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更級日記「源氏の五十余巻」原文と現代語訳・解説・問題|菅原孝標女

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更級日記(さらしなにっき)は平安時代に書かれた日記で、作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)です。

少女時代からの約40年間の人生を回想しながら書いた自叙伝的な日記となっています。

今回はそんな高校古典の教科書にも出てくる更級日記の中から「源氏の五十余巻(げんじのごじゅうよまき)」について詳しく解説していきます。

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更級日記「源氏の五十余巻」の解説

更級日記でも有名な、「源氏の五十余巻/乳母の死」について解説していきます。

更級日記「源氏の五十余巻」の原文

その春、世の中いみじう騒がしうて、松里のわたりの月影あはれに見し乳母も、三月朔日に亡くなりぬ。

せむ方なく思ひ嘆くに、物語のゆかしさもおぼえずなりぬ。
いみじく泣き暮らして、見出だしたれば、夕日のいと華やかにさしたるに、桜の花残りなく散り乱る。

[散る花もまた来む春は見もやせむ やがて別れし人(*)ぞ恋しき]

また聞けば、侍従の大納言の御女、亡くなり給ひぬなり。
殿の中将の思し嘆くなるさま、わがものの悲しき折なれば、いみじくあはれなりと聞く。
上り着きたりし時、

「これ手本にせよ。」

とて、この姫君の御手を取らせたりしを、

「小夜ふけて寝ざめざりせば」

など書きて、

「鳥辺山谷に煙の燃え立たば はかなく見えし我と知らなむ」

と、言ひ知らずをかしげにめでたく書き給へるを見て、いとど涙を添へまさる。

更級日記「源氏の五十余巻」の現代語訳

その(治安元年の)春、世の中は(伝染病が流行して)非常に不穏で、松里の渡し場の月の光に照らし出された姿を(私が)しみじみと悲しい思いで見た乳母も、三月一日に亡くなってしまった。

どうしようもなく嘆き悲しんでいると、物語を見たいという気持ちもなくなってしまった。
ひどく泣き暮らして、(外を)見やったところ、夕日がとても明るく美しく差している所に、桜の花が余すことなく散り乱れている。

[散りゆく桜の花も、また再びめぐってくる春には見ることができるだろう。(しかし)そのまま(永遠の)別れとなってしまった人(=乳母)は、二度と会うこともできず、たまらなく悲しいことだ。]

また聞くところによると、侍従の大納言の姫君が、お亡くなりになったそうだ。
(夫の)殿の中将のお嘆きになるさまは、私も(乳母の死で)もの悲しい時なので、とても気の毒なことだと(思って)聞く。
京に到着した時、

(ある人が)「これを手本にしなさい。」

と言って、この姫君の御筆跡を与えてくれたが、

(それには)「小夜ふけて寝ざめざりせば(=もし夜がふけて眠りから覚めなかったなら)」

などと(歌が)書いてあって、

(その中に)「鳥部山谷に煙の燃え立たばはかなく見えし我と知らなむ(=鳥部山の谷に火葬の煙が燃え立つなら、弱々しく見えた私の火葬の煙と思ってほしい)」

と(いう歌が)、たとえようもなく趣深くすばらしく書いていらっしゃるのを(改めて)見て、ますます涙がこみあげる。

更級日記「源氏の五十余巻」の単語・語句解説

[せむ方なく思ひ嘆くに]
どうしようもなく嘆き悲しんでいると。

[見出だしたれば]
外を見やったところ。

[見もやせむ]
見ることができるだろう。

*「源氏の五十余巻」でテストによく出る問題

○問題:「やがて別れし人(*)」とは誰を指しているか。
答え:作者の乳母。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は更級日記でも有名な、「源氏の五十余巻」についてご紹介しました。

その他については下記の関連記事をご覧下さい。

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更級日記「大納言殿の姫君」
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