蜻蛉日記(かげろうにっき)は975年(天延3年)に藤原道綱母が書いた女流日記文学です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる蜻蛉日記の中から「鷹を放つ」について詳しく解説していきます。
蜻蛉日記「鷹を放つ」の解説
蜻蛉日記でも有名な、「鷹を放つ」について解説していきます。
蜻蛉日記「鷹を放つ」の原文
つくづくと思ひ続くることは、なほいかで心と疾く死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこの一人ある人を思ふにぞ、いと悲しき。
人となして、後ろ安からむ妻などにあづけてこそ、死にも心安からむとは思ひしか、いかなる心地してさすらへむずらむ(*)と思ふに、なほいと死にがたし。
「いかがはせむ。かたちを変へて、世を思ひ離るやと試みむ。」
と語らへば、まだ深くもあらぬなれど、いみじうさくりもよよと泣きて、
「さなり給はば、まろも法師になりてこそあらめ。何せむにかは、世にもまじろはむ。」
とて、いみじくよよと泣けば、我もえせきあへねど、いみじさに、戯れに言ひなさむとて、
「さて、鷹飼はでは、いかがし給はむずる。」
と言ひたれば、やをら立ち走りて、し据ゑたる鷹を握り放ちつ。
見る人も涙せきあへず、まして、日暮らし悲し。
心地におぼゆるやう、
とぞ。
日暮るるほどに、文見えたり。
天下虚言ならむと思へば、
「ただいま心地悪しくて、え今は。」
とて、遣りつ。
蜻蛉日記「鷹を放つ」の現代語訳
しみじみと思い続けることは、やはりなんとかして自分から早く死んでしまいたいものだなぁと思うより他のこともないが、ただこの一人ある人(=道綱)の事を思うと、たいそう悲しい。
(この子を)一人前にして、信頼出来る妻などに(世話を)任せてこそ、死ぬことも心配ないだろうと思ったけれど、(もし私が死んだら道綱は)どんな気持ちで(落ちぶれ)さまようだろうと思うと、やはりとても死ににくい。
「どうしようか。出家して、(兼家との)夫婦の仲を思いきれるかどうか試してみようか。」
と(道綱に)話すと、まだ深い事情もわからない年頃であるのに、たいそうしゃくりあげて激しく泣いて、
「そのように(=尼になることに)おなりになるのならば、私も必ず法師になって生きよう。
どうして、世間に交わっていこうか(、いや、いけない)。」
と言って、たいそうおいおいと泣くので、私も(涙を)こらえきれないけれど、(あまりの)悲しさに、冗談に言い紛らわそうと思って、
「それでは、鷹を飼わないでは、どのように暮らしなさるおつもりですか。」
と言ったところ、そっと立ち上がって走って(行って)、止まり木に止まらせておいた鷹を(手で)つかんで放ってしまった。
(これを)見ている女房も涙をこらえきれない、まして(母である私は)、一日中悲しい。
心の中で思われることは、
ということだった。
日が暮れる頃に、(兼家から)手紙が届いた。
天下一のうそであろうと思うので、
「現在、気分がすぐれませんので、今は(お返事が出来ません)。」
と言って、(使いを)帰した。
蜻蛉日記「鷹を放つ」の単語・語句解説
ここでは”しみじみと”や”しんみりと”の意味。
[人となして]
一人前にして。
[後ろ安からむ妻など]
信頼の出来る妻など。
[死にも心安からむ]
死ぬことも心配ないだろう。
[いかがはせむ]
どうしようか。
[まろ]
私。
[法師になりてこそあらめ]
法師になって生きよう。
[世にもまじろはむ]
世間に交じっていこうか、いや、いけない。
[えせきあへねど]
(涙が)こらえきれないけれど。
[やをら]
そっと。おもむろに。
[おぼゆるやう]
思われることは。
[天下虚言ならむ]
天下一のうそであろう。
[遣りつ]
行かせた。
*「蜻蛉日記」でテストによく出る問題
○問題:「さすらへむずらむ(*)」とは誰のことを指しているか。
答え:道綱。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は蜻蛉日記でも有名な、「鷹を放つ」についてご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。
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