土佐日記(とさにっき)は935年(承平5年)頃に紀貫之が書いた日記です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる土佐日記の中から「黒鳥のもと」について詳しく解説していきます。
土佐日記「黒鳥のもと」の解説
土佐日記でも有名な、「黒鳥のもと」について解説していきます。
土佐日記「黒鳥のもと」の原文
二十一日。
卯の時ばかりに船を出だす。
皆人々の船出づ。
これを見れば、春の海に、秋の木の葉しも散れるやうにぞありける。
おぼろげの願によりてにやあらむ、風も吹かず、よき日出で来て、漕ぎ行く。
この間に、使はれむとて、つきて来る童あり。
それが歌ふ船歌、
と歌ふぞ、あはれなる。
かく歌ふを聞きつつ漕ぎ来るに、黒鳥と言ふ鳥、岩の上に集まりをり。
その岩のもとに、波白くうち寄す。
楫取りの言ふやう、
「黒鳥のもとに白き波を寄す。」
とぞ言ふ。
この言葉、何とにはなけれども、もの言ふやうにぞ聞こえたる。
ひとのほどに合はねば、咎むるなり。
かく言ひつつ行くに、船君なる人、波を見て、
「国よりはじめて、海賊報いせむと言ふなることを思ふうへに、海のまた恐ろしければ、頭も皆白けぬ。七十路、八十路は、海にあるものなりけり。
楫取り、言へ。」
土佐日記「黒鳥のもと」の現代語訳
(一月)二十一日。
午前六時ごろに出航する。
停泊していたすべての船が出発する。
この有様を見ると、春の海に、秋の木の葉が散っているようであったよ。
なみなみならぬ祈願によってであろうか、風も吹かず、すばらしい天気になって、船を漕いで行く。
こうして進んでいるうちに、(ある人に)使ってもらおうと思って、(土佐の国府出発以来)つき従っている子がいる。
その子が歌う船歌、
と歌うのが、胸を打つ。
このように歌うのを聞きながら漕いで来ると、黒鳥という鳥(=黒い水鳥)が、岩の上に集まっている。
その岩のもとに、波が白く打ちよせている。
船頭が言うことには、
「黒鳥のところに白い波を寄せる。」
と言う。
この言葉は、なんというわけではないけれども、何かしゃれた詩文の秀句を言うように聞こえた。
(船頭という)見のほどに合わないので、耳に(心に)留めるのだ。
このように言いながら進んでいくうちに、船客一行の主人である(=貫之)が、波を見て、
「任国を出発して以来、海賊が(在任中の取り締まりへの)報復をするだろうという話であることを(あれこれと)心配するうえに、海がまた恐ろしいので、(心配のあまり)頭もすべて白くなってしまった。
七十歳、八十歳という老齢は、海の中に(その原因が)あるものだったのだなぁ。
船頭よ、(島守に代わって)答えよ。」
土佐日記「黒鳥のもと」の単語・語句解説
午前六時ごろ。
[秋の木の葉しも]
秋の木の葉が。
[おぼろげの願]
なみなみならない願かけ。
[よき日]
すばらしい天気。
[使はれむとて]
(貫之に)使われようと思って。
[見やらるれ]
見やってしまう。
[集まりをり]
集まっている。
[何とはなけれども]
別になんというわけではないけれども。
[人のほどに合はねば]
楫取りという身分の人にふさわしくないから。
[咎むるなり]
耳に(心に)留めるのである。
[海賊報いせむ]
海賊が報復するだろう。
[白けぬ]
白くなってしまった。
[いづれまされり]
どちらがまさっているか。
*土佐日記「黒鳥のもと」でテストによく出る問題
○問題:「国」とはどこのことか。
答え:(この子の故郷である)土佐の国。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は土佐日記でも有名な、「黒鳥のもとに(白波・かしらの雪)」についてご紹介しました。
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