更級日記(さらしなにっき)は平安時代中期に書かれた日記で、作者は菅原孝標女です。
今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる更科日記の中から「後の頼み」について詳しく解説していきます。
更科日記「後の頼み」の解説
更科日記でも有名な、「後の頼み」について解説していきます。
更科日記「後の頼み」の原文
さすがに、命は憂きにも絶えず、長らふめれど、後の世も、思ふにかなはずぞあらむかしとぞ、後ろめたきに、頼むこと一つぞありける。
天喜三年十月十三日の夜の夢に、居たる所の屋の端の庭に、阿弥陀仏立ち給へり。
定かに見え給はず、霧一重隔たれるやうに透きて見え給ふを、せめて絶え間に見え奉れば、蓮華の座の、土を上がりたる、高さ三、四尺、仏の御丈六尺ばかりにて、金色に光り輝き給ひて、御手、片つ方をば広げたるやうに、いま片つ方には印を作り給ひたるを異人の目には見つけ奉らず、我一人見奉るに、さすがにいみじく気恐ろしければ、簾のもと近く寄りても、え見奉らねば、仏、
「さは、このたびは帰りて、後に迎へに来む。」
とのたまふ声、わが耳一つに聞こえて、人はえ聞きつけずと見るに、うちおどろきたれば、十四日なり。
甥どもなど、一所にて、朝夕見るに、かうあはれに悲しきことの後は、所々になりなどして、誰も見ゆること難うあるに、いと暗い夜、六郎にあたる甥の来たるに、めづらしうおぼえて、
とぞ言はれにける。
更科日記「後の頼み」の現代語訳
(つらい運命であったが、)それでもやはり(私の)命はつらさにも絶えることなく、生きながらえているようだが、死んだ後の世も、思い通りに(極楽往生することには)ならないだろうよと、不安であるが、頼みに思うことが一つだけあった。
天喜三年十月十三日の夜の夢に(*)、住んでいる家の軒先の庭に、阿弥陀仏が立っていらっしゃる。
はっきりとはお見えにならず、霧一重隔てたように、透けてお見えになるのを、強いて(霧の)切れ間から拝見すると、蓮華の台座が地面から上がっている、高さは三、四尺ほどで、仏様のご身長は六尺ほどで、金色に光り輝いていらっしゃって、御手は、片方を広げたようになさり、もう片方では印を結んでいらっしゃるのを、他の人の目では見つけ申しあげず、私一人が見申しあげ(て、阿弥陀仏の御来迎を感謝す)るが、そうはいってもやはりひどくそら恐ろしいので、簾のそば近く寄っても、見申しあげることもできずにいると、仏様が、
「(あなたはまだ迎えに応じるつもりがないようだ。)それでは、今回は帰って、後に迎えに来よう。」
とおっしゃる声が、私の耳だけに聞こえて、他の人は聞きとることができない、と(夢に)見て、はっと目が覚めたところ(夜が明けていて)十四日である。
甥たちなどは、同じ邸内で、朝夕(顔を)見ていたのに、このようにしみじみと悲しいこと(=夫の死)の後は、皆それぞれに別の所に移り住みなどして、誰も顔を見せることがめったにないのに、(ある)とても暗い夜に、年齢が六番目にあたる甥が訪ねて来たので、珍しく思われて、
と自然に口をついて出てしまった。
更科日記「後の頼み」の単語・語句解説
(夫の死という)つらいことによっても(私の)命は絶えることがなく。
[長らふめれど]
生きながらえているようだが。
[後の世]
死んだ後の世。
[思ふにかなはず]
思い通りいならない。
[あらむかし]
あるだろうよ。
[頼む]
頼りにする。あてにする。
[隔たれるやうに]
隔たっているように。
[気恐ろしければ]
なんとなく恐ろしいので。
[え見奉らねば]
見申しあげることができないので。
[さは]
それでは。それならば。
[うちおどろきたれば]
目が覚めたところ。「うち」は接頭語。
[十四日なり]
十四日であった。
[甥ども]
甥たち。
[一所にて]
同じ場所で。
[月も出でて]
月も出ないで。
[訪ね来つらむ]
訪ねて来てくれたのでしょう。
*更科日記「後の頼み」でテストによく出る問題
○問題:「夢に(*)」の夢の内容はどこまでか。
答え:「人はえ聞きつけず」まで。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は更科日記でも有名な、「後の頼み」についてご紹介しました。
その他については下記の関連記事をご覧下さい。
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