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百人一首全首一覧と意味、解説。小倉百人一首人気和歌ランキングベスト20も!

小倉百人一首
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25番歌

名にし負はば逢坂山のさねかづら
人に知られで来るよしもがな

三条右大臣

【読み】
なにしおはばあふさかやまのさねかづら
ひとにしられでくるよしもがな
【意味】
逢坂山のさねかずらが、逢って寝るという名を持っているならば、それは手繰れば来るように、人に知られないで貴方と遭う方法があれば良いのに。
【解説】
”名にし負はば”:名を持っているならば。
”逢坂山”:現在の京都と滋賀の境にある山。
”さねかづら”:モクレン科の常緑の蔓状をなす低木。
”しられで”:知られないで。
”来る”:かづらの縁語「繰る」と掛けている。

恋人にさねかずらを贈る際に添えた歌です。
作者は三条右大臣で、藤原定方(ふじわらのさだかた)として知られます。
平安時代の歌人・貴族で、藤原朝忠(44番歌)の父です。

26番歌

小倉山峰の紅葉葉心あらば
いまひとたびのみゆき待たなむ

貞信公

【読み】
をぐらやまみねのもみぢばこころあらば
いまひとたびのみゆきまたなむ
【意味】
小倉山の峰のもみぢ葉よ、お前に心があるのなら、もう一度行幸があるからそれまで散らずに待っていて欲しい。
【解説】
”小倉山”:京都市の嵯峨にある山で、紅葉の名所として知られる。
”みゆき”:天皇の行幸のこと。

拾遣集雑秋に「亭子院の大井川に御幸ありて、行幸もありぬべき所なりと仰せ給ふに、このよし奏せむと申して」と詞書のある歌。
宇多上皇が大井川に御幸した際にその景色に感動し、「我が子(醍醐天皇)にも見せたいものだ」と仰せられたのを作者が耳にして作られた歌です。
作者は貞信公(ていしんこう)。藤原忠平(ふじわらのただひら)として知られます。

27番歌

みかの原わきて流るるいづみ川
いつ見きとてか恋しかるらむ

中納言兼輔

【読み】
みかのはらわきてなかがるるいづみがは
いつみきとてかこひしかるらむ
【意味】
みかの原を分けて湧き出てくる泉川の「いつみ」ではないが、いったいいつ見たというので、このように貴方が恋しいのだろうか。
【解説】
”みかの原”:現在の京都府相楽郡にあり、かつて恭仁京(くにのみやこ)があった。
”わきて”:「分きて」と「湧きて」を掛けている。
”いづみ川”:今の木津川。

わずかに遭った事のある人、もしくは遭ったことのない人を想って詠んだ歌と2通りの解釈がある歌です。
作者は中納言兼輔。藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)として知られる平安中期の歌人、公家で三十六歌仙の一人です。藤原定方(25番歌)の従兄弟で、紫式部(57番歌)の曾祖父にあたります。

28番歌

山里は冬ぞ寂しさまさりける
人目も草もかれぬと思へば

源宗于朝臣

【読み】
やまざとはふゆぞさびしさまさりける
ひとめもくさもかれぬとおもへば
【意味】
山里は、冬の寂しさがまさって感じられる。人も来なくなり、草も枯れてしまうことを思うと。
【解説】
”山里は”:「は」は他との区別を示す助詞で、都とちがって山里はという意味。
”人目”:人の訪れ、出入り。
”かれぬ”:人目が離(か)れる、草が枯れるの二つの意味を兼ねている。

藤原興風が詠んだ「秋来れば虫とともにぞなかれぬる 人も草葉もかれぬと思へば」の一部を引用した本歌取りの手法が用いられています。
作者は源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)。平安時代前期から中期の歌人・貴族で三十六歌仙の一人です。光孝天皇(15番歌)の孫にあたります。

29番歌

心あてに折らばや折らむ初霜の
置きまどはせる白菊の花

凡河内躬恒

【読み】
こころあてにおらばやおらむはつしもの
おきまどはせるしらぎくのはな
【意味】
あてずっぽうに、折るなら折ってみようか。初霜があたり一面に置いて、見分けがつかなくなっている白菊の花を。
【解説】
”心あてに”:あて推量に。
”折らば”:もし折るならば折ってみようか。
”置きまどはせる”:置いてわからなくした。

白い菊の花が、真っ白な初霜で見分けがつかなくなっている様を詠んだ歌です。
作者は凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)。平安前期の歌人、官人で、三十六歌仙の一人です。

30番歌

有明のつれなく見えし別れより
暁ばかり憂きものはなし

壬生忠岑

【読み】
ありあけのつれなくみえしわかれより
あかつきばかりうきものはなし
【意味】
有明の月が無情に見えたあの別れの時から、暁ほどつらく切ないものはありません。
【解説】
”有明の”:有明の月のこと。夜明けの空に残る月。
”つれなく”:無情に。
”暁”:夜明けの時。
”ばかり”:程度を示す副助詞。〜ぐらい。〜ほど。
”憂き”:つらい。

一夜を共に過ごした後、男性は暗いうちに家を去ります。
暁の頃というのは、別れの時だったのです。
藤原定家はこの歌を「これほどの歌をよんだならば、この世の想い出にもなるであろう」と高く評価しました。
作者は壬生忠岑(みぶのただみね)。
平安前期の歌人で、三十六歌仙の一人です。壬生忠見(41番歌)の父でもあります。

31番歌

朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里に降れる白雪

坂上是則

【読み】
あさぼらけありあけのつきとみるまでに
よしののさとにふれるしらゆき
【意味】
夜がほんのり明け初めるころ、有明の月の光かと思われるほどに吉野の里に降る雪よ。
【解説】
”朝ぼらけ”:ほんのりと夜が明けるころ。
”有明の月”:夜明けに空に残る月。
”までに”:「まで」は程度をあらわす助詞。「ほどに」という意味。
”吉野の里”:現在の奈良県吉野郡。

作者は坂上是則(さかのうえのこれのり)。平安前期から中期にかけての歌人、貴族で三十六歌仙の一人です。蹴鞠(けまり)の名手でもありました。

32番歌

山川に風のかけたるしがらみは
流れもあへぬ紅葉なりけり

春道列樹

【読み】
やまがはにかぜのかけたるしがらみは
ながれもあへぬもみぢなりけり
【意味】
山中を流る川に風のかけたしがらみがありますが、それは流れようとしても流れることの出来ない紅葉でありました。
【解説】
”山川”:山の中の川。
”しがらみ”:「柵」と書き、川の流れをせき止める為に杭を打ち並べ、木の枝や竹を絡ませたものを言う。
”流れもあへぬ”:流れることもできない。

川の流れから外れ、吹き寄せられる紅葉を、人間がかけた「しがらみ」とみて詠んだ歌です。
作者は春道列樹(はるみちのつらき)。平安前期の歌人、官人です。

33番歌

ひさかたの光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ

紀友則

【読み】
ひさかたのひかりのどけきはるのひに
しづごころなくはなのちるらむ
【意味】
日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく桜の花は散るのだろうか。
【解説】
”ひさかたの”:天、空にかかる枕詞。
”光のどけき”:陽の光がやわらかでうららかな様。
”しづ心”:しずかな心。落ち着いた心。
”花の散るらむ”:花はどうして散るのだろうか。上に「春の日に」のように逆接の助詞があると疑問の意味になる。

作者は紀友則(きのとものり)。平安前期の歌人・官人で、三十六歌仙の一人です。紀貫之の従兄弟でもあります。古今集の撰者でしたが、完成前に没しています。

34番歌

誰をかも知る人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに

藤原興風

【読み】
たれをかもしるひとにせむたかさごの
まつもむかしのともならなくに
【意味】
年老いた私はいったい誰を友にすれば良いのだろうか。あの高砂の松も昔からの友ではないのだから。
【解説】
”誰をかも”:「か」は疑問で、「も」は詠嘆の助詞。
”知る人”:友人。
”高砂の松”:現在の兵庫県高砂市の老松を指している。長寿の象徴。
”友ならなくに”:友ではないのに。

年をとり、昔からの友もこの世を去ってしまって一人残った寂しさを詠んだ歌です。
作者は藤原興風(ふじわらのおきかぜ)。平安時代の歌人、官人で、三十六歌仙の一人です。琴の名手でもあったそうです。

35番歌

人はいさ心も知らずふるさとは
花ぞ昔の香に匂ひける

紀貫之

【読み】
ひとはいさこころもしらずふるさとは
はなぞむかしのかににほひける
【意味】
人の心はわかりませんが、昔なじみの里の梅の花の香りだけは変わっておりません。
【解説】
”人は”:宿の主人を指している。
”いさ”:さあどうであろうか。

古今和歌集の詞書に「初瀬に詣づる毎に宿りける人の家に、久しく宿らで、ほどへて後に至れりければ、かの家のあるじそこにたてりける梅の花を折りてよめる」とある歌。
宿の主人に「ずいぶんお見えになりませんでしたね」と皮肉を言われた時に答えた歌で、宿の主人との親しい間柄が伺えます。

作者は紀貫之(きのつらゆき)。平安前期の歌人、貴族で、三十六歌仙の一人。紀友則(33番歌)の従兄弟にあたります。
紀貫之は古今和歌集の中心的な撰者で、土佐日記の作者としても有名です。
古今和歌集の序文「仮名序」は、和歌を論じた日本最古の歌論として、後世にも大きな影響を与えました。

36番歌

夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを
雲のいづこに月宿るらむ

清原深養父

【読み】
なつのよはまだよひながらあけぬるを
くものいづこにつきやどるらむ
【意味】
夏の夜は短く、まだ宵と思っているうちに明けてしまったけれど、沈む暇もない月はあの雲のどこかに宿るのだろうか。
【解説】
”宵ながら”:宵のまま。宵だと思っているのに。
”明けぬるを”:明けてしまうのに。
”月宿るらむ”:月は宿るのだろうか。

作者は清原深養父(きよはらのふかやぶ)。平安中期の歌人、貴族で、三十六歌仙の一人です。清原元輔(42番歌)の祖父、清少納言(62番歌)の曾祖父にあたります。

37番歌

白露に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける

文屋朝康

【読み】
しらつゆにかぜのふきしくあきののは
つらぬきとめぬたまぞちりける
【意味】
白露に風がしきりに吹きつける秋の野は、まるで緒でつなぎとめていない玉が散り乱れているようだ。
【解説】
”白露”:露のこと。
”吹きしく”:しきりに吹くこと。
”つらぬきとめぬ”:緒を通してつなぎとめていない。
”玉”:真珠のこと。

作者は文屋朝康(ふんやのあさやす)。平安前期の歌人、官人です。文屋康秀(22番歌)の子にあたります。

38番歌

忘らるる身をば思はず誓ひてし
人の命の惜しくもあるかな

右近

【読み】
わすらるるみをばおもはずちかひてし
ひとのいのちのをしくもあるかな
【意味】
貴方に忘れられる私のつらさは何とも思いません。ただ、神に誓った貴方の命が神罰により失われてしまうのではないかと、惜しく思われてなりません。
【解説】
”忘らるる”:貴方に忘れられる。
”身をば思はず”:私の身のことは少しも考えません。
”ちかひてし”:誓った。
”人”:貴方。

不誠実な男への皮肉の歌か、捨てられてもなお相手を想う女性の歌か、二通りの解釈がある歌です。
作者は右近(うこん)。平安中期の女流歌人で、藤原敦忠、元良親王、藤原朝忠らとの恋愛遍歴が「大和物語」に描かれる程、恋多き女性でした。

39番歌

浅茅生の小野の篠原忍ぶれど
あまりてなどか人の恋しき

参議等

【読み】
あさぢふのをののしのはらしのぶれど
あまりてなどかひとのこひしき
【意味】
浅茅の生えた小野の篠原、その「しの」のように貴方への思いを忍びこらえているけれど、忍びきれない。どうしてこんなに恋しいのだろう。
【解説】
”浅茅生”:竹の低い茅萱が生えているところ。
”小野”:野のこと。
”篠原”:篠の生えている原。篠は短い竹。
”忍ぶれど”:我慢しているけれど。
”あまりて”:忍ぶにあまって。忍びきれずに。
”などか”:どうしてか。
”人”:貴方。

作者は参議等(さんぎひとし)。名は源等(みなもとのひとし)といいます。
平安前期から中期にかけての公家で、嵯峨天皇のひ孫にあたります。

40番歌

忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで

平兼盛

【読み】
しのぶれどいろにいでにけりわがこひは
ものやおもふとひとのとふまで
【意味】
忍びこらえていたけれど、とうとうその素振りに出てしまった。何か物思いをしているのですかと人が尋ねる程に。
【解説】
”色”:顔色。素振り。
”ものや思ふと”:「何か物思いをしているのですか」と。

包み隠している恋心が、ついつい表に出てしまった様子を詠んだ歌です。
作者は平兼盛(たいらのかねもり)。平安中期の歌人、貴族で、三十六歌仙の一人です。

【天徳四年内裏歌合】
この40番歌「忍ぶれど」と、次の41番歌「恋すてふ」は、天徳四年三月三十日に村上天皇が主催した歌合、二十番勝負の最後に優劣が競われた歌です。
どちらも優れた歌だった為、判者の藤原実頼も迷いました。
大納言の源高明に意見を聞くと、「お任せします」と返されます。
そして天皇の顔をうかがい見た所、「忍ぶれど」の歌を口ずさんだ為、最終的に「忍ぶれど」の歌を勝利としました。

41番歌

恋すてふわが名はまだき立ちにけり
人知れずこそ思ひそめしか

壬生忠見

【読み】
こひすてふわがなはまだきたちにけり
ひとしれずこそおもひそめしか
【意味】
私が恋をしているという評判は、早くも広まってしまった。誰にも知られないようにひそかに思いはじめたのだけれど。
【解説】
”恋すてふ”:恋をしているという。
”わが名”:わたしの評判。
”まだき”:早くも。
”立ちにけり”:広まってしまった。
”人知れずこそ”:他人に知られないように。
”思ひそめしか”:思い始めたのだけれど。

作者は壬生忠見(みぶのただみ)。平安中期の歌人で、三十六歌仙の一人です。壬生忠岑(30番歌)の子です。

42番歌

契りきなかたみに袖をしぼりつつ
末の松山波越さじとは

清原元輔

【読み】
ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつ
すゑのまつやまなみこさじとは
【意味】
約束しましたね。互いに涙で濡れた袖を何度もしぼっては、あの末の松山を波が決して越さないように、二人の中も末永く変わるまいと。
【解説】
”契りきな”:約束しましたね。
”かたみに”:互いに。
”袖を絞りつつ”:涙で濡れた袖を絞りながら。
”末の松山”:現在の宮城県の海岸にあったという山。絶対に浪の越さない位置にあったので、比喩として使われた。
”浪こさじとは”:浪が超えないように絶対に変わりますまい。

後拾遺集の詞書に、「心かはりてはべりける女に、人に代はりて」とある歌。
つまり作者の清原元輔(きよはらのもとすけ)が、心変わりした女性宛の歌を失恋した男性に代わって詠んだ歌です。
清原元輔は平安中期の歌人・貴族で、三十六歌仙の一人。清原深養父(36番歌)の孫で、清少納言(62番歌)の父です。

43番歌

逢ひ見てののちの心にくらぶれば
昔はものを思はざりけり

権中納言敦忠

【読み】
あひみてののちのこころにくらぶれば
むかしはものをおもはざりけり
【意味】
貴方と逢って愛しあった後の心に比べれば、それ以前の物思いなど無かったようなものだ。
【解説】
”逢ひ見て”:逢って契りを結んで。
”のちの心”:後の恋しくて切ない心。
”昔は”:逢う以前は。

恋が成就した後も、さらに思いが募っていく様子を詠んだ歌です。
作者は権中納言敦忠。藤原敦忠(ふじわらのあつただ)として知られる、平安中期の歌人・公家で、三十六歌仙の一人でもあります。琵琶の名手でもありました。
恋多き貴公子で、右近との恋愛が「大和物語」にも描かれています。

44番歌

逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
人をも身をも恨みざらまし

中納言朝忠

【読み】
あふことのたえてしなくはなかなかに
ひとをもみをもうらみざらまし
【意味】
もしも逢うことが全く無いのなら、かえってあの人のつれなさも我が身も恨まなくて済むのに。
【解説】
”逢ふことの”:逢って契りを交わすこと。
”絶えて”:まったく。絶対に。
”なかなかに”:かえって。

作者は中納言朝忠。藤原朝忠(ふじわらのあさただ)として知られる、平安中期の歌人、公家で三十六歌仙の一人です。三条右大臣定方(25番歌)の五男です。

45番歌

あはれともいふべき人は思ほえで
身のいたずらになりぬべきかな

謙徳公

【読み】
あはれともいふべきひとはおもほえで
みのいたづらになりぬべきかな
【意味】
「かわいそうに」と言ってくれるはずの人も思い当たらないまま、私はこのままむなしく死んでしまうでしょう。
【解説】
”あはれとも”:かわいそうにとも。
”いふべき人”:言ってくれるはずの人。
”思ほえで”:思われないで。
”いたづらに”:むだ死にに。
”なりぬべき”:なってしまうでしょう。

拾遣集の詞書に「物いひ侍りける女の後につれなく侍りて更にあはず侍りければ」とある歌。
交際していた女性がいっこうに逢ってくれなくなったので贈った歌です。
作者は謙徳公。藤原伊尹(ふじわらのこれただ/これまさ)として知られる、平安中期の公卿です。
藤原義孝(50番歌)の父で、藤原忠平(26番歌)の孫にあたります。

46番歌

由良の門を渡る舟人かぢを絶え
ゆくへも知らぬ恋のみちかな

曾禰好忠

【読み】
ゆらのとをわたるふなびとかぢをたえ
ゆくへもしらぬこひのみちかな
【意味】
由良の海峡を漕ぎ渡る船人が、櫂がなくなって行方もしらず漂うように、どうなるかわからない恋の道であることよ。
【解説】
”由良の門”:現在の京都府宮津市由良の由良川が若狭湾へ注ぐあたり。
”かぢ”:櫓(ろ)や櫂(かい)の総称。
”絶え”:無くす。
”ゆくへも知らぬ”:行く先も分からない。

櫂を失って漂う船と、自分の恋の成り行きとを重ねた歌です。
作者は曾禰好忠(そねのよしただ)。平安中期の歌人で、中古三十六歌仙の一人です。

47番歌

八重むぐら茂れる宿の寂しきに
人こそ見えね秋は来にけり

恵慶法師

【読み】
やへむぐらしげれるやどのさびしきに
ひとこそみえねあきはきにけり
【意味】
幾重にも雑草の生い茂ったこの寂しい宿に、人は誰も訪ねては来ないが秋はやってきたのだ。
【解説】
”八重むぐら”:幾重にも茂った雑草。葎(むぐら)。
”寂しきに”:寂しいところに。
”人こそ見えね”:人は見えないが。

拾遺集の詞書に「河原院にて」とある歌。河原院とは源融の邸宅です。
作者は恵慶法師(えぎょうほうし)。平安中期の歌人、僧で中古三十六歌仙の一人です。

48番歌

風をいたみ岩打つ波のおのれのみ
くだけてものを思ふころかな

源重之

【読み】
かぜをいたみいはうつなみのおのれのみ
くだけてものをおもふころかな
【意味】
風が烈しいので、岩に打ち寄せる波が自分だけ砕けて散るように、つれないあの人の為に私の心も砕ける程に思い悩むこの頃である。
【解説】
”風をいたみ”:風が強いために。
”おのれのみ”:自分だけが。
”くだけて”:千々にくだけて。
”ころかな”:この頃であるよ。

高波が岩に打ち寄せて白く砕け散る様を、自分の恋心に重ねて詠んだ歌です。
作者は源重之(みなもとのしげゆき)。平安中期の歌人・貴族で、三十六歌仙の一人です。
清和天皇の曾孫にあたります。

49番歌

御垣守衛士のたく火の夜は燃え
昼は消えつつものをこそ思へ

大中臣能宣朝臣

【読み】
みかきもりゑじのたくひのよるはもえ
ひるはきえつつものをこそおもへ
【意味】
宮中の御門を守る兵士の焚く火が夜は燃え、昼は消えているように、私も夜は恋しさに燃え、昼は身も消え入るばかりに恋の物思いに悩んでいるのです。
【解説】
”御垣守”:宮中の御門を守る人。
”衛士”:諸国の軍団から毎年交代で京都へ上り、衛門府に配属された兵士。
”たく火”:焚いている火のこと。火を焚いて門を守るのが衛士の職務だった。
”物をこそ思へ”:物を思う。

作者は大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶ)。平安中期の歌人、貴族で、三十六歌仙の一人です。伊勢大輔(61番歌)の祖父にあたります。

50番歌

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