にもなっています。

75番歌

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