平安時代中期に書かれた更級日記(さらしなにっき)は、菅原孝標女によって書かれました。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる更級日記の中から「継母(ままはは)との別れ」について詳しく解説していきます。
更級日記「継母との別れ」の解説
更級日記でも有名な、「継母との別れ」について解説していきます。
更級日記「継母との別れ」の原文
継母になりし人は、宮仕へせしが下がりしなれば、思ひしにあらぬことどもなどありて、世の中恨めしげにて、ほかに渡るとて、五つばかりなる児どもなどして、
「あはれなりつる心のほどなむ忘れむ世あるまじき。」
など言ひて、梅の木の、端近くて、いと大きなるを、
「これが花の咲かむ折は来むよ(*)。」
と言ひ置きて渡りぬるを、心の内に恋しくあはれなりと思ひつつ、忍び音をのみ泣きて、その年もかへりぬ。
いつしか梅咲かなむ、来むとありしを、さやあると、目をかけて待ちわたるに、花も皆咲きぬれど、音もせず。
思ひわびて、花を折りて遺る。
と言ひやりたれば、あはれなることども書きて、
更級日記「継母との別れ」の現代語訳
(私の)継母であった人は、(以前に)宮仕えしていた人が(父について上総の国に)下ったのであるから、思っていたのとは違うことなどがいくつもあって、父との夫婦仲も残念なほど(うまくいかない様子)で、(離別して)よそに行くということで、五歳ぐらいの幼児たちなどを連れて、(私に)
「(あなたの)しみじみと優しかった心根は、忘れるときはないでしょう。」
などと言って、梅の木で、軒端近くにあって、とても大きな木を(見て)、
「この木の花が咲くころには来ましょうね。」
と言い残して行ってしまったので、心の中で(継母を)恋しく懐かしいと思っては、人知れず泣いてばかりいて、その年も改まった。
「早く梅の花が咲いてほしい、『(花が咲いたら)来よう。』とおっしゃったが、(本当に)来るかしら。」
と、(梅の木に)目をやって待ち続けるが、花もすっかり咲いてしまったのに、便りもよこさない。
思い悩んだあげくに、花を折って、(次の歌を付けて)送った。
と詠んで送ったところ、(継母は)しみじみと心を打つことをいろいろ書いて(次の歌を付けた返事をよこした)、
更級日記「継母との別れ」の単語・語句解説
夫婦仲もうまくいかなくて。
[ほかに渡るとて]
よそに行くと言って。
[来むよ]
来ましょうね。
[忍び音をのみ泣きて]
人知れず声をひそめて泣いて。
[目をかけて待ちわたる]
作者が梅の咲くのをじっと待ち続けていたことを意味する。
[頼めしを]
あてにしていたが。
*「継母との別れ」でテストによく出る問題
○問題:「来むよ(*)」とは誰がどこにか。
答え:継母が、この(作者の)家に。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は更級日記でも有名な、「継母との別れ」についてご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。
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