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十訓抄「大江山」原文と現代語訳・解説・問題|鎌倉時代の説話集

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十訓抄は鎌倉時代の説話集で、「じっきんしょう」または「じっくんしょう」と読みます。
編者はわかっていませんが、六波羅二臈左衛門入道説と菅原為長説があります。
3巻10編からなり、下記の10箇条の主題に従って約280の教訓的例話が書かれています。

第一 人に恵を施すべきこと
第二 傲慢を離るべきこと
第三 人倫を侮らざる事
第四 人の上を誡むべき事
第五 朋友を選ぶべき事
第六 忠直を存ずべき事
第七 思慮を専らにすべき事
第八 諸事を堪忍すべき事
第九 懇望を停むべき事
第十 才芸を庶幾(しょき)すべきこと

今回は高校古典の教科書にも出てくる十訓抄の中から「大江山(おおえやま)」について詳しく解説していきます。

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十訓抄「大江山」の解説

十訓抄でも有名な、大江山について解説していきます。

大江山の原文

和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合(うたあわせ)ありけるに、小式部内侍、歌詠みにとられて、詠みけるを、定頼中納言(さだよりちゅうなごん)たはぶれて、小式部内侍ありけるに、

「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心もとなく思すらむ。」

と言ひて、局の前を過ぎられけるを、御簾(みす)より半(なか)らばかり出でて、わづかに直衣(のうし)の袖を控へ(*)て、

[大江山いくのの道の遠ければ まだふみもみず天の橋立]

と詠みかけけり。
思はずに、あさましくて、

「こはいかに、かかるやうやはある。」

とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり。
小式部、これより歌詠みの世に覚え出で来にけり。

これはうちまかせての理運のことなれども、かの卿の心には、これほどの歌、ただいま詠み出だすべしとは、知られざりけるにや。

大江山の現代文

和泉式部が、保昌の妻として、丹後に下った頃に、京で歌合わせがあったところ、小式部内侍が、歌詠みに選ばれて、(歌を)詠んだのを、定頼中納言がふざけて、小式部内侍が(局に)いた時に、

「丹後(の母のもと)へおやりになった人は(帰って)参りましたか。どんなにか待ち遠しくお思いのことでしょう。」

と言って、局の前を通り過ぎられたのを、御簾から半分ばかり(身を)乗り出して、ほんの少し直衣の袖を引っ張って、

[大江山を越え、生野を通って行く道のりが(京から)遠いので、(母がいる丹後の)天の橋立はまだ踏んでみたことはありませんし、(母からの)手紙もまだ見ていません。]

と詠みかけた。
(定頼は)思いもかけぬことに驚いて、

「これはまぁなんとしたことだ。こんな(=当意即妙に歌を詠む)ことがあろうか、いや、あるはずはない。」

とだけ言って、返歌もできず、袖を引き払ってお逃げになった。
小式部は、この時から歌詠みの世界に名声が広まったということだ。

こうしたことは、ごく普通の当然のことであったけれど、あの卿の心の中には、これほどの歌をすぐに詠み出すことができるとは、おわかりにならなかったのであろうか。

大江山の単語・語句解説

[妻にて]
妻として。「にて」は資格を表す格助詞。

[遣はしける人]
おやりになった人。

[参りたりや]
帰って参りましたか。

[心もとなく]
待ち遠しく。

[思す]
お思いになる。「思ふ」の尊敬語。

[局]
女房や女官のいる部屋

[御簾]
すだれの敬称。

[いくの]
”生野”と”行く”の掛詞。

[遠ければ]
遠いので。

[ふみ]
”踏み”と”文”の掛詞。

[かかるやうやはある]
こんなことがあろうか。

[歌詠み]
歌を詠む人。歌人。

[覚え出で来にけり]
評判が高くなったということだ。

[うちまかせての]
ごく普通の。

*大江山でテストによく出る問題

○問題:誰が誰の「袖をひかへ」たのか。
答え:小式部内侍が定頼中納言の袖をひかへた。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は十訓抄の大江山についてご紹介しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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