蜻蛉日記(かげろうにっき)は藤原道綱母が975年(天延3年)前後に書いた日記です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる蜻蛉日記の中から「泔坏の水」について詳しく解説していきます。
(読み方は”ゆするつきのみず”)
蜻蛉日記「泔坏の水」の解説
蜻蛉日記でも有名な、「泔坏の水」について解説していきます。
蜻蛉日記「泔坏の水」の原文
心のどかに暮らす日、はかなきこと言ひ言ひの果てに、我も人もあしう言ひなりて、うち怨じて出づるになりぬ。
端の方に歩み出でて、をさなき人を呼び出でて、
「我は今は来じとす。」
など言ひ置きて、出でにけるすなはち、はひ入りて、おどろおどろしう泣く。
「こはなぞ、こはなぞ。」
と言へど、いらへもせで、論なう、さやうにぞあらむと、おしはからるれど、人の聞かむもうたてものぐるほしければ、問ひさして、とかうこしらへてあるに、五、六日ばかりになりぬるに、音もせず。
例ならぬほどになりぬれば、あなものぐるほし、たはぶれごととこそ我は思ひしか、はかなき仲なれば、かくてやむやうもありなむかしと思へば、心細うてながむるほどに、出でし日使ひし泔坏の水は、さながらありけり。
上に塵ゐてあり。
かくまでと、あさましう、
などと思ひし日しも、見えたり(*)。
例のごとにてやみにけり。
かやうに胸つぶらはしき折のみあるが、よに心ゆるびなきなむ、わびしかりける。
蜻蛉日記「泔坏の水」の現代語訳
心穏やかに過ごす日、つまらないことの言い合いの末に、私もあの人も相手を悪しざまに言うようになって、(兼家が)恨み言を言って出ていくことになってしまった。
(兼家が)縁の方に歩み出て、幼い子を呼び出して、
「私はもう来ないつもりだ。」
などと言い残して、出ていってしまったそのとき、(道綱が)はって入ってきて、驚くほど激しく泣く。(私は)
「これはどうしたの、これはどうしたの。」
と言うけれども、(道綱は)返事もしないで(泣くので)、どうせ、そういうことだろうと、察しはつくけれども、侍女が聞くのもいやな感じで正気を失っているようなので、尋ねるのをやめて、あれこれと(道綱の)機嫌をとっているうちに、(兼家が出ていって)五、六日ほどになったのに、(兼家からは)音沙汰もない。
いつものようではないほどになったので、ああ狂気じみている、冗談と私は思っていたけれど、頼りない仲なので、このようにして終わることもきっとあるだろうよと思うので、心細くて物思いにふけりながらぼんやり見ているうちに、(兼家が)出て行った日に使った泔坏の水は、そのままあるのだった。
(水の)上にほこりが浮いている。
このようになるまで(帰ってこないのかと)、あきれて、
などと思ったちょうどその日に、(兼家が)姿を見せた。
いつもの調子でうやむやになってしまった。
心配で胸がどきどきするときばかりあるのが、少しも気の休まるときがなく、やりきれないのだった。
蜻蛉日記「泔坏の水」の単語・語句解説
もう来ないつもりだ。
[こはなぞ]
これはどうしたの。
[例ならぬ]
いつものようではない。
[例のごとにて]
いつもの調子で。
[胸つぶらはしき折]
心配で胸がどきどきするとき。
*蜻蛉日記「泔坏の水」でテストによく出る問題
○問題:「見えたり(*)」の主語は誰か。
答え:兼家。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は蜻蛉日記でも有名な、「泔坏の水(ゆするつきのみず)」についてご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。
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