徒然草の原文内容と現代語訳|兼好法師の生涯

鎌倉時代に兼好法師が書いた随筆、徒然草。

つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。


[意味]
孤独にあるのにまかせて、一日中、硯と向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみると、妙におかしな気分になってくる。

この冒頭の文章は教科書にも出ているくらい、とても有名です。
今回は兼好法師の徒然草について、ご紹介したいと思います。


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徒然草とは

徒然草は、作者である兼好法師が自身の経験から得た考えや逸話などを書き綴った、244段から成る随筆です。
(随筆とは、自分の考えなどをありのままにかく文章のこと。)

清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」と並び、日本三大随筆の一つにもなっています。

兼好法師

兼好法師(けんこうほうし)の姓名は、卜部兼好(うらべかねよし)といいます。
兼好(けんこう)というのは、出家後の法名です。
吉田兼好といわれることもありますが、これは兼好の死後に同族が改姓したもので、正式な名字とはいえません。

兼好は和歌の才能もあり、和歌四天王の一人にも数えられて家集も残す程でした。
その足跡については研究が続けられていますが、兼好が生まれたのは1283年(弘安6年)、死没は1352年(正平7年・文和元年)、享年は70余歳と推定されています。

兼好の家系、卜部氏は、神道界の名門でした。
吉田神社を預かる家の支流に生まれ、兼好は幼少期から恵まれた環境で育ちます。

【兼好の生涯】
10代後半 内大臣堀川具守に諸大夫(事務管理職)として仕える
19歳 後二条天皇に仕え、六位の蔵人(秘書官)になる
25歳 左兵衛佐に昇進
26歳 後二条天皇が崩御
数年後 出家
30代 修学院や小野、横川で遁世生活
40代 徒然草の執筆
50代以降 古典研究や作歌活動に励む

兼好の出家の理由としては、「政権交代によって出世に影がさした」「兼好本来の性格によるもの」などの説がありますが、ハッキリとした理由はわかっていません。
妻子もおらず、出家後は一人静かに遁世生活を送りました。

兼好が生きたのは、鎌倉幕府から室町幕府に変わるまでの動乱期。
まさに激動の時代でした。

そんな時代から距離を置き、兼好は徒然草の執筆に励んだのです。

徒然草の内容

それではここで、徒然草の内容を全244段から抜粋して現代語訳と共にご紹介したいと思います。

冒頭文

原文

つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

現代語訳

孤独にあるのにまかせて、一日中、硯と向かい合って、心に浮かんでは消える他愛のない事柄を、とりとめもなく書きつけてみると、妙におかしな気分になってくる。

第3段

[要約]
恋を知らない男はダメ

原文

よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の底なき心地ぞすべき。
露霜にしほたれて、所さだめずまどひ歩(あり)き、親のいさめ、世のそしりをつつむに心のいとまなく、あふさきるさに思ひ乱れ、さるはひとり寢がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべき業(わざ)なれ。

現代語訳

どんなにすばらしくても、恋を知らない男は非常に物足りない。みごとな玉製の盃の底が抜けたように、見かけだけで男としての魅力が欠けている。
早朝から深夜まで露・霜に濡れながら恋人たちを渡り歩き、親の説教や世間の避難をかわすために神経をすり減らし、あれこれ気をもんでいる。
そのくせ実際にはひとり寝が多く、恋人と共寝する夜の少ないのはなんともおもしろい。
とはいえ、恋に夢中だからといってがつがつすることなく、女性にいつも好感を持たれるように節度をもって行動するのが理想的である。

第7段

[要約]
死があるから生が輝く

原文

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。

かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。
長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

現代語訳

露や煙ははかなく消える命なのに、この世に死者はなくならないので、あだし野霊園の草露や鳥部山火葬場の煙はいつまでも消えることはない。
だが、その草露や煙のように人間がこの世に永住して死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。
やはり、人の命ははかないほうが断然良い。命あるもので、人間ほど長生きなものはない。

かげろうのように朝生まれて夕べには死に、夏の蟬のように春秋の季節美を知らない短命な生物もいる。
それに比べたら、人間の場合は心安らかに一年間を送れるというだけでもなんとものどかな話ではないか。
もしも命に執着するとたとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。
どうせ永遠には住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になろうか。長生きすると恥をかくことも多くなる。
長くとも四十そこそこで死ぬのが無難というものだ。

その年齢を過ぎると容姿の衰えを恥じる気持ちがなくなり、平気で人前に出て社交的にふるまおうとする。
更に日没の太陽のような老齢の身で子孫を溺愛し、子孫の繁栄を見届けようと長生きを望んで世俗の欲望ばかり強くなり、深い感動の味わいもわからなくなっていくのはなんとも救いがたい気がする。

第8段

[要約]
人間は色欲に惑わされる

原文

世の人の心を惑はすこと、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。
久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけんは、まことに手足・膚(はだえ)などのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

現代語訳

色欲ほど人間を迷わせるものはない。なんて人間は愚かなんだろう。
香りなんか一時的なものなのに、着物にたき染めた香りとは知りながら、素晴らしい芳香をかぐと心をときまけせてしまう。
その昔に久米の仙人が、川で洗濯している女の、裾をたくし上げてあらわになった脛(すね)を見て神通力を失い、空中から落下したという伝説がある。
女の手足や肌がきめこまかくて、むっちりと脂ののっているのは他の色と違い女の色香だから、そこそこ人間臭さを残していた仙人が心惑わされたのも当然といえば当然であった。

第19段

[要約]
季節の移り変わりは美しい

原文

折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ。
ものの哀れは秋こそまされと、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今ひときは心も浮きたつものは、春の景色にこそあめれ。
鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やや春ふかく霞みわたりて、花もやうやう気色(けしき)だつほどこそあれ、折しも雨風うちつゞきて、心あわただしく散りすぎぬ。
青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。

花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり戀しう思ひ出でらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて思ひすて難きこと多し。

現代語訳

四季の移り変わる様子は、何につけても心にしみるものがある。
心にしみる味わいは秋が一番深い、と誰もが認めているらしい。それはそれで一理あるが、よりいっそう心が目覚めるように感じるのは春の風物だと思う。
まず、鳥の声などもいかにも春らしく聞こえてきて、のどかな春の光を浴びて、垣根の草が眼を出し始める。
しだいに春が深くなると、霞が一面にたなびくようになり、桜の花が今にも開こうとする、ちょうどそんな時に雨や風の日が続いて、慌ただしく散りすぎてしまう。
こうして青葉の時期になるまで、あれこれ気をもむ日々が続くのだ。

橘の花は、昔をしのばせる花として有名だが、私にはやはり梅の花の香りによって過去のこともその当時に戻って、懐かしく思い出されてくる。
黄色の山吹の清らかな美しさ、藤の彩りや縁取りがぼうっと霞んだような、淡い紫の花房の垂れ下がった様子など、春はどれもこれも見落とせないものばかりだ。

第29段

[要約]
つい昔を思い出してしまう

原文

静かに思へば、よろづ過ぎにしかたの恋しさのみぞ、せむかたなき。
人静まりて後、永き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、殘し置かじと思ふ反古など破りすつる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる見出でたるこそ、ただその折の心地すれ。

このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折り、いつの年なりけむと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくてかはらず久しき、いと悲し。

現代語訳

心静かに思い出にふけると、何事につけて、過ぎた昔の恋しさだけがどうしようもなくつのってくる。
人の寝静まった後、秋の夜長の暇つぶしに、雑多な身の回りの品々を整理して、残しておく必要のない書き損じの紙などを破り捨てる中に、今は亡き人の文字や絵を見つけると一瞬にして心はその人が生きていた当時に戻ってしまう。

今生きている人の手紙でさえ月日がたって、これを貰ったのはいつどんな時だっただろうと思いをめぐらすうちに、しみじみとした気分に引き込まれる。
故人の使い慣れた道具類が人情とは無関係にずっと当時のまま残っているのを見るのはとてもせつないものだ。

第35段

[要約]
字が下手でも手紙は書くべし

原文

手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし、見苦しとて人に書かするはうるさし。

現代語訳

字の下手な人が遠慮しないでどんどん手紙を書くのは、良いことだ。
字が下手だからと他人に代筆させるのは、嫌気がさす。

第59段

[要約]
やりたい事を決めたら、それに全力を注ぐべし

原文

大事を思ひ立たむ人は、さり難き心にかからむ事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。

「しばしこの事果てて」、「同じくは彼の事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらむ、行末難なくしたためまうけて」、「年ごろもあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物さわがしからぬやうに」など思はんには、えさらぬ事のみいとど重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひたつ日もあるべからず。
おほやう、人を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。

近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とやいふ。
身を助けむとすれば、恥をも顧みず、財(たから)をも捨てて遁れ去るぞかし。
命は人を待つものかは。無常の來ることは、水火の攻むるよりも速かに、逃れがたきものを、その時老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらんや。

現代語訳

道を求め悟りを開くという一大事を決意している人間は、放っておけず、心にかかる事があっても、その解決を望まずに、そっくりそのまま捨ててしまうべきだ。

「もうしばらく。これが終わってから」とか、「同じことなら、あれを片付けてから」「これこれのことは、人に笑われるかもしれない。将来非難されないように、ちゃんと整理しておいて」「長年こうしてきたのだから、片付くのを持ったとしても時間はかからないだろう。そうせっかちになる事もない」などと考えていたら、放ったらかしに出来ないような用事ばかり積み重なってくる。
しかも用事が消えてなくなるはずもなく、ついには一大事を決行する日も失われてしまうのだ。
だいたい世間の人々を観察すると、少々しっかりした程度の人物は皆、こうした計画倒れで人生を終えてしまうそうだ。

近所に火事があって逃げるとき、火に向かって「ちょっと待って」と言うだろうか。言うはずがない。
助かりたければ、恥も外聞も構わず、財産さえ捨てて逃げるものだ。
いったい寿命というものは人間の都合を待ってくれるだろうか。そんなことはない。死の迫り来るさまは洪水や猛火が襲いかかるよりも早く、逃れがたい。人生がこんな緊迫した状況に置かれているにもかかわらず、老いた親、幼い子、主君の恩、人の情けを、捨てにくいといって、捨てないだろうか。捨てないでいられるはずはない。
求道者は、いっさいを捨てて、速やかに一大事を決行しなければならない。

第74段

[要約]
一生は短く、万物は常に流転している

原文

蟻のごとくに集りて、東西に急ぎ、南北に走(わし)る。
高きあり、賎しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり帰る家あり。夕に寝(い)ねて、朝に起く。
営む所何事ぞや。生をむさぼり利を求めてやむ時なし。

身を養ひて何事をか待つ、期(ご)するところ、ただ老(おい)と死とにあり。
その来る事速かにして、念々の間に留まらず。これを待つ間、何の楽しみかあらむ。

惑へるものはこれを恐れず。
名利に溺れて、先途の近きことを顧みねばなり。愚かなる人は、またこれをかなしぶ。
常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。

現代語訳

人間がこの都に集まって、蟻のように東西南北にあくせく走り回っている。
その中には地位の高い人や低い人、年老いた人や若い人が混じっている。それぞれ働きに行く所があり、帰る家がある。帰れば、夜寝て、朝起きて、また仕事に出る。
このようにあくせくと働いていったい何が目的なのか。
要するに自分の生命に執着し、利益を追い求めてとどまる事が無いのだ。

このように、利己と保身に明け暮れて何を期待しようというのか。何も期待できやしない。待ち受けているのは、ただ老いと死の二つだけである。
これらは、一瞬もとまらぬ速さでやってくる。それを待つ間、人生に何の楽しみがあろうか。何もありはしない。

生きることの意味を知ろうとしない者は、老いも死も恐れない。
名声や利益に心奪われ、我が人生の執着が間近に迫っていることを、知ろうとしないからである。逆に生きる意味がわからない者は、老いと死が迫り来ることを悲しみ恐れる。
それは、この世が永久不変であると思い込んで、万物が流転変化するという無常の原理をわきまえないからである。

第75段

[要約]
面倒な人付き合いは捨ててしまえ

原文

つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。
紛るる方なく、ただ一人あるのみこそよけれ。

世に従へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。
人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。
惑ひの上に醉へり、醉(よい)の中に夢をなす。
走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。

いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑(しづか)にし、事に與(あづか)らずして心を安くせんこそ、暫く樂しぶともいひつべけれ。「生活(しゃうかつ)・人事(にんじ)・技能・學問等の諸縁を止(や)めよ」とこそ、摩訶止觀にも侍(はべ)れ。

現代語訳

時間をもてあます人の気が知れない。
何の用事もなくて独りでいるのが、人間にとっては最高なのだ。

世の中のしきたりに合わせると、欲に振り回されて迷いやすい。
人と話をすると、ついつい相手のペースに合わせて自分の本心とは違った話しをしてしまう。
世間との付き合いでは、一喜一憂する事ばかりで、平常心を保つことは出来ない。
あれこれ妄想がわいてきて、損得の計算ばかりする。
完全に自分を見失い、酔っぱらいと同じだ。酔っ払って夢を見ているようなものだ。
せかせか動き回り、自分を見失い、ほんとうにやるべきことを忘れている。それは、人間誰にもあてはまることだ。

まだこの世の真理を悟ることはできなくとも、煩わしい関係を整理して静かに暮らし、世間づきあいをやめてゆったりした気持ちで本来の自分を取り戻す。
これこそが、ほんの短い間でも、真理に近づく喜びを味わうといってよいのである。
日常の雑事、義理づきあい、もろもろの術、がりべんなどとは縁を切れというふうに「摩訶止観」にも書いてある。

第79段

[要約]
知ったかぶりをしてはいけない

原文

何事も入りたたぬさましたるぞよき。
よき人は知りたる事とて、さのみ知りがほにやは言ふ。

片田舎よりさしいでたる人こそ、萬の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。
されば世に恥しき方もあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。

よくわきまへたる道には、必ず口おもく、問はぬかぎりは、言はぬこそいみじけれ。

現代語訳

どんな場合でも、よく知らないふりをするにかぎる。
立派な人間は、知っていても知ったかぶりをしないものだ。

軽薄な人間に限って、何でも知らない事はないといった返事をする。
だから、聞いている相手が圧倒されることもあるが、本人自身が自分からすごい思い込んでいるさまは、どうにも救いがたい。

よく知っている方面については、口数少なく、聞かれない限りは黙っているのが一番である。

第82段

[要約]
不完全だから良い

原文

「羅(うすもの)の表紙は、疾(と)く損ずるが侘しき」と人のいひしに、頓阿が、「羅は上下はづれ、螺鈿(らでん)の軸は、貝落ちて後こそいみじけれ」と申し侍りしこそ、心勝りて覚えしか。

一部とある草紙などの、同じやうにもあらぬを、醜しといへど、弘融僧都が、「物を必ず一具に整へんとするは、拙(つたな)き者のする事なり。不具なるこそよけれ」と言ひしも、いみじく覚えしなり。

すべて、何も皆、事の整(ととの)ほりたるはあしき事なり。
し残したるを、さて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶる事(わざ)なり。内裏造らるるにも、必ず、造り果てぬ所を殘す事なり」と、ある人申し侍りしなり。

先賢の作れる内外(ないげ)の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。

現代語訳

「薄絹で装丁した本の表紙は、傷みが早くて困る」と嘆く人がいた。それに対し、友人の頓阿(とんあ)が「薄絹の表紙は、上下の縁が擦り切れてほつれたほうが、また、巻物の螺鈿の軸はちりばめた貝が落ちた後のほうが深い味わいが出るものだ」と答えたのには、感心させられ、彼を改めて見直した。

何冊かをひとまとめにして一部とする草子の場合、各冊の体裁が不揃いなのはみっともない、と文句をつけるのがふつうだ。けれども、孔融僧都の、「品物をきっちり同じに揃えようとするのは、ものの命がわからない人間のすること。不揃いこそが最上なのだ」という言葉には、我が意を得た思いがした。

何事においても、すべて完全に整い完結しているのは、かえってその仕事の命が終わることになり、よろしくない。
やり残した部分を、そのままに放置してあるのは、味わいも深く、仕事の命を将来につないでやる方法なのだ。
「内裏を造営する時も、必ず未完の部分を残すものだ」と、ある人が言ったそうだ。

そういえば、古代の賢人の仏教・儒教の書物にも章段の欠けたものが多い。

第93段

[要約]
生を愛せ

原文

されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。
存命の喜び、日々に楽しまざらむや。

愚かなる人、この楽しみを忘れて、いたづがはしく外の楽しみを求め、この財(たから)を忘れて、危く他の財を貪るには、志、満つる事なし。
生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。
人みな生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。

もしまた、生死(しゃうじ)の相にあづからずといはば、まことの理を得たりといふべし。

現代語訳

人間誰しも死ぬのがいやならば、だからこそ今ある命を愛するべきなのだ。
命ながらえる喜びを、毎日大切に楽しまなくてはいけない。

愚かな人間はこの楽しみを知らず、物欲に振り回されてあくせくしている。
命という宝を忘れて、やたらと快楽や金銭という別の宝ばかり追い求めていては、いつまでたっても心満たされることはない。そんなふうにして、生きている時に生きる喜びを楽しまないで、いざ死ぬ時になって死を恐れるならば、私の言う理屈とは合わない生き方をしていることになる。
つまり、誰もが生きる喜びを楽しもうとしないのは、死を恐れないからだ。いや、死を恐れないからではなく、人間はいつも死と隣合わせに生きているという自覚がないからなのだ。

あるいはまた、それが生きるか死ぬかという次元にとらわれないで生きているというのならば、それこそは人生の真理を悟っているといってよい。

第108段

[要約]
一生は短い。わずかな時間も大切にすべし。

原文

寸陰惜しむ人なし。
これよく知れるか、愚かなるか。

愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しといへども、これを累(かさ)ぬれば、貧しき人を富める人となす。
されば、商人(あきびと)の一錢を惜しむ心、切なり。

刹那覺えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期(ご)、忽ちに到る。

されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。
ただ今の一念、空しく過ぐることを惜しむべし。

もし人來りて、わが命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るゝ間、何事をか頼み、何事をか營まむ。
我等が生ける今日の日、何ぞその時節に異ならん。

一日のうちに、飮食(おんじき)・便利・睡眠・言語(ごんご)・行歩(ぎゃうぶ)、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。

その餘りの暇、いくばくならぬうちに無益(むやく)の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(しゆい)して、時を移すのみならず、日を消(せう)し、月をわたりて、一生をおくる、最も愚かなり。
(略)
光陰何のためにか惜しむとならば、内に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人は止み、修(しゅう)せむ人は修せよとなり。

現代語訳

短い時間を積み重ねて、大切に使う人はいないものだ。
これは短い時間を惜しむ必要はないという意味をよく知っている人なのか、それとも、全然知らない愚か者なのか。

知っている人はともかく、知らないで時間を無駄にしている怠け者の為に、忠告しておきたい。一銭はわずかな金だが、これが貯まると貧乏人を金持ちにする。
だから、商売人が一銭を惜しむ心は切実なのだ。

同様に、一瞬のような短時間は、その流れをはっきり意識するのは難しいが、だからといってその一瞬を放っておいては人間の一生はたちまち最期を迎えてしまう。

従って、その道を極めようとする者は、一日とか一月という長い時間を惜しむような態度ではだめだ。
今生きて意識しているこの一瞬が、無駄に過ぎてしまう事を惜しまなくてはいけない。

例えば、人がやってきて、貴方は明日必ず死ぬと教えてくれた場合、今日が終わるまでの間、何を頼りにして、どんなことをするだろうか。
私たちが生きているこの今日という日も、明日死ぬと言われたあの今日という日と、全く変らないのだ。

私たちは一日の間に、食事・排便・睡眠・会話・歩行など、生きていく為にはやむを得ず多くの時間を使っている。その残りの時間は、いくらもない。

そんな状況にありながら、意味のないことをし、意味のない事を喋り、意味のない事を考えて、時間を消費してしまう。
そればかりか、そんなふうにして一日を費やし、一月を過ごし、一年を送り、ついには一生を送ってしまう。なんとも愚かな事である。
(略)
それならば、何のために時間を惜しむのかといえば、つまらないことに心を遣わず、世間との付き合いを絶って真理を追求する志を遂げよ、というわけなのである。

第121段

[要約]
ペットを飼うなどもってのほか。

原文

走る獣は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翼を切り、籠(こ)に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁(うれ)へやむ時なし。その思ひ我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。

現代語訳

走る獣は檻に閉じ込められ錠をかけられ、また、飛ぶ鳥はつばさを切られ籠に入れられる。
鳥が空を飛び回りたいと願い、獣が野山を駆け巡りたいと思う悲しみは、いつまでも尽きる時がない。
そうした鳥・獣の苦しみを、わが身に引き受けて耐え難く思うようならば、情愛の深い人の場合、それらを飼って楽しむだろうか。
まずありえない。

第137段

[要約]
物事は盛り以外にも魅力がある

原文

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。
雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。
咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。

歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。

花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。

現代語訳

桜の花は満開だけを、月は満月だけを見て楽しむべきものだろうか。いや、そうとは限らない。
物事の最盛だけを鑑賞する事が全てではないのだ。
例えば、月を覆い隠している雨に向かって、見えない月を思い焦がれ、あるいは、簾を垂れた部屋に閉じこもり、春が過ぎていく外の様子を目で確かめることもなく想像しながら過ごすのも、やはり優れた味わい方であって、心に響くような風流な味わいを感じさせる。
今にも花ひらきそうな蕾(つぼみ)の桜の梢や、桜の花びらが落ちて散り敷いている庭などは、とりわけ見る価値が多い。

作歌の事情を記した詞書も、「花見に出かけたところ、もうすでに花が散ってしまっていて見られなかった」とか、「用事があって花見に出かけず、花を見なかった」などと書いてあるのは、「実際に花を見て」と書くのに、劣っているだろうか。そんなことはない。

確かに、桜が散るのや、月が西に沈むのを名残惜しむ美意識の伝統はよくわかる。
けれども、まるで美というものに無関心な人間に限って「この枝も、あの枝も散ってしまった。盛りを過ぎたから、もう見る価値はない」と、短絡的に決めつけるようだ。

第137段

[要約]
恋も始めと終わりが味わい深い

原文

よろづの事も、始め終りこそをかしけれ。

男女の情(なさけ)も、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。

望月の隈なきを、千里(ちさと)の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ちいでたるが、いと心ぶかう、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。

椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしうおぼゆれ。

現代語訳

何事においても、最盛そのものではなく、最盛に向う始めと最盛を過ぎた終わりとが味わい深いものなのだ。

男女の恋愛においても、ただただ相思相愛で結ばれる仲だけが最高といえるだろうか。
そんな仲だけではなく、相手と結ばれずに終わった辛さに悩んだり、相手の変心から婚約が破棄された事を嘆き、長い夜をひとり寝で明かし、遠い雲の下にいる相手に思いをはせ、荒れ果てた住まいに相手と過ごした当時をしのんだりする態度こそ恋の真味を知るものといえよう。

一点の曇りもなく輝きわたる満月を遥かに遠い天空のかなたに眺めるのよりも、明け方近くになって、待ちに待ってようやく出てきた月が、心を揺さぶるような青みがかった弱い光を放ちながら、深い山の杉の梢にかかって見えるさま、あるいは樹間から漏れるその月の光や、時折時雨を降らせる一群の雲に隠れている月の様子などは最高に心に深くしみるものだ。

また、椎柴や白樫などの、濡れたように艶のある木の葉の上に反射して、きらきら輝く月の光りは体の奥までしみこむように感じられて、今ここにこの月の風情をわかる友がいたらなぁと、友のいる都が恋しくなってくる。

第155段

[要約]
躊躇してはいけない。タイミングが大事。

原文

世に従はむ人は、まづ機嫌を知るべし。
ついで悪しき事は、人の耳にも逆ひ、心にも違ひて、その事成らず、さやうの折節を心得べきなり。

ただし、病をうけ、子うみ、死ぬる事のみ、機嫌をはからず。ついであしとて止む事なし。
生・住・異・滅の移り変はるまことの大事は、猛(たけ)き河のみなぎり流るるが如し。
しばしも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。

されば、真俗につけて、かならず果し遂げむとおもはむことは、機嫌をいふべからず。
とかくの用意なく、足を踏みとどむまじきなり。

現代語訳

世の中の動きにうまく合わせようとするなら、何といっても時機を見逃さないことだ。
事の順序が悪いと他人も耳を貸さないし、気持ちがかみ合わないので、やることがうまくいかない。
何事にもふさわしい時機というものがあることを、心得ておく必要がある。

ただし、発病や出産や死亡だけは時機を予測できず、事の順序が悪いからといって中止となるものでもない。
この世は、万物が生じ、存続し、変化し、やがて滅びる、という四つの現象が絶えず移り変わるが、この真の大事はまるであふれんばかりの激流のようだ。
一瞬もやむことはなく、この大事は実現・直進してゆく。

だから、仏道でも俗世でも必ずやり遂げたい事がある場合は、時機をとやかく言う暇はない。
あれこれと準備時間を取ったり、途中で休んだりすることは禁物である。

第172段

[要約]
若者は血気盛んだが、壊れやすい。老人は冷静だが、気力も衰えている。

原文

若き時は、血気内(うち)に余り、心、物に動きて、情欲おほし。
身を危(あやぶ)めて砕け易きこと、珠を走らしむるに似たり。
美麗を好みて宝を費し、これを捨てて苔のたもとにやつれ、勇める心盛りにして、物と争ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず。
色に耽り情にめで、行ひを潔くして百年の身を誤り、命を失へたるためし願はしくして、身の全く久しからんことをば思はず。
好けるかたに心ひきて、ながき世語りともなる。
身を誤つことは、若き時のしわざなり。

老いぬる人は、精神衰へ、淡くおろそかにして、感じ動くところなし。
心おのづから静かなれば、無益のわざをなさず。
身を助けて愁(うれ)へなく、人の煩ひなからむことを思ふ。老いて智の若き時にまされること、若くして、貌(かたち)の老いたるにまされるが如し。

現代語訳

若い時は血気が体内に有り余り、心は物に接すると高ぶり、欲望が激しいものだ。
身を危険にさらして破滅しやすいさまは、砕けやすい玉をころがすのに似ている。
美麗なものに心奪われ、有り金を注ぎ込んだかと思うと、突然これらを捨てて独り出家してしまう。
また、闘志満々で人と争っていたかと思うと、自己嫌悪に陥り他人を羨ましがる。
目標が毎日変わって一定しない。
色欲に溺れ情にほだされ、思い切りのよい行動をして先の長い将来を台無しにし、命を失ったような例に憬れて、我が身の安全や長命は頭にない。
そうして、好きな事にのめり込んだあげく、長く世間の噂の種になってしまうのだ。
身の破滅は、まさしく若気の至りである。

年老いた人間は、気力が衰え何事にもあっさりと、こだわりがなく物に接しても欲望にかられない。
心が自然で平静だから、無益なことは慎む。
我が身を大切にして心配事がなく、他人に迷惑をかけないようにと考える。老人の判断力が若者よりも勝っているのは、ちょうど若者の容貌が老人よりも勝っているのと同じだ。

第175段

[要約]
酒で人に迷惑をかける人間は地獄に落ちる

原文

この世にては過ち多く、財を失ひ、病をまうく。
百薬の長とはいへど、よろづの病は酒よりこそ起れ。憂へを忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにし憂さをも思ひ出でて泣くめる。

後の世は、人の知恵を失ひ、善根を焼く事火の如くして、悪を増し、よろづの戒を破りて、地獄に墮つべし。

現代語訳

この現世では飲酒が原因の失敗が多く、財産をなくしたり病気になったりする。
酒は百薬の長というが、酒が原因の病気はいっぱいある。酒はつらいことを忘れさせるというけれど、酔っぱらいというのは、今どころか古い昔のつらい事まで思い出して泣くものらしい。

飲酒によって人間の理性を失い、善事のもとである人間愛を、まるで火のごとく焼き滅ぼして悪事を増やし、あらゆる戒律を破るのだから、来世では地獄に堕ちること間違いなしだ。

第175段

[要約]
少しのお酒は、風情があって良い。

原文

かく疎ましと思ふものなれど、おのづから捨て難き折もあるべし。
月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語して、杯いだしたる、よろづの興を添ふるわざなり。
つれづれなる日、思ひの外に友の入り來て、取り行ひたるも、心慰む。

なれなれしからぬあたりの御簾のうちより、御果物、御酒(みき)など、よきやうなるけはひしてさし出されたる、いとよし。
冬、せばき所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飮みたる、いとをかし。

旅の假屋、野山などにて、「御肴(みさかな)何」などいひて、芝の上にて飮みたるもをかし。
いたういたむ人の、強ひられて少し飲みたるも、いとよし。
よき人の、とりわきて、「今一つ、上すくなし」など、のたまはせたるも嬉し。
近づかまほしき人の、上戸にて、ひしひしと馴れぬる、また嬉し。

現代語訳

このように、飲酒はいやなものだと思うが、時と場合によっては捨てがたい風情がある。
秋の明月の夜、冬の雪の朝、また春の桜の花の下でも、ゆったりと落ち着いて会話を楽しみながら盃を交わす時、様々な感興がわいてくる。
用事がなく暇な日に、ひょっこり友人がやってきて、一杯やるのも気分が良い。

また、遠慮の多い高貴な方が御簾の中から上品な声音で果物や酒を差し出しているのも、何か親近感がわいて、素晴らしく感じられる。
冬、狭い部屋で火をおこして煮物をし、心おきない者同士が向かい合って大いに飲むのは、じつに愉快なものだ。

また、旅行中の仮の宿屋とか行楽時の野山などで、「酒の肴に何か欲しいな」と言いながら芝草の上に座って飲んでいるのも、面白い。
全くの下戸が無理強いされて、仕方なしに少し口をつけるのも、中々良いものだ。
身分も教養も高い紳士が特別の好意を示して、「もう一杯いかが。盃の酒が減ってませんな」などと言って勧めるのは、嬉しいものだ。
また、親しく付き合いたいと願っていた人が、とてもいける口で差しつ差されつしているうちに、すっかり意気投合してしまったのは、これまたじつに嬉しい。

第188段

[要約]
目標は一つに定めた方が良い。それ以外はすべて捨てろ。

原文

若きほどは、諸事につけて、身をたて、大きなる道をも成し、能をもつき、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世をのどかに思ひてうち怠りつつ、まづさしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、事毎になすことなくして、身は老いぬ。
つひに、ものの上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれどもとり返さるる齡ならねば、走りて坂をくだる輪の如くに衰へゆく。

されば一生のうち、むねとあらまほしからむことの中に、いづれか勝ると、よく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひすてて、一事を励むべし。
一日の中、一時の中にも、あまたのことの來らむなかに、少しも益のまさらむことを益みて、その外をばうち捨てて、大事をいそぐべきなり。
いづかたをも捨てじと心にとりもちては、一事も成るべからず。

現代語訳

若い間は、あらゆる分野に関して一人前になり、その道で大成し、また芸能も習得し学問もしようなどと、将来にわたる遠大な計画を心に抱いているものだ。
ところが、その一方で自分の人生は先が長いとのんきに考えて、やるべきことを怠り、目の前の雑事にばかりとらわれて月日を送ってしまう。
だから、何一つ達成出来たもののないまま年老いてしまう。
結局、何の専門家にもなれず計画通りに出世も出来ず、後悔しても年齢は取り返せないから、走って坂を急降下する車輪のようにみるみる老衰していくのだ。

こんなわけで、一生の間に、大事な人生目標のうちで、それらの重要性をよく比較・検討し第一の目標を決定したら、それ以外の目標は破棄して、ただ一事だけに専念しなければならない。
一日の間にも一時の間にも、やることはたくさんあるが、それらの中から少しでも意義のあることを選び、それに全身全霊をささげ、それ以外は全て切り捨てて何よりもこの大事を急がなければならない。
どこもこれも捨てがたいと執着するならば、間違いなく一事も達成できなくなるのだ。

第217段

[要約]
お金持ちになるには心構えが大切。

原文

ある大福長者の曰く、
「人はよろづをさしおきて、一向(ひたぶる)に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。
富めるのみを人とす。徳をつかむと思はば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。
その心といふは、他の事にあらず。
人間常住の思ひに住して、かりにも無常を観ずる事なかれ。これ第一の用心なり。

次に、万事の用をかなふべからず。
人の世にある、自他につけて所願無量なり。
欲に従ひて志を遂げむと思はば、百万の銭ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は尽くる期(ご)あり。
かぎりある財をもちて、かぎりなき願ひに従ふこと、得べからず。
所願心に兆すことあらば、われを亡すべき悪念きたれりと、固く慎みおそれて、小用をもなすべからず。

次に、銭を奴の如くしてつかひ用いるものと知らば、長く貧苦を免るべからず。
君の如く神のごとくおそれ尊みて、従へ用いることなかれ。

次に、恥にのぞむといふとも、怒り恨むる事なかれ。

次に、正直にして、約をかたくすべし。

この義を守りて利をもとめむ人は、富の来ること、火の乾けるに就き、水の下れるに従ふが如くなるべし。
銭つもりて尽きざるときは、宴飲・声色を事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く楽し」と申しき。

現代語訳

ある大富豪は、億万長者になる方法を次のように説いた。
「人間はあらゆる事に優先して、ただ一筋に金持ちを目指すべきだ。貧乏では生きているかいがない。
金持ちだけが人間らしい人間といえる。そこで、金持ちになろうと思うなら、まず心構えを練る必要がある。
その心構えというのはほかでもない。
人間の世界は不変である、という信念に立つ事なのだ。万が一にも、人生は無常だなどと悟ってはならない。
これが心構えの第一である。

第二に、やりたいことを全部完全にやり遂げようと考えてはならない。
この世に生きている以上、自分に関しても他人に関しても、やりたいことは無限にある。
その欲望のままにやり遂げようとすれば、どれほど大金を持っていてもすぐになくなってしまう。人間の欲望は尽きる時がない。しかし財産は尽きる時がある。
財産は有限であるのに、無限の欲望に従っても、その欲望を完全に満たすことは不可能だ。
したがって、何かやりたい気が起こってきたら、自分を破滅させる為に邪悪な考えがやってきた、と厳しく警戒して、どんな小さなことにも金を費やしてはならない。

第三に、金を召使いのように自由に使用出来ると考えるならば、その考えを改めない限り、いつまでも貧乏生活を逃れる事は出来ない。
だから、金を主君のように神様のように大切に敬ってどんな用にも使ってはならないのだ。

第四に、屈辱にあっても怒ったり恨んだりしてはならない。

第五に、うそ偽りなく、約束は固く守れ。

以上の五つの心構えを守った上で、利益を追求するならば、まるで火が乾いた物に燃え移り、水が低い所に流れ落ちるように、富は自然と速やかに訪れるだろう。
その結果、お金がどんどんたまってくる時は宴会や美女などで遊興せず、豪邸に住まず、例えやりたいことがやれなくとも、心はいつも安らかで楽しいものだ。」

第233段

[要約]
誠実な人間こそ最高だ。

原文

よろづの科(とが)あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かずうやうやしく、言葉すくなからんには如かじ。
男女・老少、みなさる人こそよけれども、ことに若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく、思ひつかるるものなり。
よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得(ところえ)たるけしきして、人をないがしろにするにあり。

現代語訳

人前でどんな過失もないようにしたい、と思ったら何事にも誠意をもって当たり、人を差別せず礼儀正しく、余計な事は言わないのが良い。
男でも女でも老人でも若者でも、どんな場合にもこういうタイプの人間が最高だ。とりわけ、若くて顔が綺麗で、言葉遣いがきちんとしているのは、いつまでも忘れがたく心ひかれるものだ。
あらゆる過失は、もの慣れた様子でベテランらしく見せ、わがもの顔をして他人を軽くみる態度から生まれる。


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