紀貫之が書いた土佐日記(とさにっき)は、貫之が土佐国から京に帰る55日間の出来事を綴ったもので、935年(承平5年)頃に書かれました。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる土佐日記の中から「阿倍仲麻呂の歌」について詳しく解説していきます。
土佐日記「阿倍仲麻呂の歌」の解説
土佐日記でも有名な、「阿倍仲麻呂の歌」について解説していきます。
土佐日記「阿倍仲麻呂の歌」の原文
二十日。
昨日のやうなれば、船出ださず。
皆人々、憂へ嘆く。
苦しく心もとなければ、ただ日の経ぬる数を、今日幾日、二十日、三十日、と数ふれば、指も損なはれぬべし。
いとわびし。
夜は寝も寝ず。
二十日の夜の月出でにけり。
山の端もなくて、海の中よりぞ出で来る。
かうやうなるを見てや、昔、阿部仲麻呂といひける人は、唐土に渡りて、帰り来ける時に、船に乗るべき所にて、かの国人、馬のはなむけし、別れ惜しみて、かしこの漢詩作りなどしける。
飽かずやありけむ、二十日の夜の月出づるまでぞありける。
その月は、海よりぞ出でける。
これを見てぞ、仲麻呂の主、
「わが国に、かかる歌をなむ、神代よりも詠ん給び、今は、上中下の人も、かうやうに別れ惜しみ、喜びもあり、悲しびもある時には詠む。」
とぞ詠めりける。
かの国人、聞き知るまじく思ほえたれども、言の心を男文字に、さまを書き出だして、ここの言葉伝へたる人に言ひ知らせければ、心をや聞き得たりけむ、いと思ひのほかになむ愛でける。
唐土とこの国とは、言異なるものなれど、月の影は同じことなるべければ、人の心も同じことにやあらむ。
さて、今、そのかみを思ひやりて、ある人の詠める歌、
土佐日記「阿倍仲麻呂の歌」の現代語訳
二十日。
昨日と同様(悪天候)なので、舟を出さない。
(その場の)人々は皆、心をいためて嘆息する。
(むなしく同じところで日を送るのが)つらくじれったいので、ただもう(出発してからの)過ぎ去った日数を、今日で何日、二十日、三十日と(指折り)数えるので、指も傷んでしまいそうだよ。
とてもつらい。
夜は眠りもしない。
(眠れないでいると)二十日の夜の(おそい)月が出ていたことだ。
山の端もないので、(なんとまぁ)海の中から(月が)出て来る。
このような光景を見てのことなのか、昔、阿部仲麻呂とかいった人は、中国に渡って、帰国の途に就いた時に、乗船する予定の所で、かの国(=中国)の人たちが、送別の宴を催し、別れを惜しんで、あちらの国の漢詩を作ったりなどした。
(それだけでは)名残が尽きなかったのだろうか、二十日の夜の月が出るまでいた(そうだ)。
その月は、(今夜の月のように)海から出た。
これを見て、仲麻呂殿が、
「私の国では、このような歌(=和歌)を、神代から神様もお詠みになり、今では、上中下(の区別なく、どんな身分)の人でも、このように別れを惜しんだり、うれしいことがあったり、悲しいことがあったりする時には、詠むのです。」
と言って、詠んだ(という)歌、
と詠んだ。
かの国の人は、(和歌を)聞いてもわからないだろうと思われたけれど、(仲麻呂が)歌の意味を、漢字で、歌のおおよその内容を書き表して、日本の言葉を習い覚えている人に(細かい趣を)話して聞かせたところ、歌の意味を理解できたのであろうか、全く意外なほどにほめたたえた(ということだ)。
中国と日本とでは、言葉は違っているけれども、月の光は同じことであるはずなので、(それに寄せる)人の心も同じことなのであろうか。
ところで、今、その当時のことを思いやって、その場に居合わせた人(=貫之)が詠んだ歌、
土佐日記「阿倍仲麻呂の歌」の単語・語句解説
昨日のままなので。
[皆人々]
(その場の)すべての人々。
[憂へ嘆く]
心配し、ため息をつく。
[心もとなければ]
(待ち遠しく)じれったいので。
[寝も寝ず]
眠りもしない。
[山の端]
山の上部の、空に接する辺り。
[かうやうなる]
「かくようなる」のウ音便。
[かしこ]
あそこ。あちら。
[飽かずやありけむ]
物足りなかった(名残が尽きなかった)のだろうか。
[詠ん給び]
お詠みになり。
[ふりさけ見れば]
はるか遠くに見やると。
[聞き知るまじく思ほえたれども]
この歌に描かれた心情を聞いても理解しないだろうと思われたけれども。
[言の心を]
和歌の意味を。
[思ひのほかに]
意外に。
[愛でける]
ほめたたえた。感心した。
[月の影]
月の光。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は土佐日記でも有名な、「阿倍仲麻呂の歌」についてご紹介しました。
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